日常・非日常

店を始めた当初は、右も左もなーんにもわからないから、
それこそありとあらゆることをやった。

当時(25年前)の浅草には67軒の仏具屋がひしめき合っていたが、
それぞれパトロン(寺など)がいて、きれいに棲み分けされていた。
それぞれが力関係を保って、食べるには困らない状態を創出していたのだと思う。

そんな中に若気の至りとはいえ、仏壇店を始めた。
とにかく何でも試さないと食ってもいけない状況もあったけれど、
それ以上に、面白くて仕方がないというのが本音だった。

上野ー浅草間の仏壇通りを歩くのがたまらなく楽しくて、
隅から隅まで残すことなくお客の立場で覗いて回った。
そのうち同業者とわかって怒鳴られもした。

台東区内にある350ヶ寺にもコツコツ歩いて回った。
東京近郊の3000ヶ寺に毎月のように手書きのDMを送り続けた。

店に顔を出して下さったお客様がいようものなら、お礼の手紙、誕生日、四季の手紙と書きまくり、年末には車で回ってカレンダーとラブレターを渡しに行った。それほどに売れ先が少なかったこともあったけれど、暗中模索であったことが一番の理由だった。

正月は、仏壇屋が正月に店を開ける習慣がなかった。どこも三が日は店を閉めた。
僕は仏壇の扉を閉めて店を開けた。

店員には、休みを与えるから、全て臨時雇いの子たちで固める。
臨時の子が仏壇を売れるほど甘くはない。
だから、出来る商売は何かと考えた。
食べ物屋をやってみることにした。
そこ素人でも簡単にできるだろうと、
甘酒を売ることにした。

これが飛ぶように売れた。
おしるこも売った。そのうち抹茶も売った。

余った甘酒は知り合いのいる地元の養老院に差上げた。
予想以上に喜んでいただいた。
喜んでいただくことに気を良くして、次の年からは除夜の鐘の前に持って行った。

正月中にテーブルの上に置いておいた記念帳には、
感謝の気持ちがつづられていた。
正月三が日で大学ノート3冊になった。
一日が終るとその住所に毎日せっせと手紙を書いた。

その時の若いお客さんたちが、Uターンして買い物客に変身した。

食べ物屋って面白いと味をしめて4シーズン続けた。

正月が終わると、また仏壇の扉を開く。

日頃の社員が顔を出す。
とたんに現実の世界に引き戻された。

正月が終われば人の足も減る。だからなおさら現実味を増す。

今は正月も平常営業なのだ。企画も打たなくなった。
ここ最近は、そのせいなのか、いつも現実の中から抜け出す機会が乏しい。

非日常がなくなった感がある。

今度は何に非日常を求めようか・・・。

サプライズ

正月に店を開けていると人の出会いのサプライズが起こる。

何十年も会っていなかった友人と、それとは知らず?来店してきて店で再会したり、
ふる~い時代のお得意さんがひょこっと顔を出してくれたり、
親に手を引いてこられていたヨチヨチ歩きの子供が、成人したと報告に来てくれたり、

そのたびに驚かされるのだ。

昨日、唯一人の姪がひょっこり訪ねてくれた。
彼女が生まれたときには、ぼくはもう風来坊になっていたから、
直接お産には立ち会えなかったし(長男の時は義兄の代わりに立ち会ってあまりりの修羅場に驚いて逃げて帰ってきた)、
人生の節目節目に何一つ叔父らしいことをしてあげてこれなかった。
けれど、一番なついてくれていた。

一度だけ、小学校に入学するとき、なけなしのお金で
電気スタンドを買って送ったことがあった。
それがよほど嬉しかったのだろう、喜んで電話をしてきてくれた。

僕が結婚するときも、一番喜んでくれたのは彼女だった
「みっちゃん(僕をそう呼んでいた)のお嫁さん」と
僕ら夫婦の周りをクルクル、クルクル回って喜んでくれた。

必要以上に感受性の強い所は、姉に似てしまったようで、
思春期は悩みの中にいた。いつも物思いにふけていた。
そんなころの中学時代は、僕の店でバイトをしていた。
だから毎年正月は顔を見せてくれた。

そのうち大学を出ると足は遠のいた。
保育士の資格を取り、区の施設に働き出した。

それから4年の間をおいて、突然昨日顔を出したのだ。

「こんど結婚するの」と彼を連れてきた。
面食らって言葉に窮した。
「ん。あっそうなの」笑顔で応えたつもり…
同じ保育士の仕事をしているという彼はなかなかの好青年。

これからもよろしくね。と彼と握手をして見送ったが、本当の所は動揺しているのだ。

男ばかりの我が家では、送り出す娘がいない。
さすれば、嫁に出す思いの何分の一かを、疑似体験させてもらったのかもしれない。

幸せになれよ。

初夢

初夢を見た。

念珠直しを一生懸命やっていた。

あ~~~ぁ。仕事の夢かぁ。

元旦の一日

店の前は、人でいっぱい。

車道は、人でいっぱい。

空は、空気いっぱい。

こうして、元旦の一日は終わる。

ついでに、店は、正月いっぱい。

ついに大晦日

頑張らねば…
最期の一日。

昨日は、6本念珠を作って即、発送して
2本糸を間違えて…
作り直して…
通常の発送業務をこなして、
店のことはなーんにも出来ずじまい。

例年のとおりになりつつある。
あせる。

コロッと・・・

毎年この時期になると、頭の中は錯乱状態に陥る。
正月を迎える手順が何が何だかわからなくなって、
気付くと、正月は過ぎている。

成人式が終わる頃にようやくふと我に帰る。

新年になった実感がその頃ようやく湧いてくる。

これが、毎年恒例のパターンなのだけれど、今年は手順が3日早い。

正月飾りもすでに終了し、去年は仕方なく自分で活けた生け花も、すでに外注しちゃったし、商品準備は着々と進んでいるし、普段できない所の掃除もできているし、文句はない。

と思うのだが、自分のことが何も出来ていない。

年賀状も、部屋の片付けも、古いVHSのDVD化も…エトセ、etc.
何もしていない。

家に帰るとコロッと寝てしまう。
寝りについた記憶もなく朝を迎えてしまう。

このまま新年を迎えてしまうのだろうか…
せめて、気持ちだけでも刷新しようと踏ん張っている。

クリスマス

わ~い。
今日はクリスマスイブだ~~。

「そんなのかんけいねー」って?風神くん。

帽子どっかに飛んじゃった~~。

             flom nekobusさん

なりたい…なりたくない

冬はゴジラに変身する。上さん。

忙しくなると猫になりたくなるBoo。

昔は(大)虎になったこともあったし、

(デ)ブタにもなった。

犬のように忠義に懸命だったときも。
蛇のような狡猾さを磨いたときもあった。
キリンのように高望みしたこともあるし。
鼠のように懸命に走り回ってもいた。

バクのように未だずーと夢を食べ続けている。

ただ、ゴキブリ(亭主)だけにはなりたくないものだ。

どきどき、はらはらは、天の計らい?

いつも、はらはらどきどきしている。

オーダーの念珠も仏像も。お直しも。
製作物って、リスクが大きい。

できて来るまで、実物はないのだから。
計画図面はあっても虚像でしかないわけで、
頭の中でイメージは膨らんでいく。
お客様も創る側もお互いに。

できあがって現実を目の前にしたときのリアクションが、
その評価となる。
職人として、企画者としての真価が問われる。

いつも開けてみるまでわからない。
お客様はどんな評価を下されるだろう…
どんな表情になるだろう…

出来たものを見ていただいて、
「こちらですね、はいどうぞ」と売るだけの商売は、
どんなに楽だろう…
と、となりの芝生がいつも青々して見えてしまう。

でもね、人間一番恐いのは「慣れ」だと思う。

販売している姿を見ていても、
なれない新人のうちは、お客様に使われる。

お客様とどう向き合ったらよいかわからないから、
商品知識も乏しい中で、出来ることは体で奉仕することとなる。
何をどうしたらよいかわからずお客様に顎で使われる。
がぜん汗を流す。

でもそれがいい。

慣れてくると、自分が動かずに、
お客様を自分の側に引き込もうと作為的に動こうとしだす。

それでは絶対!ダメなんだ。

お金を頂くことは、至誠が必要だと思う。
それがなければ、自動販売機でよいのだから。
(最近の自販機にはおまけや当たりくじがつくこともある)
物+αなのだ。

だから、いつもどきどきはらはらしていられることは…

慣れさせない、腐らせないための天の計らいなのかもしれない。

ひらきなおり

ようやく正月のための販売員の手配が終りほっとした。

いつもながら、暮れから正月にかけては、
浅草寺への〆の詣でと初詣の人の波が押し寄せる。

向かえる側もそれなりの用意をしないと。
と思うのだけれど、毎度の事ながら気付くと年を越えている。

何もしないままスルーしてしまっても
別段どういうこともないのだが 、

除夜の鐘を聞くその瞬間まで、
「やり残し」はないかと何故もこう心が急くのだろう。

年が替わるといっても、
グレゴリオ暦上のことであってイスラム暦や和暦では、
替わるわけではない。

開き直って考え直してみれば、
昨日から今日に替わるだけのことである。

・・・なのだけれど、
忙しなく心の中では「今年中に」と「何か」を探すし、
「来年には持ち越せない」などと、膨大な仕事量を決めている。

と思いつつ、後半に入った暦を見ながら、ため息をつく。