江戸しぐさ

チンチン電車の車内を描いて、マナーの問題を取り上げている
公共広告機構のポスターをご存知だろうか。
今のマナーの悪さを是正するため、
新たに考えられた、啓蒙活動と僕は思っていた。

年毎にポスターもシリーズ化され増えてきた。

けれどこれが、江戸時代から商家に伝わってきた
処世術とは知るよしもなかった。

先日NHKを見ていると、たまたま「江戸しぐさ」を啓蒙している
伝承者の団体があることを知った。

越川禮子氏が主催する語り部集団の言を借りると
「江戸しぐさから見た江戸っ子の条件」が4つあるのだそうだ。

1.目の前の人を仏の化身と思える(相手をかけがえの無いものとしてつきあえる)

2.時泥棒をしない(断りなく相手の時間を奪うのは、弁済不能の十両の重罪)

3.肩書きを気にしない(三脱の教え)

4.遊び心をもっている(知恵比べ、腕比べを好む)

目の前の人を仏の化身と思うということには驚いた。
その前提があるからこそ「三脱の教え」となるのだ。

単に宵越しの銭はもたねえ、火事と喧嘩は江戸の華
が江戸文化なのではないこと
見方に変化が生じてきた。

江戸時代は、自分が考えていたより
はるかに文化水準の高い都市だったことを
若干なりとも感じさせられた。

異体同心 ぼくが仕事を始めた頃

最近、2社から取材を受けた。

一社は業界誌、もう一社はメジャー誌
今までも、媒体は様々だったけれど、
何度か取材していただいてきた。

おもしろいことに、質問は、だいたい同じ内容
そして、同じリアクションになることが多かった。

今でこそ歳相応の顔になったけれど、
30代や40代の頃は、業界的には、歳が若かった。
(もともと若く見られがちではあるのだが・・・)
それが責任者をやっているのだから、
仏壇屋の跡継ぎと思われてもしょうがない。
見るからに極楽とんぼだったことは言うまでもないが…

「代々こういうご商売をされてきたのですか?」
だいたい、この質問から入る。

僕が元エンジニアであり、仕事に誇りもあったし、
心から愛していた。
反面、絶対やりたくなかったのが商人だったと話すと
ほぼ、身を乗り出してこられた。

なんで畑違いの業界で起業したのか?
しかも70軒も群雄割拠している浅草に。

十中八九そんな質問になる。

「僕が学生時代からの親友を自殺で失って、
それまでの価値観が音を立てて崩れちゃったんですよ。
そのときが人生を見直すきっかけになった」

と応えると、同情はできるけど、
仕事を替える理由にはならないのでは?
とでも言いたそうな…
何ともいえぬ空気が、その場を漂う。
キョトンとしながらも、何となく納得してくれる。
そんなものかなと言う顔に変わる。

そんなバかもいるのかと思ったのかもしれないし
あくまで取材だと割り切っちゃうのかもしれない。
それとも、そんな方程式を誰もが心に持っているのかもしれない。

でも事実、自分でも不思議なのだけれど
本当にそう思っていまったのだから仕方ない…

理想の足が外れたとき、人はどう対処するのだろう
どう思い、どう動くのだろうか。
興味がある。

当時、妻や子供への責任が伴っていたら、
たぶんこの仕事への縁は生まれなかっただろう。
あらゆる縁が重なり合って今に至る縁が生まれた。

死ぬほどの心の痛みを持ちながら、
相談に乗ってやれなかったトラウマは、
ある時期まで、この仕事への原動力になっていたと言える。

電キチ

新交通システムの日暮里ー舎人線
暫く見ない間に、すでに、全線完成していた。

各駅舎の工事が急ピッチにすすんでいるようで
買い物に行っているドイトあたりにも駅が出来上がり
車を使用しなくても来れるゾと内心喜んでいた。

橋梁部分が、なかなかのスポットだと思う。

センターピアのすっきりした橋脚で
交通の邪魔にならない。

新たな路線完成間近に、
つい、電キチ(または「鉄」ともいう)の血が騒いでしまった。

僕のジンクス

夕方、懐かしいお顔に…
というより「頭」に再会した。

ツルンとしたこの頭は、
あ!やっぱり。

有名な大寺院の住職なのだが、
仲間の待ち合わせに時々当店を利用される。

つい最近も暫くお逢いしていないなあ・・・
などと考えていたばかりだから
お!と息を呑んだ。

逢いたいなあと思うと、
決まって判で押したように出会わせてくれる。
自分で驚くくらいだから、たいした予知能力でもないのだが。
ぼくとしてのジンクスなのだ。

けれど、思い続けていると、
本当によくよく出会わせてもらえるだ。

こんどは、誰を思い続けよう。
(あ!打算ではだめなんだった…)

十一面観音と

難波敦朗氏画の墨絵。
正しくは十一面千手観音菩薩だが、
開店のとき記念に頂戴した絵だ。

仏画が好きで30年、事あるごとに見てきた。

気が付くと、十一面観音が、
あるときやたらと身の回りに多いことに気づいた。
気づきがめばえると、輪をかけて意識しだすようである。

正面のみから眺めるのではなく
横は当然のこと、真後ろも見たくなる真上からも
真下からも除いてみたくなる。
国宝だ重要文化財だというだけでなく
お寺にあるものですらひっくり返すわけにはいかないのだから、
ないものねだりと言わざるを得ない、
だだっこのようなものであると心得てはいる。

さておき、どうして十一面観音に心が惹かれると
心の奥底で感じていてもほのかな恋心であって、
誰に口にするわけでもなかった。

「あなたは十一面観音様がお守り下さっていらっしゃるわね…」

と、霊感の強い尼さんやお坊さん、霊能者と言う方々から
続けざまに言われたことがある。
口裏を合わそうにも、それぞれ僕を通じてしか全く面識がないのだから
どう疑ってかかってもどうしようもない。
語られた言葉は、事実は事実なのだ。

八方に目を配らないとならないか…
千手まで増えちゃったから、
隅々まで手を尽くさないといけないということか…

などと、思い込むことにした。

10年前の話だ。

このあとネットの仕事に手を出すことになり、
文字通り昼夜関係なく動き回ることになった。

最近、日蓮宗の行者さんに
「この絵は、心がはいっているなあ…すごいよ」
と、久しぶりに感動の声をいただいた。
そして「がんばってね」

どうやら…
まだ暫くは、休ませてはくれないようだ。

共に生きる

「この間、脳梗塞やっちゃってね…」
「足が上がらなくてね…」
「腫瘍が見つかっちゃってさあ…」
「最近、老眼で目がみえないのよ…」
店に、訪ねてくださるお客様との会話。
すこぶる多い健康の話題。

黒々としていた御髪は、すっかり初冬の富士のように白くなり、
つやつやのお顔も、深く年輪が刻まれるようになり、
僕を誰かと違えて話こんでみたり、
20年、30年前には、若々しくいたお客さまも、
時の経過は容赦なく等しく、老いというレタッチを加えている。

仏壇という商材相手ゆえに若いときは、
背伸びをしながらの会話が多かった。

足が痛いというのは、どう痛いのか。
目が見えないとどういう心持ちになるのか。
足を引きずってみたり、目に幕を張ってみたり、
実験したり想像しながら、お年寄りの心痛に同調できるよう努力した。

可愛がってくださった大先輩たちは、
順次世を去り、現役を退く年代になった。

まわりの様相も変化した。
会話していてもどんどん等身大の内容に変化していた。
努力するまでもなく、痛みは痛みとして、
つらさはつらさとして、自分も感じるような年齢になっていた。

「諸行無常の響きあり」と詠われているとおり、
天体からミクロの世界まで、変化しない物は、
何一つないのであって、老いさらばえるのは当然の事なのだ。

変化しないものがあるとしたら、
それこそ妖怪変化の口だろうと思うのではあるが、
僕の感覚の中には、実像が存在しなかった。

心のどこかに無常を受け入れていない部分があったのだろう。
これも執着か…。

人の振り見て…で、
上さんとの会話に「あの芸能人ふけたねえ」なんて言おうものなら、
「大して変わらないよ」おまえも鏡見てみろとばかりに、
たしなめられてしまうわけで、
「時」というレールは同じ向きに敷いてあることに気付かされるのだ。

自然の移ろいを当然と受け入れるように、

青春から朱夏となり、過ぎれば白秋、黒冬に移る。
刻まれる年輪もごく自然のこととして受け入れ、
ともに成長するお客様を鏡として、受け入れていくことが楽しみとなる。

これが商売の妙味かなと少し感じるこの頃だ。

麝香…

「何…これ~~」

店の誰もが始めてこの香りに触れるとき
発する第一声だ。

麝香(じゃこう)ムスクともいう。
麝香鹿の香嚢本体である。
ここからとれる精油が、俗に言う媚薬などとも呼ばれる。

ワシントン条約の網にもかっかっているから
入手困難な状況。

お香の材料って、この先どうなるのかなあ・・・

彼岸花

彼岸の月。

墨田川沿いの公園の花壇に咲き乱れていた彼岸花。

先の台風が、ほとんど吹き飛ばしてしまっていた。

毒々しくも感じるほどの彼岸花の赤。

我が家では、
彼岸花を摘んで帰るのはご法度だったことを想い出す。

子供のころ、父の墓参りに横浜から小平の田舎まで
母に連れられて秋の彼岸に毎年出かけていた。

東横線で渋谷に出て、
迷い迷いしながら、国鉄に乗り換え、
当時は西武新宿線の始発駅だった高田馬場駅まで出る。
ここからがまた長かった。

小平が田舎?なんて思われるだろうが、
当時…昭和30年後半の西武新宿線は、新宿を過ぎると、
とたんに郊外の風景に変化した。
まだまだ、武蔵野の面影が子供心にも理解できるほど、
緑は多かった。

田無駅で鈍行に乗り換えるが、これがなかなか来ない。
枕木に生えるぺんぺん草を見つめたり、
視界を遮る何ものもない真っ青な空を、
飛び交うとんびの姿を見つめたり、
暫くホームで姉と遊び疲れた頃、
ようやく目的の電車がトコトコと入線する。

なんとものんびりした牧歌的な風景だった。

子供心にも遠くに来てしまったと、旅情を味わったものだ。

花小金井の駅からさほど遠くないところに墓所はあった。

線路脇に咲く赤い花を摘んでいけばよいのに、
わざわざ、花屋によって生花を買っていくのが不思議でならなかった。
あまりに不思議で一度聞いたことがあった。

母はいぶかしい顔をしながら、
「これは摘んじゃだめなの」

母にたしなめられた。

それが、後々、彼岸花ということを知った。

何故摘んではいけないのか、未だに理解していないのだが…
母には「死者の花」と刷り込まれていたようだった。
(墓参りなのにね)

だから、彼岸花を見るたびに、
その時の光景がふと浮んでくる。

肌で感じる

ネットで販売を創めたのが2000年の7月だから…
丸7年経ったことになる。
実は、1996年にカオリ・ドットコムという店名で、
ドメインも取得し、サーバーも依頼し、
開店準備をしていた。

訳あって、4年遅れで再スタートということに相成った。
遅れた理由は、業務委託先と連携が上手く取れなかったためだった。
全て整っての仕切り直しというのは、エネルギーが要るもので、
なかなか再スタートのスイッチを押せないものだ。

ECの世界もまだまだのどかな時代で、
黎明期にありがちな
共存共栄、共に盛り立てていこうとする気概に溢れていた。
そんな雰囲気に押されるように、
再スタートを切ることができた。

躊躇していた4年間にECの環境は大きく変化していた。
第一世代(自分ではそう呼んでいる)の先駆者に成功事例が続出し
「ネットでは物が売れる」と実しやかにマスコミも取り上げはじめていた。

いけいけムードが醸造され初めてきたということだ。

しかし、まだまだ古きよき時代の牧歌的ムードも残っていて
独特の世界があった。
今のように初めからシステマチックであったり、
スパンが横行するこんな時代だったら、

果たして手を出す気になっただろうか。

他人任せで運営を考えていた反省から、
この7年は全て一人でこなしてきた。

一人でこなすと言うことは、何から何までということで
いっさい業務委託はしないということで、両刃の剣だ。

一人で運営している一番の利点は、お客様の動向が店に立つより
肌身に沁みて感じさせられるということ。

困るのは、
時間がとにかくない。
時間の速度が速すぎる。
独り言が多くなった。

浅草の店には、ネット経由でお出でいただいたお客様が
目に見えて多くなっている。

主従で考えるならば、明らかに過渡期にある。
店舗主導とは、考えにくくなっている。

導入としてのネットは、
もう欠かすことのできないツールとなっているのだ。

観音の原点

母は偉大だと思う。

「子供が大きくなってきたら、何考えているのかわからない」
4人の息子ドモは、思春期ということだろうか、
母親には理解困難になってきた。
あいにく母親の味方が当家にはいないものだから、
相談相手は俄然、僕一人となる。

中学、高校時代の自分はどうだったかなと想い出す。
たしかに一筋縄ではいかなかっただろう。

親と同伴するなんて考えられないことだったし、
まともに受け答えすることもなかったような気がする。

男の子は、お母さんに対しシャイなんだよね。

小学校時代のようにはいかない接し方に、
母親としては戸惑い、また寂しいのだろう。
でも文句を言いながらも、
料理を作ったり、世話を欠かさないんだから…

母親は、すごいと思う。

観音様の姿に母親をダブらせる気持ちが
痛いほどわかる。