鎖帷子(くさりかたびら)

真夏生まれのくせに夏が弱い。

夏痩せするのなら大歓迎だが、夏はおおいに太る。
そうではなくて、皮膚がすこぶる弱くて、
あせもや蕁麻疹に悩まされ続けてきた50数年なのだ。

子供の頃はどう過ごしていたのか記憶が定かではないが、
毎日遊びに興じていたから汗だくになっても気にならなかったようだ。

接客業とは因果なもので、夏でもワイシャツにネクタイをつけて、
ずっと以前はスーツまで着こんで、全身汗まみれになりながら
夏を過さなければならなかった。

今は、ここ最近のエコブームに便乗し、ネクタイは廃止(それだけでも極楽)。

それでも店のメンバーと基礎体温の違いで、室内の設定温度が4度も5度も違う。
僕が下げようとしても、 多勢に無勢で、チームワークよくいつの間にか高めの温度に
エアコン温度が設定されている。

今はエコ時代。
それはそれでエコ意識の高揚、ありがたいことと、最近はあきらめつつある。

じゃあいったいどうしたものかと頭をひねる(首をひねると昇天してしまうし、
足をひねると捻挫になってしまう頭をひねるしかない)。

汗が背中を伝って、ツーっと落ちるのはあまり良い気持ちではない。
下着がべったり肌につくあの感触もいやなものだ。

で、かねてから上さんに依頼していた、「夏快適なアンダーシャツを探せ」の特命がようやく成就した(感がある)。

それはメッシュのアンダーシャツ。
忍者や甲冑の下に着る刀よけの鎖帷子(くさりかたびら)のようなシャツだった。

透けて丸見えだから、醜い造作が見えてしまうので、
人様の前では披露できる代物ではないけれど、アンダーシャツだから許せる。

一昨日から(ちょうど猛暑の2日間)、試しに着てみて(もちろん着替えながらの2日)すこぶる調子がよい。
汗が額をたらーっと流れるような蒸し暑さの中でも、体はサラサラしていて、感覚的に涼し区間汁のだ。

さあ調子いいぞ。

初日着たシャツが洗濯されて、もう乾燥しただろうと探した・・・
が、ない。

何のことはない子供にとられていた・・・

また買って~~

10年一昔・・・いやいや1年一昔

つい記事に見入ってしまった。

http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0807/03/news054.htmlウェブログがアメリカで流行していると、
EC店長たちの勉強会で紹介され、その可能性が取りざたしだして一体何年目だろう。

文字通り瞬く間に市民権を得た・・・市民権どころの話ではない。
まさしく驚きだ。

調査の結果を見ると、

ブログ開設の動機を聞いたところ、「自己表現」が30.9%、
「コミュニティーの形成」が25.7%、
「アーカイブとしての利用」が25.0%となった。
「収益目的」(10.1%)や「社会貢献」(8.4%)といった回答も見られた。

 自己表現を重視するのは、ブログを日記として利用する10代、20代が高く、ストレス解消などの効用を重視している。社会貢献と回答した年代は40代が多く、金融や医療、地域などのテーマについて自分の知識を発信したいという動機が強かったという

というと、単に楽しくて書いている僕の感覚は10~20代の感覚のままかな。

若い!といえるのか・・・

いや、成長がないと言うほうが正しいかもしれない。

タイムテーブル

都会は不夜城という。

最近24時間営業のコンビニ論争が盛んだが、
是非は別にしても、夜活動しなくてはならない人々にとって、
治安も含めて一助になっている事実は見逃せない事実だろう。

25年前の第二次オイルショック時のエネルギー問題は悲壮感すら感じた。
世間の論調も受け入れる土壌を醸造した。

深夜放送の取りやめ、ネオンの自粛等々・・・
おかげで夜の街は見事に暗くなった。

あの牽制球は、今回、何故か耳にしない。
相変わらず町の街灯は赤々とついているし、
摩天楼の明かりも、深夜放送もetc、etc、何にも変わった様子はない。

世の中が自国だけのタイムテーブルで動ける時期は100年前の昔話なのだ。

こうして夜を迎えている日本は、眠りにつく時間であっても地球の裏側では
激しく経済戦争、諸々のしのぎを削っている。
いつも、潮流の中に巻き込まれているこの国なのだ。

いや、そんな大きな話題を持ち出さなくとも、
この国内で昼夜を問わず、ライフラインを守ってくれる人々もいる。
国内外の治安を守って警邏を怠らぬ人々もいる。
病の最前線で24時間体制で持てる医療技術を駆使する人々もいる。

・・・・・・

等々、等々・・・多くの人々が支えてくれている。

一日の活動をやっと終えて、今、ほっとしている人々もいるだろう。

一日という尺度が、昔はどうだったっけと記憶が薄れてしまうほど
めぐりめく日一日が忙しいのだ。

そんなわけで、
連絡の入る時間は、ネットの世界ではいとまがない。
メールというツールは、二面性を持っている。
便利というだけではすまないツールだ。

本当は営業時間内に返すを基本としている。

でもさにあらず、メールが返信されてきたら驚く時間なれど、
即、回答文を打って、少し躊躇しながらも、こうべを垂れて
送信のボタンを押してしまう。
さぞ驚かれるだろうとも思いながらも。

TONの活動時間はもう始まっているのだ。

「ブログが秘めるセラピー効果」という記事

外食はまずしない。
落ち着かないのだ。行くとなると一店に通い続ける。

昼食を外でとる場所は、毎度決まっていて、20年来行きつけの口の悪い店主がいる喫茶店と決まっている。メニューもカレーのみ食べ続けている。
今日はナポリタンを注文し店主の期待を裏切った。
昔ながらのケチャップで炒めたあれである。
一週間に一度程度だから、ちょうど店置きの雑誌も入れ替わる。
で、この時間は週刊誌の表題を拾い読みしておくのが習慣となる。

ニューズウィーク誌の小さな記事だが目に止まった。
それがタイトルの「ブログが秘めるセラピー効果」
アメリカでは、精神医療の現場でブログを勧める精神科医が多いのだそうだ。
カウンセリングの目的は、
 気持ちを吐き出させる。
 自己顕示欲を満たす。
ということなのだそうだ。

ブログを書かせると、「人と話す」という効果と同等の効果を期待してのことらしい。
つまり、悩むときは人と話すことを通して癒される。
その体験に近いものが「ブログを書く」という行為にある。

ハーバード大神経科医アリス・フラハティーは同情してくれる読者に近づけるから癒し効果を生むという。
ジョンスーラーは、ブログの匿名性も効果的だという。

なるほど。
どうりで精神が安定するわけだ。
でも読む側には申し訳ない気もする。

いよいよ目に見えてくるか

塔つづきになるけれど
こちらは、現代の塔、タワー、スカイツリー(スカイタワーにしてほしい)のこと。

新聞(MJ)を手に取ると、一面で特集されていた。

「下町に商機のめばえ」だって。
下町には商機がなかったとでも言うのかえ・・・
っていうつっこみたくなる気持ちはこっちに置いてっと・・・

タワーの話し。

まだ地下の作業をしているからパッとしないが、
きっと基礎のための岩盤調査をしているのだろう。
業平、押上周辺は刻一刻と変化している。
街を歩けばよくわかる。

こうして新聞に大きく取り沙汰されると
フィーバーするプロローグ、前夜祭になることうけあいだ。

あれよあれよと天空に建ち上がり
同時に足元の町々は思い出せないほどの変貌を遂げるろう。

今のうちにこつこつ歩くとしよう。

ひとのふりみて・・・

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080625-OYT1T00821.htm
またうなぎの偽装が発覚。
しかもかなりの確信犯。
これには驚きの一言。

鰻騒動以来、好きで毎週の買出し時に買っていたうなぎはピタッと止めた。
同時に スーパーの棚からも、中国産のうなぎは日ごと減っていき、
ここしばらくは鹿児島産など国内産のオンリーに様変わりしていた。
販売側も大変だろうな・・・

が、国産の衣に着替えて再デビューを果たしていたなんて・・・
聞いてないよ~~

そろそろ気にならない程度まで民意は回復していたと思うのに・・・
また再燃ですか・・・

「商売は誠実が第一」が商売の基本だと仕事を創めるはるか昔に学んだ。
「損得の前に善悪を考える」商売をしなさい。

そう徹頭徹尾叩き込まれた。

この「事件」を見てみると絵に書いたような事例だと思った。

足元はだいじょうぶだろうか。初心を思い出させられる。

スリランカという国

スリランカと聞くより「セイロン」が
頭には叩き込まれていて、時々国名が口から出ない。
1972年まではセイロンだった。

お客様のS師がスリランカに出かけると聞いで
スリランカの今を意識するようになった。

内戦状態にあって、難民も10万規模で生まれるそんな政情にあることも
この機会に認識化した。

要するに名は知るが関心はなかったと言うことなのだ。

国名:スリランカ民主社会杉共和国
人口約2000万人
首都:コロンボと思っていたら、大間違いだった。
遷都されて1985年にコロンボの東南に位置する、
スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ に遷都した。

でも僕がこの国に足を向けて寝てはならないということを知ったのは
戦争責任で、敗戦に土たんを舐めているときに、セイロンのみが以下の決議を採択した。
1951年、国連で蔵相のジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナが
対日賠償請求を放棄する演説を行い日本の国際社会への復帰に道筋をつけたのだ。
仏教思想を「国家」として実践された。
その恩を忘れることはできないのだ。


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こんなですが

<事務連絡>
わかりますか。

テグスのトップを全部を図のようなループにして
固結び(3回程度繰り返し)アロンアルファで固定します。

鶴を吊った分同じ作業をして
それら全部を別糸(組み紐など)で通して結束します。

これでどうでしょうか。

古代はロマン

だいぶメジャーになったけれど青森のキリストの墓。
インディージョーンズを見て、思い出し、しらべてみた。

青森県新郷村(旧戸来村)
http://www.net.pref.aomori.jp/shingo/07sight/sight-christ.html
村にとってもよい観光資源だと思うが、竹内古文書がもととなり昭和10年に発見されたというのだからまんざらでもない。興味は尽きない。ミステリーだ。

キリスト祭

この歌詞、「ナニヤドヤラー、ナニヤドナサレノ」がヘブライ語だと「汝の聖名を褒め称えん、汝に毛人を掃蕩して、汝の聖名を褒め称えん」と訳されるのが面白い。

ユダヤ失われた10部族の古代ロマン。
また、日ユ同祖論を読み返している。

いろめがね

秋葉原の事件後様々な波紋があるという。
ネット上に、避難の声に混じって、同調する声、予告する声、殺人者を褒め称える声
様々な責任、無責任な書き込みが後を絶たないという。補導されたものも現れたとか。
それもまた、メディアの恰好のソースになっている。

メディアの姿勢を見ていると、
そら恐ろしく感じる最近の若者像を創っていく。

けれど僕の周りには1人としてそんな人は見かけないゾ。
鼻にピアスしていようが、タトゥーをこれ見よがしにしていようが、
ズボンを地べたに引きずるように下げて歩くことはあっても
個の表現がそうであるだけで、素直な日本人さ。

世の中がどこかおかしいと言う前に、
色眼鏡をかけさせられている自分に気付くべきが先。

知らずうちに、いろめがねをぼくもかけている。

褒めて育てるのか、
けなし、欠点を指摘し続け育てるのか。

口に苦い塩もたまには必要だが、
長所を伸ばす教育がよいといわれ、だれしもそうだなと納得しているご時世ではないか。

メディアもおなじ。
塩はちょっとでよい。

娑婆世界の大変さは言われなくてもわかっているのだ。
1%のよさでも0.1%でも0.01%でもよい。

よさが見出せる出来事があるならば、もっともっと流したらよい。
それこそ、針小棒大はメディアの得意分野ではないか。

小さな奇麗事を探し見つけだし、膨大に報道し続けたらよいのだ。
夢を語ったらよいのだ。

方向を示したらよいのだ。

良いことを保護したらよいのだ。

繰り返し、人間の暗部を穿り出し、垂れ流しするのとどちらがよいか、

明白ではないか。
これ以上若者、幼きものを腐らせない、白けさせない為にも。