人は支え支えられて生きる。

北島選手が引退と言うことは今日初めて知ったが、
去就は個人の問題。周りがどうこういう問題ではないだろうと思う。

僕は自転車以外あまり興味がなかったし、金の数などマスコミによる前評判は「うざく」感じていた。

けれど、北島選手の勝利後のコメントには関心を持ってみていた。

「支えてくれた周りの人に感謝」「喜びを分かち合えて嬉しい」
のコメントには、少なからず驚いた。

「チョー気持ちいい」で世間を沸かした言葉は、マスコミが今の若者を「象徴するか」のように繰り返し用い、一人歩きさせてしまった感があり、またかいが正直な気持ちだった。

1人の力でのし上がれるアスリートなんてありえないし、そう感じていない、感じれないものはトップになれないのも知っている。
しかし、これでもかと言うほど、映像の一断面を切り取られ人間像を形作られてきた感がする。

今回のコメントに、「感謝」「喜びを分かつ」の言葉が入り、若い人にそれこそ、繰り返し繰り返しメッセージうを流して欲しい。

明日への遺言

このところ我が家の水曜日は、TSUTAYAの日となっている。

「いく?」
「いく!」

ほぼ阿吽の呼吸だ。
上さんを誘って自転車でスイっと借りに行く。
かって知ったるで赤提灯の裏道を抜ければ、ブロードウェイに出る。
貸し出し半額の日となれば、店内のクーラーも利かないほど熱気に包まれている。

この日借りたのは、藤田まこと主演の「明日への遺言」。
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=8132

映画を観たかったが、忙しくて観そびれてしまった。
前評判だけで、なんとなく消えてしまった感がある。

DVDが出たらすぐに借りようと思っていたのだ。
前置きが長い戦記物が多い中、それは実に淡々としかも
実録的に創りこまれていて、遊びがほとんどない。
歴史映像というとオーバーだが、それに近いものを感じた。

シリアスなストーリーにともに観ていた
子供たちは次々にテレビの前を離脱。

ブッシュによく似た被告側弁護士を演じていた役者が
スチーブ・マックウィーンの息子だったり、脇を固める役者も抜群によかった。
役者家業もこれが最期とこの映画に臨んだ藤田まことの演技が群を抜いてよかった。

靖国神社に15年通い続けても近代史はまだまだわからないことばかりの
戦後っ子のぼくには、新しい発見も少なからずあった。

BC級戦犯への戦勝国の扱い、
そして国内の論調、国民の目線を今一度考えさせられた。

その一点だけでも、
「明日への遺言」は僕にとってその名のとおり
書き残しつまり遺言だったように思う。

ただ、「はい。受け取りました」と自信を持って言えるだろうか・・・。

暑さもまた善し

今年は、相変わらず暑い。
日の下にいると、どうでもしてくれ。と、あきれるくらいだ。
室内にはいってもそれは同じこと。
30度を超えた室内。暑いよう・・・

なのだが、何故か我慢できる。
例年ならガンガン冷やし、エアコンもフル活動する。
なのに・・・
異変が起きている。

暑い室内に入ったら、初めに多少エアコンをつけるが、しばらくすると止める。たまに上さんが部屋に入ると何この暑さ・・・
とすぐ出て行く。

でもぼくは我慢できる。我慢ではない。ちょうどよくなる。
店にいても同じことを言われる。
外の直射日光の下にいても、確かに暑い。けど気持ちよく感じる。

気温にいじめられる事に慣れてしまったのだろうか。
上さんにこの異変を伝えると、
「年取ったんじゃないの」の一言に「そうか・・・」と納得してしまう自分も恐かった。

心頭冷却していないけれど日も涼し。

ロードレース

北京オリンピック女子ロードを見ようと
沖美穂
ヨーロッパのプロロードで頑張ってきただけに期待していた。

いつもどおり3時には目を覚ましていたのに・・・
なのに・・・
今日に限って、直前に寝込んでしまった。

あ~~あ。
目が覚めれば6時近く。

結果は31位だったようだ。
何しろメダル圏外のスポーツは放送しないからね!

一見振るわなかったように見えるが、
アシストなしで31位は実に立派。

次につづくレーサーが現れるといいな。

まんがされど漫画

手塚治、藤子不二夫(A)、横山光輝・・・
そして惜しむべく、赤塚不二夫も逝ってしまった。

おそまつ君が世の中を席巻していた頃、大学生が漫画を読む事への偏見からか、
社会を騒がせていた記憶がある。
小学校の頃ゆえ記憶が確かではないが、そうした現象が単純に面白かった。

最近の子供漫画(漫才などお笑いの世界にも共通するが)に見られる、
下ネタや笑われる漫画の氾濫には辟易させられるが、
僕らの育った当時の漫画の世界には泣き笑いさせられながらも
夢を持たしてくれる何かがあった。
なんだかさみしい。

バカボンだったと思うが連載をやめる頃、
・・・もう描く気がなくなったと、
白々した描きかたで終わったことがものすごく印象に残っている。
こんな終わりかたってあるかいと当時は思ったものだが・・・
なんとなく今はわかる気がする。

成人誌と見間違う近頃の少年誌を時々のぞいて見るにつけ、
夢を子供相手にぶつけてくれた昔の漫画家の情熱が思い出される。

まんがされど浪漫の画・・・

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20080803-OYT1T00393.htm

時間の速さは一定ではないなあ・・・

浅草寺の朝の掃除に3ヶ月ぶりに参加できた。
地元の商店主たちが早朝の浅草寺に集まって読経をし、
境内を掃き清める。

読経の間にすでに寺男たちが、おおまか掃除し終わっているので、おおまかなゴミは拾われているのだが、よく見ると木の根元や休憩所にはまだまだ手を出すものが残っている。
また、朝の浅草寺に集まるというのも楽しいのだ。

子供たちも今日から夏休みとあって、家にいるこのチャンスを逃す手はない、
とばかりに強制的に連れて行くことにした。

強制的に・・・思っていると、一声かけたら案外自分からついてきた。
彼らが小さいときは、一年中連れて行っていたので、思い出のシーンなのかもしれない。

連れて行くと、皆、子供たちが小さいときを知っているおじさんおばさんたちばかりだから、子供たちの成長に驚いている。

本人たちも「よく来たなあ」「久しぶりだなあ」「大きくなったなあ」の声に悪い気はしないようで、愛想笑いをしてやり過ごしていた。

掃除会に参加したのは一番チビが小3のときが最後、今中1だから4年ぶり、長男でも8年ぶりだから、外観は以前と比べ物にならぬほどはるかに大きくなってしまった。

おじさんおばさんたちには急に成長したように見えて驚き、
本人たちは、それほど立っていないのに驚かれるのに驚く。

高齢者の時間の速度と、子供の速度の違いを目の当たりに見て
なんだか可笑しくなった。

さ、これから靖国神社に出かけるのだ。

浅ブラ

ツタヤに夫婦で出かける。
浅草は六区に一軒小さいのがあるので、
住まいからは自転車でスイーっとわけなく行ける。

昨日はサービスデイらしく10時を過ぎているのにけっこうな混みよう。

先だっては硫黄島の映画を米、日、両方を借りて観た。ようやく。
いつも世間の話題とはちょっとずれてしまうがそれでいい。
そろそろ世間の関心がよそに移ってからいいと思うものだけ観る。

観だすと止まらなくなるからこれくらいでちょうどよいのかもしれない。
「今日はいいよ」と初めに借りない宣言して入店したのに・・・

ちなみに途中で藤田まことの「明日への遺言」を借りたくなったけれど
まだないみたいで空振りだった。

なのに、気付くと2枚、なにやら手に持っていた。
上さんは6枚くらい・・・

いったいいつ観るんだろうね。

自然は畏怖すべきもの

神戸市都賀川の事故を今朝、友人の話で知った。

http://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/0001277428.shtml
学童保育の子供たちが犠牲になったことは、
子の親として言いようのない悲しみと涙を禁じえない。
引率側も懸命に頑張ったに違いない。
けれど自然の猛威は無慈悲だった。

事故を通し海も山も川も大自然なのだということを改めて知らされる。
「自然」には、リスクも同時に孕んでいることを絶対忘れてはならないのだ。

都会に住む(だけではないが)現代人が自然への畏怖を忘れている事への警鐘としては犠牲が大き過ぎると感じてならなかった。

パイロットランプ

僕の店は路地に面している。
いつも店の位置を説明するのにとてもしづらい。
都営地下鉄をご利用いただければA4出口前と簡単なのだが、
車でこられたり、出口を間違えられるとちょっとややこしくなる。
今なら携帯電話で話しながら説明できるが、
公衆電話の時代はそれはそれは、お客様にご不便をかけた。

ここに店を出す時、実は迷いに迷った。

バブルの影響で物件は雨後の竹の子のように新築ばかりで、
あちらこちらに適当な物件はあった。

地下鉄の出口に近いが路地で天井の低い今のビルより、
大通りに面して車からも一目でわかる大きな物件に実は注目していた。

天井も高く広くて仏壇も充分置けるスペースが確保できるのが魅力だった。
当時は仏壇などの大型材に力を入れていたから、ほぼこちらに決めていた。
大手デベロッパーのテナント募集だった。

コンタクトを持とうと電話をかけると、足元をみるような返答だった。
資料だけは送られてきたがあとはなしのつぶて。

二度三度と連絡をするが、いつも一方通行で、連絡をもらいたいと、
ことづけていても電話ひとつこない。

鼻っ柱は強いほうだから、借りる側が何で日参するの?と、その気が萎えた。
数回の交渉で相手の姿勢に嫌気がさして、責任者が訪ねてきたがお断りした。

路地に面してはいるが、ほどほどの大きさの今の店に決定した。

ビルオーナーは、ぼくがやっていた以前の店に密かに訪ねていた。
店員や店のあらましを調べていたらしく、すぐに快諾の連絡をもらった。
「あの店なら安心だ」そう評価してましたよと仲介者が教えてくれた。
そのオーナーも故人となってしまった。

仕事に慣れが入ってくるとこんなことを思い出す。