修理にて

一見すると判らないと思う。
けれど、こんなでたらめな作り方…

最終形がそれらしくあればOKじゃあないんだ。

ボサ(円錐形のパーツ)を逆につけて
中糸は釣り糸のテグスで通し
ネックレスを念珠に仕立て替えするとき、
1mmもない玉穴のには、しかたなく取る方法ではあるけれど、

充分穴も大きくしっかりした糸を通せるのに、
切れやすいテグスを通す?
考えられない…

玉がかわいそう…

長いものにはまかれろ?

上さんが食後にちらっと言った言葉。

「去年までは、花火の音が聞こえるとジットしていられなかったのに、
今年は花火が終わるまで外も見るきがしなかったわ」

目の前の通りからも、ビルの屋上に出ても見えていた光景が、
どんどん環境の変化で遠いものになってしまったこともあるけれど、
ぼくも今年は、若者の乱痴気騒ぎの町になるのがあまりにも目に付いてしまい、
早々に現場から辞退してしまった。

決して歳のせいとは思うまい。

店の敷地内でも10人近くの若者が占拠して、
なにやら真昼間から騒ぎ放題だった。

まあ、開放感に浸りたい気持ちも、わからないでもないのだけれど、
時と場所を考えろと、だんだんと腹立たしくなって、
怒鳴りに表に出たとたん、「ごめんなさい」と数人に謝られてしまった。

なんだよ、いい子じゃん。
これで、トーンが落ちてしまった。

一人一人では状況を感知している子もいるのに、
まとまると、集団ヒステリック状況を装わなければならないの?

見た目は超現代っ子でも、中身は長いものには巻かれろ的日本人。

全く変化してないじゃん。

と、不思議な思いに駆られたTON店長なのであったのでした。

寝ても覚めても

何にでも興味を持つのは僕の良くも悪くも特徴。
多少のばらつきがあるけれど、長い付き合いになる。

念珠作りも仕事と言えば仕事なのだけれど、
そう思いながら製作したことはない。

趣味というと語弊があるが…
ようするに好きの延長なのだ。

儲けようと言う気はないし、
会社を大きくしようと言う気もない。

こういう人が、株式会社を何故作ったのと時々考えちゃうが、
立ち上げた当時は、社会的信用と言うことが
一番だったからだけなのだ。

株式会社というくくり以外で、
自分の考えにあった企業形態があったら
とっとと作り変えたいと思っている。

まだまだ創りたいものがフツフツ湧いてくる。

念ずれば…

「念ずれば花開く」とは坂村真民さんの有名な詩であるが
ぼくは、「いい言葉」に止まらず、心底信じている

「念ずれば通じる」とか「祈りはかなえられる」とか、
素直に信じる。

はじめからそう思えるようになったわけではないのだが、
この仕事を始めてからというもの、
不思議なことに数々出会ってきた。

裏付ける事実が腐るほどあるのだ。

ゆえに、
偶然で結果が出たとはとても思えない人なのである。

金の腕輪

18kの腕輪。
70gを越えるとちょっと重い。

持込だったけれど、ムクの玉はあまり向かないように思う。

18kなら、中空の肉厚が丁度良いかな。

いい勉強になった。

仕事柄・・・

すぐ見破られてしまう。

こちらの根が素直なせいか…
はたまた、相手の洞察力が鋭いのか…

どちらも当たりのような気もする。

仕事柄、お客様にはスピリチュアルなことに造詣の深い方が多い。
古典的に言えば、霊力の強い方とか行者ともいう。

そうでなくとも直観力や洞察力に長けている。
電話一本で、すぐに見破られてしまう。

ルルルルル・ルルルルル・・・電話がなる。

店員「店長ー○○さまですよー」

僕「あ!あのお客様だ」

相手が、誰とわかると必ず深呼吸をする。
そして、フーーーーっと吐き出す。
心のもやもやをなかったことにしようとする悪あがきだ。

で、元気良く「あ!○○さん?」と電話を受ける。

「店長さん元気?大丈夫?」
ぜーんぶばれちゃった?!

日頃が大事と言うことか…

日々是好日

七宝の念珠

経典に著されている七宝。

七つの宝。
金、銀、瑠璃、ハリ、蝦蛄、瑪瑙、珊瑚が

一堂に会するとこういう念珠になる。

きれいだーー!

浅草猫

ナーゴ、ナーゴうるさいね。
すし屋のお魚狙いかな。

キョロキョロと周りを伺ったかと思ったら・・・

知ーーらないっと。

感覚の不思議

以前は、毎月のように京都往還を、夜行日帰りで続けていた。
もちろん、自動車でのこと。

帰って店に立つ時間は決まっているし、
訪ねなければならない寺も時間が決まっていた。
となれば、強行軍にならざるを得なかった。

店のシャッターを閉めると同時に車を駆って、東名をひた走った。

海老名のサービスエリアで一息入れて、
あとはノンストップで大津の休憩所まで飛ばす。

身支度を整えて、ちょっと仮眠して日の出を待つ。

丸一日、数軒の寺を訪ね終えると、
とんぼ返りで京都南のICから東京に向かう。
途中、回転寿司のコーナーのあったサービスエリアで一息した。

岡崎を過ぎる頃には、ホッとした隙間に睡魔が忍び込むことになる。

そういう時は、コーヒーもガムも何の役に立たなくなっている。

ついに最期の手段となる。
知りうる限りの曲を歌い続けるのだ。
決まって70年代の曲になってしまうのだが…

何曲か、口ずさみながらいると、突然どっと涙に襲われる。
っと、アドレナリンが出るのか、すっかり眠気は飛んでいる。

琴線のどこに触れたのかわからないが、
何処かのフレーズでヒットしたのだろう。

忘れていたはずの感覚が泉のように止まることなく、
噴出してくる不思議さを感じたものだ。
(こんな走りは真似しないで欲しい)

トトロを始めて観た時の驚きは格別のものがあった。
支持する感覚は年代によってずいぶん異なるのだろうと思うけれど、
高度成長期を受身ながら肌で感じ取ってきた僕らの世代には、
どこにでもあった光景であり、懐かしさにほろりと来た。

香りの商売上さまざまな香りを試していると、
勝手に記憶の扉が開いてしまう。しかもごく限られた期間の記憶が。

臭気判定士の勉強をしていたときに、脳ミソの海馬組織に蓄積されている
香りは古い記憶にダイレクトに作用することを知った。

考えると、人の感覚って面白いものだと思う。

歴史の中

20歳の頃だったか、山崎朋子の「サンダカン八番娼館」の劇を観た。
感動した。
同時に、そうした運命に翻弄された女性の数は、
生半可な人数ではなかったことも同時に知って唖然とした。

貧農の口減らしに身を売られ海外の娼婦館「サンダカン八番娼館」で働く、
実在の女性をモデルにした物語である。

元からゆきさんだった老婆と山崎の劇的出会いから、
明治期、貧しかった日本をあとに東南アジアに娼婦として身売りされていく「からゆきさん」を調査、取材し、一冊の本にまとめた。

日本に出稼ぎにくる外国人女性をさして「じゃぱゆきさん」
などという造語があるが「からゆき」つまり唐行き(からゆき)に対しての造語なのである。

最近、日本の近代史に興味があっていろいろ読みかじりしていると
海外に居住していた日本人への興味が高まざるを得なくなってきたのだ。

でも、さらに時代をさかのぼれば、山田長政に代表される、
古の昔にも日本を離れアジアを舞台に活躍した日本人がいた。

その数は予想をはるかに上回る規模であったようだ。

戦国時代、特に関が原や、大阪夏冬の陣であぶれた武士集団…浪人集団の国外逃亡など行き先は日本人町のあった東南アジアであったと聞く。
当時の国王の傭兵として雇われるものも少なくなかったようだ。
江戸幕府のキリシタン弾圧を逃れた、宗教難民も多い。

それらの末裔には、知り得る範囲だけでも
現地で名門家として残っているという。

単純に500年と言うことは、
おおざっぱに15代続いていると考えて、
一人が3人産んでその子供がまた3人と単純に計算しただけでも
15代続けば、なんと478万人に増えることになる。

あまりにも大雑把すぎて聞くに堪えられない諸兄もいるだろうが、
代が連なると言うことは、これほど大きな事なのだ。

そこには若くして死滅したり、独身で通したり、病死、虐殺、天災などの要因で、はるかに少ないかもしれないし、3人の子供という計算は少なすぎるということもある。

が、日本人町というコロニーが国を越えて存在していたということが、ダイナミックに感ずる。
そして同国の血を引く末孫がそこにいるということが不可思議でならないということなのだ。

先の大戦でも、終戦を迎えながら、植民地からの独立を助けた部隊もあり、そのまま帰国せず現地で結婚し留まった日本兵もいると聞く。

考えると、
なんだか国と言うレベルは、どこに行ってしまうんだろう。