生きると言うこと

「ヒトはいつヒトになるのか」と親しい人に問われ反射的に
人と交わることで人となると答えた。

人は考える葦であるとか、笑いは人のみがなせる業とか様々なことエが用意されているだろうが、人類学的にどうこういうわけではなく自分の経験値がそういわせたのだと思う。
交わるにも僕の言いたいのは、人の縁、人と人のつながりのことだ。

自分のまだ決して長いとは言えない人生でもそれを振り返ってみると、それなりに山と谷を何度も上り下りしてきた。
いや、谷底をさ迷う時間のほうが、山上を歩くよりはるかに長かったような感もある。

人は1人で喜ぶこともできる。

しかし対象があって、その対象を喜ばせようと思考しそれを実現するときの、無類の喜びは言葉に表せない。人が感動したり喜ぶ姿を見れば、喜びは二乗にも三乗にもなって帰ってくることを経験する。
その喜びの根源がどこからくるのか知らなくても。喜びにはパワーがあるのを体感する。

僕は作家のやなせたかしの隠れファンである。
今はアンパンマンの作家として有名になったが、僕が始めてその名を知ったのは、中学時代悩みの極地にあったときからだから、比較的長い。
姉が大切にしていたマグカップの絵柄にあったたかだか数行の詩に救われたことに始まる。出逢いである。

アンパンマンの世界でお金が流通したのを見たことがない。
それもそのはずで、喜びが通貨の世界なのだ。
極楽トンボゆえにそう思うのかも知れないが、すばらしい世界だと思う。
本質的な喜びが価値を決める。

便宜上、代価がついて回ると考えたらよいのだ。
ただ、残念なことに本質を見失った金銭価値が物の本質を見失わせ横行している。

そろそろものの価値観が変化しないだろうかと思うのだ。

思いは

昨日でちょうど父親が鬼籍入りして50年(50回忌は去年)だった。
ふと、姉に知らせてやろうと神妙な気持ちとなって、
夕方の買い物途中ながら連絡をしてみた。

「ツー・ツー・ツー」

「ちぇ、お話中か・・・」

しばらくして折り返しの電話が入る。
姉「お前今日何の日か知ってる?」

Boo(挨拶もなく突然の本題・・・あいかわらずの上から目線・・・)
 「親父の50年だろ」
姉「知ってたの?」ホーおまえが・・・という風に聞こえた。

姉弟で同時に思い続けていたということか・・・
Boo「二三日前に急に思い出してさ」
姉「あたしはずっとだよ」

(おみそれしました。姉は姉だね)
血は水よりは濃いか。ちょっと近いものを感じた。

パラリンピック

たまたまつけたTVでパラリンピック選手のドキュメントを放送していた。
http://www.tbs.co.jp/birth-day/onair/oa081016.htmlパラリンピックは意識していたのだけれど、よくわからないうちに終わってしまった。

大学時代に交通事故で両足を失った藤田征樹選手。
1000mを全速で走ってタイムを競うタイムトライアルを1分17秒で駆け抜けた。

両足が義足で。

1分17秒。

脅威だった。

http://sankei.jp.msn.com/sports/other/080907/oth0809072158008-n1.htm
(もし健常者だったら凄いことになっただろう・・・)けれど、考えをすぐに打ち消した。

最悪の境遇を打ち破る強い意志が彼にメダリストの力を与えたのだと。

男女の差?

gooランキング
男女の差がおもしろい。

結婚するなら最低限満たしていてほしい男性の条件ランキング
http://ranking.goo.ne.jp/ranking/017/marry_precondition_male_2008/

結婚するなら最低限満たしていてほしい女性の条件ランキング
http://ranking.goo.ne.jp/ranking/017/marry_precondition_female_2008/

「価値観が一緒」が男女とも筆頭というのが実に面白い。
そうやすやすとは見つからないぜ。

だから、祈りの場が家庭の中にあるのはプラスなのだ。
外人が仏壇や神棚を見ると絶賛したそうである。
各家に教会があるようなものですもの。
さぞかし、毎日神に家族が祈りを捧げる姿を思い浮かべたのかもしれない。

原日本人の心の風景にはそれがあった。
何でも仏壇に供え、ご先祖様を優先して、

でも今は・・・

「暴力を振るわない」が男に暴力を振るう女性もいるのか・・・
世も末じゃのう・・・

地べたに生きる

最近、いつもお世話になっている尼様’sとお話をする機会に恵まれた。

いつも生きるヒントを何かしら置き土産にしてくださる。
だから一言一言が聞き逃せない。
長耳とならざるを得ない。

「坊主は地べたにいるのがいい」
いつも口癖にされている。
僕も真にそう思う。

これまたお世話になりっぱなしの師も同じ事を口にする。
師は文字通り地べたに生きて、耳塚鼻塚の霊を国家レベルで供養した。
ぼくの知るお坊さんは、みな地べたに生きる。

ふと思い出す事がある。

自分の人生の舵を大きく切るに及んだ原因が親友の自殺にあったことは
以前のTONちゃん日記で少し触れたことがある。
当時を振り返ると、「人生って?」を暗中模索、もがきにもがいた。
荒海の中の小船のような大揺れの毎日。

もし地べたに生きる坊さんに巡り合えていたら、
一も二もなくその道にいただろうと思う。

縁あって仏具業界の中に身を置くようになったけれど

ただ気持ちは当時となんら変わらない。

だから心ある方と話す中で、もし初心に響かなくなったときは、
そろそろ交代のときかなと思っている。

玉石混交

古いフォークを聞いているうちに
こんなものに出くわした。

便利な世の中だ。
ネットは確かに便利なツールだとおもう。

けれど、いいものも悪いものもごった煮のような世界。
その中から玉(ぎょく)を選ぼうとすれば、ちゃあんと用意されている。

石に躓かないようにしないとね。

時の缶詰

もう失くしたと思って諦めていた写真が、本棚の奥に転がっていた本の間から偶然にも現れた。

下北半島を友人と二人で自転車で一周したときのものだ。
二十歳の頃だろうか・・・

相棒は5月の連休を利用して八戸に帰省するという。
なら、最後の一日は彼の家に帰着すればよい。
ちゃっかり泊まらせてもらうつもりもその算段の中に入っていた。
逆算して計画を練った。

素朴な民宿ばかりだったが、毎回の食事に出されるホヤの攻撃にはもう唸りっぱなしだった。

大間を過ぎてからはとにかく向かい風。
最北の道は手厳しい北風の洗礼だった。

横浜ではもうとっくに桜は散って暑いくらいの陽気だ。

「いくらか寒いかもょ」と注意をもらっていた。
がしかし、いくらなんでも寒すぎ。

全く忘れていたはずの場面なのに、いくらでも記憶が湧き上がるから不思議なものだと思う。

ボケて何も思い出せなくなったら、またこんな写真を引っ張り出して見たいと思う。

ありがとう

捨てられず10年以上手帳に挟んで持ち続けている。
次男の保育園時代に書いたサンタクロースへの手紙。

子供の純粋さは最大の教科書だと思う。

気遣いさも見習いたい。