ひやひやの夢なのだ・・・

また夢の話。

毎日わくわくドキドキの夢ばかり続く。

一昨日は、スキーですべりまくっていた。
数十年滑っていないと言うのに。
最期にはジャンプまでして、スリル満点の夢。

昨日は、怪獣に追いかけられる。
しかも、等身大ときた。
大怪獣なら、ドシンドシンと来ている間に、
鼠のようにどこかに雲隠れもできるだろうけれど、
同じ目線で追いかけられると、徹底して逃げ切るか、戦うしかない。

外ではワーワーと人の逃げ惑う喧騒さの中、
僕はと言うと、どこかの教室にバリケードをこさえて、
数人で侵入をふせいでいる。
いよいよ怪獣に見つかった。手が出た。尻尾が見えた。
まさにドアを突き破ろうとしたぎりぎりの段階。

「もう戦うしかない」

ようやく腹を決めた。

目が覚めた。

頭の上でテレビが付けっぱなしとなっていた。
どうりでうるさいわけだ。

この間観た映画が悪かったかな、「トランスフォーマー」
観ながらこれは夢に出そうだと予感が走ったけれど、
案の定ロボットが怪獣に変化して第二部を堪能させてくれた。
単純な男やなあ…

お彼岸

秋分の日の振替休日。

お彼岸の後半と言うこともあって
人の出は、天候にかかわらずよかった。

けれど、浅草にお参りに来られたのかなあ。

嬉しい反面、この期間を肝心の先祖供養に費やす時間と
しているんだろうか。

金七先生・・・

ちょうど今日は、息子たちの通う学校の文化祭。
長男への心配心と、他の息子たちの学校でのよそ行き顔を
見ておきたいと思い立ち、出かけることにした。


そこは、北千住にある男子校で「3年B組金八先生」の
ロケでも何度か使われた学校だ。
最近建て替えられたため、その面影は全くなくなってしまったと
聞いて、その校舎の下見も兼ねていた。

男子校の文化祭ほど、むさくるしいものはない。
自分も男子校上がりゆえ予想はついた。
こういうことは時代や土地柄が違っても
暗黙の伝統があるように思われた。

各教室を廻り、子供の姿を見つけようにもどこに雲隠れしたのか、
模擬店にも校庭にも影も形も見られない。
しかたなく、校舎を隅々まで散策して、
次男がアメフトの練習をしているという荒川土手に足を延ばしてみることにした。

この荒川土手も、金八先生のロケでよく使われる。
気がおかしくなるかと思われる容赦ない直射日光にさらされながら、
子供の練習姿を楽しみに歩を急ぐ。
土手の急坂も何のそのである。

深い草むらをかき分けて土手上によじ登る。
空がパッと広がった。

川と土手。
なんとも懐かしい光景だ。

トランペットの練習をする女の子、
土手沿いのサイクリング道で練習する自転車乗りたち。
絵に描いたような下町の光景。

酷暑でさえなければ、大の字になって寝転んでみたくなる。

見渡すが肝心の集団がどこにも見当たらない。
空振りだった。

空振りすると、さっきまでの元気印は消滅し、
いっきに胸のカラータイマーが点滅し始めた。

親の心子の心。

急きょ、高3の長男を連れて東京ドームに行くことになった。

本来なら受験勉強に突入中で、
そんな暇などあろうはずはないのだけれど、
どうもこの期におよんで、まだエンジンが
かかりきれない姿を心配して、
親子の話をしようと連れ出した次第なのだ。

便利なもので、ネット経由で空き状況を確認し、
コンビニでチケットを受け取って、そっと出かけた。

長男と二人でドームに行くのは、8年ぶりくらい。
小学校だった頃の彼は、ドームの大きさに度肝を抜かれつつ、
目をきらきらさせていた。帰り道も興奮は収まらず、
湯島を経由して家まで歩いて帰った。
親は昨日のように思い出す。

そんな思いに浸りながらいる親の感傷を意に介せず、
ぼくよりでかくなった息子は、無表情に席に着く。

おしだんまりを貫いていた息子も、1点リードされていた巨人が後半、
一気に逆転すると、思わず大声を出しつつもニヒルに喜びを表現していた。

「帰りはどうする?」と聞くと、
「歩いて帰る」と珍しく自分から意思表意してきた。

8年前と同じように湯島経由で帰ることにした。以前と違っていたのは、息子の足の速さと真っ暗な天神様で合格祈願をしたこと。

何話したのと心配していた母親から電話が入るが、そういえばそのために来たんだったっけ。興奮してすっかり忘れていた。

じっと見る

「働けど働けどわが暮らし… じっと手を見る」
石川啄木は歌を残し、

作家なら文化を残し、

占い師なら未来を予見し、

エンジニアなら便利さを残し、

学者は可能性を諮詢し、

ボクサーなら富を残し、

医師は命を残し、

宗教者は智慧を残し、

・・・・

こんな小さな手の中にも小宇宙がある。

今、この瞬間にも何億と言う細胞が働いて、
脳と交信を取り会いながら、

気付かれようが気付かれまいが、

良くも悪しきにも黙々と働いている…

ほんと、すごいなあ… 「手」

そろそろ・・・

敬老の日とは、法律で、
「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」
と1954年に定められたのだそうです。

長い間、社会の為につくしてきた高齢者を敬い、長寿を祝うとともに、高齢者の福祉について関心を深め、高齢者の生活の向上を図ろうという気持ちが込められているのでしょう。

という趣旨の記念日か…
ということは、この一年かけての結果報告、事業報告を
国民に知らしめるという作業があっても良いのではないのかな…
でなければ、ただ、休暇の口実としか思えないもの。

と、Booはすぐに考えてしまう。
まあ、なにごとも、意識することなしには何も始まらないからね。
けれど50年意識してきているのだから、
次の段階に入ってもいいんじゃ…
ないのかな。

最近、大変困る。そして迷う。

どの年齢から年寄りと言うのだろう…

70歳や80歳といってもバリバリの元気印
「おじいちゃん」「おばあちゃん」なんてとても言えない。

肉体的年齢を指して「敬老」なではないのかもしれない
などと考えてみたり。

まさに悩みの日だ。
さて、どうしたらよいものか…

江戸しぐさ

チンチン電車の車内を描いて、マナーの問題を取り上げている
公共広告機構のポスターをご存知だろうか。
今のマナーの悪さを是正するため、
新たに考えられた、啓蒙活動と僕は思っていた。

年毎にポスターもシリーズ化され増えてきた。

けれどこれが、江戸時代から商家に伝わってきた
処世術とは知るよしもなかった。

先日NHKを見ていると、たまたま「江戸しぐさ」を啓蒙している
伝承者の団体があることを知った。

越川禮子氏が主催する語り部集団の言を借りると
「江戸しぐさから見た江戸っ子の条件」が4つあるのだそうだ。

1.目の前の人を仏の化身と思える(相手をかけがえの無いものとしてつきあえる)

2.時泥棒をしない(断りなく相手の時間を奪うのは、弁済不能の十両の重罪)

3.肩書きを気にしない(三脱の教え)

4.遊び心をもっている(知恵比べ、腕比べを好む)

目の前の人を仏の化身と思うということには驚いた。
その前提があるからこそ「三脱の教え」となるのだ。

単に宵越しの銭はもたねえ、火事と喧嘩は江戸の華
が江戸文化なのではないこと
見方に変化が生じてきた。

江戸時代は、自分が考えていたより
はるかに文化水準の高い都市だったことを
若干なりとも感じさせられた。

異体同心 ぼくが仕事を始めた頃

最近、2社から取材を受けた。

一社は業界誌、もう一社はメジャー誌
今までも、媒体は様々だったけれど、
何度か取材していただいてきた。

おもしろいことに、質問は、だいたい同じ内容
そして、同じリアクションになることが多かった。

今でこそ歳相応の顔になったけれど、
30代や40代の頃は、業界的には、歳が若かった。
(もともと若く見られがちではあるのだが・・・)
それが責任者をやっているのだから、
仏壇屋の跡継ぎと思われてもしょうがない。
見るからに極楽とんぼだったことは言うまでもないが…

「代々こういうご商売をされてきたのですか?」
だいたい、この質問から入る。

僕が元エンジニアであり、仕事に誇りもあったし、
心から愛していた。
反面、絶対やりたくなかったのが商人だったと話すと
ほぼ、身を乗り出してこられた。

なんで畑違いの業界で起業したのか?
しかも70軒も群雄割拠している浅草に。

十中八九そんな質問になる。

「僕が学生時代からの親友を自殺で失って、
それまでの価値観が音を立てて崩れちゃったんですよ。
そのときが人生を見直すきっかけになった」

と応えると、同情はできるけど、
仕事を替える理由にはならないのでは?
とでも言いたそうな…
何ともいえぬ空気が、その場を漂う。
キョトンとしながらも、何となく納得してくれる。
そんなものかなと言う顔に変わる。

そんなバかもいるのかと思ったのかもしれないし
あくまで取材だと割り切っちゃうのかもしれない。
それとも、そんな方程式を誰もが心に持っているのかもしれない。

でも事実、自分でも不思議なのだけれど
本当にそう思っていまったのだから仕方ない…

理想の足が外れたとき、人はどう対処するのだろう
どう思い、どう動くのだろうか。
興味がある。

当時、妻や子供への責任が伴っていたら、
たぶんこの仕事への縁は生まれなかっただろう。
あらゆる縁が重なり合って今に至る縁が生まれた。

死ぬほどの心の痛みを持ちながら、
相談に乗ってやれなかったトラウマは、
ある時期まで、この仕事への原動力になっていたと言える。

電キチ

新交通システムの日暮里ー舎人線
暫く見ない間に、すでに、全線完成していた。

各駅舎の工事が急ピッチにすすんでいるようで
買い物に行っているドイトあたりにも駅が出来上がり
車を使用しなくても来れるゾと内心喜んでいた。

橋梁部分が、なかなかのスポットだと思う。

センターピアのすっきりした橋脚で
交通の邪魔にならない。

新たな路線完成間近に、
つい、電キチ(または「鉄」ともいう)の血が騒いでしまった。

僕のジンクス

夕方、懐かしいお顔に…
というより「頭」に再会した。

ツルンとしたこの頭は、
あ!やっぱり。

有名な大寺院の住職なのだが、
仲間の待ち合わせに時々当店を利用される。

つい最近も暫くお逢いしていないなあ・・・
などと考えていたばかりだから
お!と息を呑んだ。

逢いたいなあと思うと、
決まって判で押したように出会わせてくれる。
自分で驚くくらいだから、たいした予知能力でもないのだが。
ぼくとしてのジンクスなのだ。

けれど、思い続けていると、
本当によくよく出会わせてもらえるだ。

こんどは、誰を思い続けよう。
(あ!打算ではだめなんだった…)