金七先生・・・

ちょうど今日は、息子たちの通う学校の文化祭。
長男への心配心と、他の息子たちの学校でのよそ行き顔を
見ておきたいと思い立ち、出かけることにした。


そこは、北千住にある男子校で「3年B組金八先生」の
ロケでも何度か使われた学校だ。
最近建て替えられたため、その面影は全くなくなってしまったと
聞いて、その校舎の下見も兼ねていた。

男子校の文化祭ほど、むさくるしいものはない。
自分も男子校上がりゆえ予想はついた。
こういうことは時代や土地柄が違っても
暗黙の伝統があるように思われた。

各教室を廻り、子供の姿を見つけようにもどこに雲隠れしたのか、
模擬店にも校庭にも影も形も見られない。
しかたなく、校舎を隅々まで散策して、
次男がアメフトの練習をしているという荒川土手に足を延ばしてみることにした。

この荒川土手も、金八先生のロケでよく使われる。
気がおかしくなるかと思われる容赦ない直射日光にさらされながら、
子供の練習姿を楽しみに歩を急ぐ。
土手の急坂も何のそのである。

深い草むらをかき分けて土手上によじ登る。
空がパッと広がった。

川と土手。
なんとも懐かしい光景だ。

トランペットの練習をする女の子、
土手沿いのサイクリング道で練習する自転車乗りたち。
絵に描いたような下町の光景。

酷暑でさえなければ、大の字になって寝転んでみたくなる。

見渡すが肝心の集団がどこにも見当たらない。
空振りだった。

空振りすると、さっきまでの元気印は消滅し、
いっきに胸のカラータイマーが点滅し始めた。

親の心子の心。

急きょ、高3の長男を連れて東京ドームに行くことになった。

本来なら受験勉強に突入中で、
そんな暇などあろうはずはないのだけれど、
どうもこの期におよんで、まだエンジンが
かかりきれない姿を心配して、
親子の話をしようと連れ出した次第なのだ。

便利なもので、ネット経由で空き状況を確認し、
コンビニでチケットを受け取って、そっと出かけた。

長男と二人でドームに行くのは、8年ぶりくらい。
小学校だった頃の彼は、ドームの大きさに度肝を抜かれつつ、
目をきらきらさせていた。帰り道も興奮は収まらず、
湯島を経由して家まで歩いて帰った。
親は昨日のように思い出す。

そんな思いに浸りながらいる親の感傷を意に介せず、
ぼくよりでかくなった息子は、無表情に席に着く。

おしだんまりを貫いていた息子も、1点リードされていた巨人が後半、
一気に逆転すると、思わず大声を出しつつもニヒルに喜びを表現していた。

「帰りはどうする?」と聞くと、
「歩いて帰る」と珍しく自分から意思表意してきた。

8年前と同じように湯島経由で帰ることにした。以前と違っていたのは、息子の足の速さと真っ暗な天神様で合格祈願をしたこと。

何話したのと心配していた母親から電話が入るが、そういえばそのために来たんだったっけ。興奮してすっかり忘れていた。

じっと見る

「働けど働けどわが暮らし… じっと手を見る」
石川啄木は歌を残し、

作家なら文化を残し、

占い師なら未来を予見し、

エンジニアなら便利さを残し、

学者は可能性を諮詢し、

ボクサーなら富を残し、

医師は命を残し、

宗教者は智慧を残し、

・・・・

こんな小さな手の中にも小宇宙がある。

今、この瞬間にも何億と言う細胞が働いて、
脳と交信を取り会いながら、

気付かれようが気付かれまいが、

良くも悪しきにも黙々と働いている…

ほんと、すごいなあ… 「手」

そろそろ・・・

敬老の日とは、法律で、
「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」
と1954年に定められたのだそうです。

長い間、社会の為につくしてきた高齢者を敬い、長寿を祝うとともに、高齢者の福祉について関心を深め、高齢者の生活の向上を図ろうという気持ちが込められているのでしょう。

という趣旨の記念日か…
ということは、この一年かけての結果報告、事業報告を
国民に知らしめるという作業があっても良いのではないのかな…
でなければ、ただ、休暇の口実としか思えないもの。

と、Booはすぐに考えてしまう。
まあ、なにごとも、意識することなしには何も始まらないからね。
けれど50年意識してきているのだから、
次の段階に入ってもいいんじゃ…
ないのかな。

最近、大変困る。そして迷う。

どの年齢から年寄りと言うのだろう…

70歳や80歳といってもバリバリの元気印
「おじいちゃん」「おばあちゃん」なんてとても言えない。

肉体的年齢を指して「敬老」なではないのかもしれない
などと考えてみたり。

まさに悩みの日だ。
さて、どうしたらよいものか…

江戸しぐさ

チンチン電車の車内を描いて、マナーの問題を取り上げている
公共広告機構のポスターをご存知だろうか。
今のマナーの悪さを是正するため、
新たに考えられた、啓蒙活動と僕は思っていた。

年毎にポスターもシリーズ化され増えてきた。

けれどこれが、江戸時代から商家に伝わってきた
処世術とは知るよしもなかった。

先日NHKを見ていると、たまたま「江戸しぐさ」を啓蒙している
伝承者の団体があることを知った。

越川禮子氏が主催する語り部集団の言を借りると
「江戸しぐさから見た江戸っ子の条件」が4つあるのだそうだ。

1.目の前の人を仏の化身と思える(相手をかけがえの無いものとしてつきあえる)

2.時泥棒をしない(断りなく相手の時間を奪うのは、弁済不能の十両の重罪)

3.肩書きを気にしない(三脱の教え)

4.遊び心をもっている(知恵比べ、腕比べを好む)

目の前の人を仏の化身と思うということには驚いた。
その前提があるからこそ「三脱の教え」となるのだ。

単に宵越しの銭はもたねえ、火事と喧嘩は江戸の華
が江戸文化なのではないこと
見方に変化が生じてきた。

江戸時代は、自分が考えていたより
はるかに文化水準の高い都市だったことを
若干なりとも感じさせられた。

異体同心 ぼくが仕事を始めた頃

最近、2社から取材を受けた。

一社は業界誌、もう一社はメジャー誌
今までも、媒体は様々だったけれど、
何度か取材していただいてきた。

おもしろいことに、質問は、だいたい同じ内容
そして、同じリアクションになることが多かった。

今でこそ歳相応の顔になったけれど、
30代や40代の頃は、業界的には、歳が若かった。
(もともと若く見られがちではあるのだが・・・)
それが責任者をやっているのだから、
仏壇屋の跡継ぎと思われてもしょうがない。
見るからに極楽とんぼだったことは言うまでもないが…

「代々こういうご商売をされてきたのですか?」
だいたい、この質問から入る。

僕が元エンジニアであり、仕事に誇りもあったし、
心から愛していた。
反面、絶対やりたくなかったのが商人だったと話すと
ほぼ、身を乗り出してこられた。

なんで畑違いの業界で起業したのか?
しかも70軒も群雄割拠している浅草に。

十中八九そんな質問になる。

「僕が学生時代からの親友を自殺で失って、
それまでの価値観が音を立てて崩れちゃったんですよ。
そのときが人生を見直すきっかけになった」

と応えると、同情はできるけど、
仕事を替える理由にはならないのでは?
とでも言いたそうな…
何ともいえぬ空気が、その場を漂う。
キョトンとしながらも、何となく納得してくれる。
そんなものかなと言う顔に変わる。

そんなバかもいるのかと思ったのかもしれないし
あくまで取材だと割り切っちゃうのかもしれない。
それとも、そんな方程式を誰もが心に持っているのかもしれない。

でも事実、自分でも不思議なのだけれど
本当にそう思っていまったのだから仕方ない…

理想の足が外れたとき、人はどう対処するのだろう
どう思い、どう動くのだろうか。
興味がある。

当時、妻や子供への責任が伴っていたら、
たぶんこの仕事への縁は生まれなかっただろう。
あらゆる縁が重なり合って今に至る縁が生まれた。

死ぬほどの心の痛みを持ちながら、
相談に乗ってやれなかったトラウマは、
ある時期まで、この仕事への原動力になっていたと言える。

電キチ

新交通システムの日暮里ー舎人線
暫く見ない間に、すでに、全線完成していた。

各駅舎の工事が急ピッチにすすんでいるようで
買い物に行っているドイトあたりにも駅が出来上がり
車を使用しなくても来れるゾと内心喜んでいた。

橋梁部分が、なかなかのスポットだと思う。

センターピアのすっきりした橋脚で
交通の邪魔にならない。

新たな路線完成間近に、
つい、電キチ(または「鉄」ともいう)の血が騒いでしまった。

僕のジンクス

夕方、懐かしいお顔に…
というより「頭」に再会した。

ツルンとしたこの頭は、
あ!やっぱり。

有名な大寺院の住職なのだが、
仲間の待ち合わせに時々当店を利用される。

つい最近も暫くお逢いしていないなあ・・・
などと考えていたばかりだから
お!と息を呑んだ。

逢いたいなあと思うと、
決まって判で押したように出会わせてくれる。
自分で驚くくらいだから、たいした予知能力でもないのだが。
ぼくとしてのジンクスなのだ。

けれど、思い続けていると、
本当によくよく出会わせてもらえるだ。

こんどは、誰を思い続けよう。
(あ!打算ではだめなんだった…)

十一面観音と

難波敦朗氏画の墨絵。
正しくは十一面千手観音菩薩だが、
開店のとき記念に頂戴した絵だ。

仏画が好きで30年、事あるごとに見てきた。

気が付くと、十一面観音が、
あるときやたらと身の回りに多いことに気づいた。
気づきがめばえると、輪をかけて意識しだすようである。

正面のみから眺めるのではなく
横は当然のこと、真後ろも見たくなる真上からも
真下からも除いてみたくなる。
国宝だ重要文化財だというだけでなく
お寺にあるものですらひっくり返すわけにはいかないのだから、
ないものねだりと言わざるを得ない、
だだっこのようなものであると心得てはいる。

さておき、どうして十一面観音に心が惹かれると
心の奥底で感じていてもほのかな恋心であって、
誰に口にするわけでもなかった。

「あなたは十一面観音様がお守り下さっていらっしゃるわね…」

と、霊感の強い尼さんやお坊さん、霊能者と言う方々から
続けざまに言われたことがある。
口裏を合わそうにも、それぞれ僕を通じてしか全く面識がないのだから
どう疑ってかかってもどうしようもない。
語られた言葉は、事実は事実なのだ。

八方に目を配らないとならないか…
千手まで増えちゃったから、
隅々まで手を尽くさないといけないということか…

などと、思い込むことにした。

10年前の話だ。

このあとネットの仕事に手を出すことになり、
文字通り昼夜関係なく動き回ることになった。

最近、日蓮宗の行者さんに
「この絵は、心がはいっているなあ…すごいよ」
と、久しぶりに感動の声をいただいた。
そして「がんばってね」

どうやら…
まだ暫くは、休ませてはくれないようだ。

共に生きる

「この間、脳梗塞やっちゃってね…」
「足が上がらなくてね…」
「腫瘍が見つかっちゃってさあ…」
「最近、老眼で目がみえないのよ…」
店に、訪ねてくださるお客様との会話。
すこぶる多い健康の話題。

黒々としていた御髪は、すっかり初冬の富士のように白くなり、
つやつやのお顔も、深く年輪が刻まれるようになり、
僕を誰かと違えて話こんでみたり、
20年、30年前には、若々しくいたお客さまも、
時の経過は容赦なく等しく、老いというレタッチを加えている。

仏壇という商材相手ゆえに若いときは、
背伸びをしながらの会話が多かった。

足が痛いというのは、どう痛いのか。
目が見えないとどういう心持ちになるのか。
足を引きずってみたり、目に幕を張ってみたり、
実験したり想像しながら、お年寄りの心痛に同調できるよう努力した。

可愛がってくださった大先輩たちは、
順次世を去り、現役を退く年代になった。

まわりの様相も変化した。
会話していてもどんどん等身大の内容に変化していた。
努力するまでもなく、痛みは痛みとして、
つらさはつらさとして、自分も感じるような年齢になっていた。

「諸行無常の響きあり」と詠われているとおり、
天体からミクロの世界まで、変化しない物は、
何一つないのであって、老いさらばえるのは当然の事なのだ。

変化しないものがあるとしたら、
それこそ妖怪変化の口だろうと思うのではあるが、
僕の感覚の中には、実像が存在しなかった。

心のどこかに無常を受け入れていない部分があったのだろう。
これも執着か…。

人の振り見て…で、
上さんとの会話に「あの芸能人ふけたねえ」なんて言おうものなら、
「大して変わらないよ」おまえも鏡見てみろとばかりに、
たしなめられてしまうわけで、
「時」というレールは同じ向きに敷いてあることに気付かされるのだ。

自然の移ろいを当然と受け入れるように、

青春から朱夏となり、過ぎれば白秋、黒冬に移る。
刻まれる年輪もごく自然のこととして受け入れ、
ともに成長するお客様を鏡として、受け入れていくことが楽しみとなる。

これが商売の妙味かなと少し感じるこの頃だ。