ドキュメントファン

抜けてる記憶、情報、背景を埋めていくとでも言うのだろうか。
子供の頃からドキュメントを好んで観ていた。

現代の記録

昭和37年8月11日放送
現代の記録 避暑の断面
疲れているのにNHKアーカイブスだけは見逃せなかった。

ぼくがちょうど7歳の時期世の中はこうだったのかと確認できるから
つい夜更かしをしてしまうのだ。

案の定、当時のドキュメントの撮りかたはシリアスだった。

上層階級の余暇が高度経済成長と共に大衆化していく。
レジャー資本とマスコミの影響で中産階級の意識が変革されていく・・・云々

見ていると上層階級というものがかつての日本には頑としてあって、
階層社会を戦後は次々に塗り替えてきた。

そんなに重い話題ではないと思うのだが、労働運動華やかなりし頃ゆえか、
やたら小難しい用語がアナウンサーの口から飛び出す。
時代を映していた。

でも社会の圧を感じる創りだ。

これが当時のドキュメントの作り方だったんだろうが虚しい空気が漂う。
よく子供時代から好んで観ていたものだと思う。

すると、結果としてこんな人間になるのかなあ。

家族サービス

たまーに行う家族サービスは、
何故にこうエネルギーを使うのだろうか。
仕事で2、3日徹夜したほどに疲れる。

普段つかわない筋肉や神経がそうさせるのだろうか。
もうふらふら。

夏休み

明日は、野暮用でどうしてもお出かけ。
相棒も「家族サービスしたいから休ませてくれい」
と聞かないものだから、
10年ぶりにお店はお休みとあいなった。

秋には、お餅つきでまた日曜日に休む予定なのだけど、
まさかこれに味をしめて、相棒の奴、
「親孝行したいから休む」なんて意わんだろうなあ…

などと思いつつ、明日は久しぶりに羽を伸ばすのだ。
と言ってもコブ付きだからなあ…

友よ遠方より…

近くに、ランドマークがあるというのは、
なんとも頼りがいがある。

何かちょっとしたお話をしたいときには、
町の喫茶店に入ったり、なんやら探し回る必要もなく
あ!じゃああそこに行きましょうと難なく指をさせ、
説明もすくなに決める事ができる。

赤い鉄の橋を渡れば、
そこに着く。

見上げるその先に突き出した泡の中。
展望喫茶が見える。

ランドマークの少ない浅草にあって
ここは、ちょうどよい集合場であり、
茶話会場であり避暑地である。

次に何処へ行こうか行き場を探す
観覧車の代わりともなる。

ニコニコマークの猫バスに乗ってこられたM氏と、歓談させていただいた。
80歳をとうに超えられたとは思えない元気よさと、気持ちのよさに
大先輩ということをつい忘れさせてくれる。

まだ数回しかお会いしていないと言うのに
旧知のように錯覚してしまうのは

人との出逢いが、縁ものである事を痛感させられのだ。

別れが名残惜しかった。

走る

「夏の終り」となると、自転車に乗りたくてうずうずしてくる。

ただ、乗っていなかったブランクは、
みごとに体に反映し、
胴は太り、足は細り
「走ると足が見えなくなるよ」
「漫画のように足が円に見える」と言われたことは、
すっかり昔話になってしまってはいる。

ぼくが自転車に乗るというのは、
ままチャリで近所をぐるりというのではないのだ。

自転車を担いで山を登るか、
八ヶ岳を遠望できる林道を廻るか…
(ああーいいなあ)

とにかく、やや高地のでこぼこ道をツーリングしたくなる。

この季節、高地では陽射しは強くとも、
風は爽やかになる。心地よい風景と風に出会える。

そう思い出しながら、書きつらねてみたはよいけれど…

想いの中では軽快に走れていても…
実際は、きびしいだろうなあ。
このお腹と足じゃあ…

とおもいつつも、また、奮い立つのだ。

80歳超えても走っていたいから。

記憶

友人のブログを遡って読ませてもらっていると、
見覚えのある角度からの都電の写真と記事で、
ふと思い出された。

ぼくの父は明治40年に生まれた。
都の西北の学び舎で青春を謳歌した。
大隈公に心酔していた彼は、野心もあり、
同時に安定を好まず、実家の酒屋を飛び出した。

薬品の仲卸しの会社を興し、一時は隆盛を誇ったようだ。

「ようだ」としか表現できないのは、
僕が父と直接関わりあえたのは、3年間だったからだ。

事業を傾けてからの父しか知らない母の薫陶を受けて育った
僕の父親像と言うのは、頭はよいけど、
人が良くて騙され続ける、家族にはダメな男
という姿が焼きついていた。

高校時代、鉄道趣味の愛好誌のバックナンバーを買い求めに
東京の出版元を探し訪ねたことがあった。
何処にあったのか、今となっては記憶にないのだが、
雑司が谷のあたりだったように思う。

とにかく都電の見える光景だった。

横浜から高い交通費をかけてせっかく来た大都会東京の
しかも、鉄道マニアのぼくとしては、
憧れの都電を前にして、獲物に飛びつかないはずはなく、

衝動的に、早稲田方面の電車に飛び乗った。

学習院下、面影橋、早稲田とすぐに折り返し駅についてしまった。

電車を降りて見渡すとそこが父の青春時代を謳歌した所と改めて気付いた。
下町の匂いのするごちゃごちゃ感は、浜っ子の眼でも懐かしい光景に映った。

電停は、終点と言いながらその雰囲気はなかった。
都心に向けてまだ走れるかのように
10メートル近くレールも敷石もそのままだった。

路線は廃止されてはいたが、
レールの上にアスファルトを被せただけだったのだろう。
その先に目をやればレールの形どおりの舗装の盛り上がりが、
全てを物語っていた。

レールはアスファルトの中に吸い込まれやがて消えていた。

父の学生時代は、この上を東京市電に揺られて通っていたのだろうか…

不思議な感触を覚えた。

プロ意識

24時間テレビを本当に久しぶりに見た。
ご多分に漏れず、
欽ちゃんのゴールに感動させられた。

だいぶ前、欽ちゃん劇場が浅草に発足した頃、
浅草お上さん会の招待で欽ちゃんがみえた。

どんな挨拶をするのか興味をもって聞いていると、
「浅草の町は優しくなくなった」
と、独特の笑顔ながらもズバリと指摘した。

六区の通りも往年の勢いを感じられず、
歴史のあるエンターテイメントに活力がそぎ落ち、
危機感から浅草のお上さんたちが立ち上がった。

そんな援軍として浅草育ちの芸人の欽ちゃんが
一家を引き連れて浅草に戻ってきたのだった。

その挨拶が、「やさしくない」
なのだった。

あまりに的確な指摘で驚いた。
優しくなったかならなかったかは、
お客様が機敏に感じられることと下駄を預けるが、
まさしく基本中の基本、原点中の原点と、
心に焼き付いている。

もう十数年前の話だ。

昨日のゴール場面を見ていて
プロ意識を見せてもらったきがする。

何年かぶり…
いや二十何年かぶりになる。
24時間テレビに関心をもっている。

番組中、ベトちゃん、ドクちゃんのその後を放送していた。

ベトナム戦争時アメリカ軍が使用した
枯葉剤の影響で、今も苦しむ人々がいることを伝えていた。

長引く戦争の厭世観と、奇襲されるベトコンの恐怖から
業を煮やしたのだろう。
様々な化学兵器を繰り出すに及んだ。

戦争のその瞬間は、一時代のものとして、
過去のできごととして置き去りにされていく。

けれど、残された現実は、
間違いなく当事者には置き土産されているのだ。
しかも代々に渡って。

昔。といっても20年ほど前のことだろうか、
たまたまつけていたラジオからニュースが流れていた。

自動車事故だった。

ある母親が運転するワンボックスカーの事故だった。

サンルーフを開けて走っていたという。
幼稚園の送り迎えだったのだろうか。
友人も含め5人の子供が同乗していた。

こともあろうに
後部座席からシートの上に立ち、
首を出して風邪にあたっていたという。

車は、人の背丈ほどの電車のガードを通過した。
車がガード下に潜り込んだ瞬間、車内は地獄と化した。

後は語ることもはばかる光景だった。

ぼくは、当時その母親の立場を思い震撼し涙した。

「生き地獄」

ニュースとして聞く側は、無責任に終えることができる。
が、当事者は、十字架を担いだ。
まだまだそれからの人生があるのだ。

時間は流れた。
時が周りの人々から、
「記憶」を「忘却」と言う言葉に塗り替えてきた。

けれど、当事者の時は止まっているだろう。

どうしただろう…
いつも気になる。

融ける…

連続40℃が続く日本列島…
融けていませんか…

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070817i411.htm

体温より高い気温なんて…
海外の話と思っていたものが、
まさか、我が国で経験できようとは、思いもよらなかった。

酷暑の言葉が採用されたとたんに35℃を超えるのが
当たり前のようになってしまう。
卵が先か、鶏が先だろうか。

40度以上の名称をきめたら、
今度は続々40℃が当たり前になったりして…

…もういい。
なかったことにしましょう。

「あたりまえ」

近くの仏壇屋の奥様と従業員さんが来店された。

目的は、弟子入りだ。
と言うのは冗談だけど、

念珠の製作方法を教えて欲しいと懇願されたのだ。

ちょうどお盆あとで客足もまばらだし・・・

「まあいいか」

と言うわけで、念珠作り教室を開いたと言うわけなのだ。

生徒は、同業者の仏壇屋さんといっても念珠つくりは全くの初心者。
糸のもち方から、伝えないといけない。

「教授するくらいは簡単なもの」と、高をくくっていたのだが…

いざ伝えようとすると、

人の体を動かすのは、なかなかままならん。
あれ?右だったっけ、左だったっけ…
どっちを通すんだっけ…
男結びは、こうだったっけ…

正に悪戦苦闘の連続。

四半世紀、念珠作りをやっていると、
脳みそを通さず、体が勝手に動いてしまっている。
いちいち考えていないということだ。

それだけに、
いざ、言葉に出して教えようとすると、

いちいち自分の手に問いかけないとわからない。

「左手さん、こうだっけ」
「右手さん、紐はこっちに向けるんだったっけ」
と確認しているのだ。

あまりにも当たり前になりすぎていると、
そのありがたみがわからないのだ。

考えると「あたりまえ」は、
身の回りにいくらでもある。

歩ける「あたりまえ」、
声を出せる「あたりまえ」、
食べれる「あたりまえ」、
大小便がだせる「あたりまえ」、
汗をかける「あたりまえ」、

人のいる「あたりまえ」、
空気を吸える「あたりまえ」、
水を飲める「あたりまえ」、
生きていられる「あたりまえ」、

・・・・

挙げればきりがない「あたりまえ」。

あまりにも当たり前になりすぎて、
忘れている。

けれどいざ「不足」になると、
「当たり前」が実は、
全く「当たり前」でなかったことに気づく。

「あたりまえ」は、あまりにも偉大だったのだ。

今日は、「あたりまえ」に、気づかせてもらった。