年輪

お客様も20年お付き合いさせてもらうと
何を考えているか、話さずともわかる。

下手をすると肉親より長くお付き合いさせていただいている。
韓国俳優のヨン様がよく自分のファンをファミリーと口にするけれど
よくわかる。

僕にとっても、念珠堂に訪れてくれるゲストを
心の中ではいつもそう思うもの。
年上なら、お姉さんお兄さん、お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん
年下なら、弟、妹・・・
接している自分の心持ちにその心に染まってさえいられれば、
いくらで売ろう儲かろうなどとは、決して思えない。

「どう良くしてあげれるだろう」
「どう喜んでもらえるだろう」
「どう解決してあげれるだろう」
そんな気持ちしか湧いてこない。

逆にそんな気持ちが湧いてこないときは、自分がいけない。
まったくやりきれなくなる。

仕切りなおさないと、店を開けていても意味がない。
怠惰な仕事として店に立ちたくない。
黙っていても過ぎ去る時間をむさぼるような生き方だけはしたくない。

いつもながら、そんな思いにさせられる。

そして時々年輪を刻んだねと驚きを隠さないで励ましあえる。
そんなお互い様を言い合いたい。

ごくあたりまえのことをごく当たり前に行なえる
そんな店でありたい。

店(ここ)をかわいがっていただいて
ファンになってくださった全てのお客様に
ファミリーでありたいな。

と、つくづく思う。

懐かしい本が出てきたよ.

事務室の書棚があふれかえって雪崩が起きている。
とにかく本が多いのだ。
もうあきまへん。

がさごそ片付け始めた。
書棚をひっくり返していると、
30年近く前に買った「性格推命術」という本が出てきた。

動物占いのようではあるけれど、もう少し詳しい。
一時は、あれやこれやせっせと友人のを調べたものだ。
いつか埃にまみれていた。
改めて見ると、今更ながらよくあたっている。

ちなみに僕は、「月から来た哀愁のうさぎ」という判断。

昔月に住んでいたウサギ。地球に馴染めずどことなく落ち着きがないのも憂愁の霧がかかって見えるのも遠い故郷を思うため。特異な勘と閃きを持ち独特の世界をつくり上げる跳ねるような行動力もありますがへつらったり妥協しないために、地球人に誤解されもする。お人好しで、短気衝動的で刹那的気まぐれ皮肉屋なのに合理的な理論家。いつも喧騒の中に出かけては孤独をかみしめ明日こそはと月に帰る日を夢見るロマンチスト・・・

要するに周りからは理解されにくい気まぐれ屋ということ。
糸が切れた凧とでも言うことだろう。
思い当たるふしはありありだ。

ついでに上さんは、「機織り牛」という。

おぼろ月夜の明かりに照らされて糸を紡ぎ、丹念に機を織っては倉にしまいこむ堅実な牛。よほど切羽詰らない限り、無謀な危険を冒したりはしない・・・

要するに粘り強く超堅実なのだ。

よくまあ!切れた糸を紡いでくれている。
水と油が一緒にいるものだ。

けれど、面白いことに実姉も、
昔お世話になった先輩も同じ「機織り牛」なのだ。
どうやら僕には、ブレーキ役、修復役が
必要ということなのだろうかな・・・

そんな目でみてみると
結構、補完関係にあったりするんじゃないのかな。

皇紀

今年は何年だっけ。

知らないんだ。今の人は。
本当に?

「皇紀」

神武天皇が即位されてからの暦のこと。

皇紀2600年には、万国博覧会や東京オリンピックもこの年を祝福する為に計画されていた。もちろん戦争の影響で、中止となってしまったが。
貨幣や切手にももちろん用いられている。
宮崎県にある八紘一宇の塔もこの記念行事の一環で造られたものである。

皇紀2600年にちなんで2600形と呼ばれる型式の電車も生産された。

自分も横浜市電に2600形があったから、覚えたようなものかな。

零式艦上戦闘機(ゼロ戦)もこの年の採用。

ちなみに今年は皇紀2667年か。。。

http://r25.jp/index.php/m/WB/a/WB001120/id/200710111121?vos=nr25alsc0162002

三丁目の夕日

前作は子供を連れて観に行った。

自分が生きた昭和を説明するのに丁度良い共通言語になる。
まさしく百聞は一見にしかずである。

子供らには宮崎駿の「千と千尋」や「トトロ」を観るような奇異な時代として
あくまで物語として映るのだろう。

でもそれなりに、この時代は国が貧しいながらも、
どことなく希望に満ちた時代だったと感じたようだ。

昭和の家族がそこにはあったと映ったのだろう。

息子の一人はそれから映画にのめりこんでいった事例を見ると、
興味のきっかけをもたらした作品だったのは確かなようだ。

物語である以上、誇張部分はしかたないとしても、
自分が育った高度成長期前夜の昭和を少しばかり再発見させられるのは楽しい。

子供心にも、大人たちの話に日本が変わっていく、
「未来は明るい」と、どことなくワクワクした(できた)時代だった。

そんな感覚って取り戻せないものだろうか。
と、思いながら親は観るのだろう。

チューニング

当店は人に恵まれている。
人材の宝庫?博物館ともいえるだろうか?
まあ個性の品評会と言ういいかたもある。

元レンズ磨きのプロもいれば
下町の八百屋さんも、酒屋さんも
血液型は全て揃っているし(いたし)
超常識派もいるかと思えば、微常識派も
海の女王もいれば陸王の妻もいる。

縦横無尽の思考がここには凝縮されている。
全く違う発想が集まるから、
だから、おもしろい。

コーラスを以前やっていた。
短い期間ではあったけれど、思う存分声も出したし、
プロを交えたコンサートにも何回か参加した。
これからと言うところでやめてしまったけれど、
面白みだけは体感させてもらうことはできた。

私の声+合唱する他の男女の混声。
未経験者でも通常に考えるとそこまでは想像できる。
けれど、実際に歌う側に立ってみると、
第三の声、第四の声・・・
が、聞こえてくる。
天空から、足元から、両脇から・・・
あろうはずのないパワーに押されるように、
潜在している自分の中の何かが引き出される興奮を感じた。

ハーモニー・・・
調和・・・
歌声だけにとどまることではない。
人間関係にも、自然環境にも、学問にも、文化にも
見渡せば、いくらでも第三第四の声を響かすことのできる
ハーモニーはころがっているはずなのだ。

ただし、心を合わせるというチューニングが必要なのだが。

寿命をはかる

これが僕の寿命なのだそうだ。

Saturday, June 2, 2040
Seconds left to live…
あと1,030,069,476秒 5.4.3.2・・・

面白いのでメモリアル代わりに書き留めました。
(あくまでも遊びですから)
webの世界にはいろんなサイトがあるものです。

<The Death Clock>
http://www.deathclock.com/

Day of Birth(誕生日)
Month of Birth(誕生月)
Year of Birth(誕生年)

SEX(性別) Male/男性 Female/女性
Mode(性格) Normal/普通・Pessimistic/悲観的・Sadistic/加虐的 Optimistic/楽観的
BMI(ボディマス指数)BMI指数を入力 
Smoking Status Non-Smoker/非喫煙者 Smoker/喫煙者

ボディマス指数(BMI)はここで調べられます。
http://www.banyu.co.jp/content/patients/check/overweight/bmi.html

85歳だと考えてたよりも長生きになるなあ。

勤勉の哲学

江戸時代初期の禅僧、鈴木正三(すずきしょうざん)は「萬民徳用」の中で
「人々の心の持ち方が自由になり、人々が心の世界の中で自由に振る舞うことができるようになるためならば、南無阿弥陀仏と念仏を唱えるもよし、座禅をしてみるのもよし、さらには、そんなことは何もしなくても、毎日、自分に与えられたそれぞれの仕事に、精一杯打込んで働いていれば、それが人間として完成していくことになる。」
と、世俗的な職業に励むこと自体が、仏道修行であると説いている。

商活動イコール仏道修行
農活動イコール仏道修行・・・

日本人の行動規範には、そうした仏道修行つまり人格形成の道が
その勤勉さと深くかかわっている。

お釈迦様の生きておられた時代には、出家集団である比丘や比丘尼がおられた。
と同時に、優婆塞(うばそく)や優婆夷身(うばいしん)の男女の在家者もいたわけで、お釈迦様の言葉はそれぞれに語られたようである。

しかし、現在に伝わる経と呼ばれるものは、釈迦入滅後、弟子によって編纂されたわけで、
在家信者に語られた言葉は、そこには表されなかったと記憶している。

戒にしても律にしても、出家者のそれであって、在家信者に向かっての言葉ではなかったことを考えると、職業を懸命に勉ることが、仏道修行であると明確にあることは
在家者にとって、何より励みになることなのだと思う。

近江商人の行動規範を作った石田梅岩の石門心学(せきもんしんがく)には、
商人が儲けを生むことの正当性をしっかり謳っている。

一番やりたくなかった商人を転換させてくれた古人の思想。
ふっと思い出した。

ここも人間社会

最近メールの確認に時間がかかりすぎる。

アドレスを公表していることもあるけれど、
メーラーにフィルターをかけても
飛び込んでくる300通を越すスパンメールを処理するのに
最近は辟易してきた。
海外からのメールもうるさくなってきた。

お客様からの大事なメールを読み落とさないようにと思うから、
読みたくもない下品なコピーも一応は目に障る。
どうせいやでも時間がとられるならその中からも、
人を惹きつける方法とは…
などと、コピーの秘訣を盗もうかとも思うけれど、
あまりの下品さに途中でいやになる。

人間社会である以上、表もあれば裏もある。
ネット社会も人間社会そのものだからこうなるのは
しかたないことだけれど、健全でないことは確かだな。

ネットいじめなんていうのもあるんだね。
まあ道具をどう使うかは、人の自由度だとは思うけれど…

でもそろそろ大人の段階に育っても良いと思うけれど。

GNPかGNHか

西をネパール、南をインド、北を中国に挟まれて
つい先まで鎖国を国策としていたヒマラヤの小国ブータン

仏教(チベット仏教)を国境とした政教一致の国。

ブータンの国名こそ、うっすら聞いたことはあっても、
その国が何処に位置し、何を国是としているのか、GNPはどうなのか、
どういう歴史をもつのか、民族は、政治体制は・・・・

などなど、意外と知られていない。
かく言う僕も全くと言ってよいほど未知の国のひとつである。

興味をもったのは仏教国であることがきっかけだった。

何よりこの国を見ていると、古日本を連想するのに難しくない。

物質の豊かさを幸福の価値観とし信じ、
高度成長を果たしてきた日本の今を見るとき、
何か大事なものを失った感を払拭しきれないのは、
共通した意識ではないだろうか。

何よりここブータンの国是はGNPの成長を願うよりも
国民総幸福量つまりGNHを追求する。

仏教を理解せずにはこの国の本旨を理解することは難しいだろうとは思う。

物質に価値を置くのではなく
どれだけ国民が幸福つまり、心の豊かさを持てたかなのである。

ブータンの国民総幸福量の概念には次のように説かれている。
「目的と手段を混同してはいけない。
経済成長自体が国家の目標であってはならない。

目標はただひとつ、国民の幸せに尽きる。経済成長は幸せを求める
ために必要な数多い手段のうちのひとつでしかない。そして、富の
増加が幸福に直接つながると考えるのは間違いである。」
(「選択」「ブータン発「国民総幸福量」という価値観」より)

大国に挟まれながらも地理的な優位性から独自の発展を許された国と
島国ながらも地政学的にも怒涛の世界史の中に飲み込まれざるを得なかった日本を
同列で比較することは、せんない部分はもちろんある。

心の豊かさを国の発展の目的に置いた具体的に発展してきた国。

何か再発見できるものもあるのではないかと思う。

タイムマシン

家を大掃除していると、
あれ?なにこれ、
出てくるわ出てくるわ・・・

インスタントカメラがあちことから。
しめて5台も。

旅先や、催事で急きょカメラが必要になって買ったものだ。
けれど、
取り終わった時点で、まだ数枚残っていたため、
もう少しとっておいて使い切ろうと、
そのまま引き出しの奥に眠ってしまったのだ。

埃をかぶって、くもの巣らしきものまでついている。
カメラ屋に持ち込むとむずかしい顔。
「これ10年を過ぎていますね」
10年と言えば一昔。
末っ子が12歳だから…少なくとも2歳?
「覚悟してます」と現像をお願いした。

それが、この写真。

保育園(浄土宗のお寺)での写真だった。
末っ子はまだ赤ちゃん!0歳かあ。

切り取られた画は時を超えてようやく陽の目を見た。