ボー

シャッターを閉め一日が終わると

頭のどこかで、
ヒャラヒャラヒャラヒャラ・・・♪
と今日の終了のラッパが聞こえる。

フーーーと息を吐き、
火を落として、
店内をボーと見渡すと、ホッとする。

少し暗がりで見ていると改めて仏像の魅力を感じたり
ディスプレーの修正に気付いたり・・・

混乱していた脳ミソに少し酸素が戻ってくる感じで、
イメージが勝手に膨らんでくる。

昔は、自動書記ではないけれど、
この時間に、次々にアイデアが飛び出して
手が勝手に動き出した。

次々に書き留めて、ノート何冊にも及ぶ。

気をつけなければならないのは、
そのまま朝を迎えないようにしないと・・・

人の振り見て・・・

上さんの「最低スペックでいいからPCが仕事上どうしても欲しいの」
の懇願に、久しぶりに秋葉原に一緒にでかけた。

お店を閉めてから夫婦で出かけたのは久しぶり。
行き先は、秋葉原のY。
以前は、S屋に行ったり、C館やSマップに行ったりと忙しかったけれど、この店ができてからは、品数の多さでほぼ固定していた。

1Fにコンピュータ本体、2Fには周辺機器。
早朝の通販番組で見たデジカメも価格調査しに後で行こうと、横目で見ながら、一階のフロアーを物色した。

日曜日の夜ということもあって、相変わらずごった返していた。

ノート型で去年の秋モデルなら安くなっているだろうとの予想は見事に的中。
それにしても安くなったなあ…

応対してくれた店員は、派遣社員のようで、ことさらちんぷんかんぷんのことを説明しようとするが、上さんの表情を見ても同様だった。オーバーフローしている。
何言っているか、「人見て物を言えよなあ」と思いつつも、黙って聞いていた。

この人混みから早く解放されたいのと、最低スペックがあればいいんだし、新機能は全く要らないの。
5分で即決。

はじめオタクっぽい店員に多少辟易しながらも、誠意は感じて、気をよくしていた。
レジに進むとオタク店員が、レジ係に(こちらは正社員らしい)やたらオタクが低姿勢になっているのが観察できる。

どうやら派遣さんと力関係があるんだな。
やたら早くしろと客である僕にも促す。
閉店間際ということもあるのか…

一人で来ていたら、とっくに帰ってるな。

派遣さんとの力関係がそのまま顧客扱いに出ている。
お客様と接して販売したのは派遣であっても、お客はそんなこと関係ないの。

とたんに、醒めてしまった。

店をあとにしながら、
「いい勉強をさせてもらえたね」夫婦で話しながら帰った。
上さんも感じていたんだ…

自分の店はだいじょうぶかなあ
我が足元を見た。

掃除会

朝、日記を書きながら、
今日が1日であることを思い出した。
慌てて家を飛び出し、浅草寺に向かった。

1日朝は掃除の日と決めている。

浅草の商店主の集まりで、浅草寺に奉公しようと始まった会だが、
こんなよい教育の場はないと思い、
ずっと我が子を連れて参加してきた。

子供が小さいうちは、上から下まで四人全員を連れて行った。

本堂で当番のお坊さんたちの声明を子守唄のように
聞いてこっくりこっくりしている子供たちに
失笑したものだった。

そんな読経の時間を正座して聞いているのだから
決して楽ではない時間と想うのだが…

どういうものか、月初めの早朝
「ナムナム行く?」

と、枕元でだめもとと囁いてみると、
普段なら寝起きの悪い連中が、

「行く…」

闇の淵から捻り出すように声を発する。
しかもどんどん自分から着替えてくれたものだ。

けれど保育園→小学校→中学校と成長するにつれ、
一人、また一人と脱落し、
不参加を表明するようになってきてしまった。

そして、ついに今日…

父親一人の掃除会だった。

ちょっと寂しいが…

まあ、心のどこかに何かしら
残っていてくれればと願うのみだ。

想いは通じる

思えば、
「逢いたい」と、こがれる人は…お客さまであるが
足の指を足しても、まるで足りないほどいらっしゃる…

じゃあどうするか。

手紙を出して促す…

以前は、毎日手紙を出し続けた。

じゃあ、住所も電話ものわからない方はどうする…

そんなとき、
ぼくは想うことにしている。

不思議と想い続けると、早ければその日のうちに、
遅い人は…(まだ逢えない方も山といるけれど(^^)
想い続けることが大切だと想っている。

昨日は、そんな思いの中から二人いらしてくださった。
そのうち一人の方は、ネットで知り合った方Yさん。
なんとなく胸騒ぎがしてはいた。そのとおりになってこちらがたまげた。

もうお一方は、10年以上前からのお得意さん。

お子さんが小学校低学年からともにご来店いただいていた。
ご来店ごとに成長し、いつかロケットの仕事がしたいと
マサチュセッツ工科大に進学し、
今は院生になってアメリカから帰ってこれないでいる。

お嬢さんもかわいいお茶目な子だったけど、とうに僕の背丈をこえたという。
そんな家族ぐるみのおつきあいなれど、
お会いできるチャンスも減ってしまった。

どうしてるかな、心の隅にはいつもあるのだが、
おとといの朝に無性に会いたくなった。

そんな矢先だっただけに、つい因果を話してしまった。

「私もそうだったのよ」
「ひかれたわね」
こちらも驚くばかりだ。

人が聞けばばかばかしい、確率の問題で済ましてしまうだろうが、
積み重ねと言うのは、恐ろしいもので
いつのまにか、確固たる自分にとっての
ジンクスになるのである。

さて、
今日はダレを想うおうか…

なつかしい

部屋を片付けて
「これ捨てていいの。ズーとあるよ」
と、上さんに差し出された。

なに?これ。
パソコン通信…
オー…

90年の業界新聞だ。
何の気なしに読み返してみた。
「パソコン通信にチャレンジできる本格派」サンヨーワープロ
「PC国民機」ラップトップ型PC-286 16bit
「NEC文豪miniシリーズ」
「通信ネットワークを自分たちだけで使う」
「OLT(オンライントーク)パソコンの中でおしゃべりしあう。
これはまさに興奮の体験だ」

すべて、DOS画面でこうするといいよと、説明文が入っている。
時代を感じる。

特に目が留まったのは、
こんな時代からスペシャルメニューとして、
オンラインショッピング機能の紹介があった。
もうECが行われていたんだ。
初めて知った。

あいにくパソコン通信は、
やりかけながらドサクサのうちに流れてしまった僕としては、

その黎明期をやり過ごしてしまった。

今、当時を読み返してみると、実に新鮮に感じる。

仲間意識のある土壌の中である黎明期が、
懐かしいと感じるだけなのではない。
ともに作り上げていこうとしていた情熱を
思い起こしてくれるからなのかもしれない。

竹の心。

正月用の飾りで残っていた半分枯れていたものを
可愛そうに思い投げ入れていた。

水もそのときに入れたまんまの水。
仏様のお下がりを毎日入れ足してはいるが、
新しく入れ替えたことはない。

水を腐らすこともなく、
むしろ浄化している。

いつのまにか根っこがしっかり生えてきて、
新芽も出している。

強いなあ・・・しかも、足元を清々とさせ・・・

ここにきてようやく梅雨らしく、
天の神様も
神妙に雨をしとしと降らせるようにしてくれるようになった。

ちょっと前は、空梅雨ーー!と騒いで
雨が降らないと飲み水が困るぞーと思っていたけど、

降れば降ったで、お客さんの足が遠のく。
売り上げに影響するぞー…と騒ぐ。

身勝手で困ったものだ。

今日は今日でしか逢えない方が、
必ずいらっしゃるけれどね・・・

思慕

柏のOさん、春日部のJさん、大田区のFさん、埼玉のTさん、文京区のPさん、札幌のMさん、新潟のSさん、墨田区の・・・

しばらくいらっしゃらないなあ…
顔が見たいなあ。

父の背中

早いもので、
父親が逝った歳に近づいてきた。

3つになったばかりの秋に逝ってしまった父親の面影は、
おぼろげにも覚えていない。

父親がかわいそうにも思うくらい、
脳みその海馬の奥底にしまいこまれて、

記憶には全くない。

「片親じゃ大変な時代ね」と思うのは、
当時を生きた母と同年輩の人の話し。
それは育ててくれた側の話しであって、

子供の側は、いたって現状を受け止めていた。
ありのままに生きているものである。

なまじっか記憶の断片があると、
感傷に発展する種となったであろうから、
記憶が全くなかったというのはある意味、
幸いしたと思う。

都内のY大学を昭和初期に卒業し、
大学に残ることを勧められながらも 、
野心家の父は企業家の道を進んだ。

結果は事業は見事に大成功を収めたが、
補佐役の身内の裏切りと、
元来の人の良さと気風のよさは、
多くの負債を背負い込む結果となった。

惨憺たるものだったようだ。
結果、会社をたたむこととなった。

母と出会う頃は、過去の栄光の残光に照らされる中での
出会いだったようで、
程なく無職の生活を余儀なくされたようだ。

その直後、僕は生を受け、
バトンタッチするかのように父は彼岸に逝った。

「父の轍は踏んではいけない」
そう薫陶を受けながら育ち、
経済とはかけ離れた技術屋の道を選んだ。
はずなのだけれど・・・

気づくと、父の背中を追いかけている。

「親はなくとも子は育つ」とは、
よく言ったものだ。

父の失敗を繰り返させまいと、
注意注意しながら、育てられながらも、
父の轍(わだち)をきっちり踏んでいるのだから。

たとえ、口で教え込まれずとも、生を与えられた「動機」は、
きっと母の胎のなかで醸造され、
言葉ではない形を持って受け継がれていたのだろう。

しっかりと心に組み入れられているように感じる。

おかげで、人の良さと、義憤を感じる心は
どうしようもできないほどあるようで
生涯、貧乏道からは、はずれそうもない。

何度、大口のお客様であっても、
理不尽を目の前に見せられてぶつかってきただろう…
不誠実には耐えられないようにできているようだ。

でもしかたないと諦めている。
損得では動けないのだから。

自分が彼岸に渡ったとき、
父になんと言ってもらえるだろうか、

そんなことを、若干なりとも考えるこの頃なのだ。

未来を塞ぐもの

児童虐待…僕にはわからない。
大人になりきれない親が原因と言うけれど…

僕にはまったく!わからない。
わかりたくもない。
弱者に対して、いかなる蹂躙も許せない。

人は時がくれば否応なく川を渡らなければならない。
彼岸へと。

けれど、心の奥では、永遠に生きたいと願う。
僕も人間は永世するのだなと思う。
けれど、肉は自然界の中で循環するものである以上
物理的に無理な話。

何をもって未来に生きるか。
とすれば、心の部分が引き継がれることをもって
永世というしかない。

自分の薫陶を受けた子供や師弟しか、
未来を象徴するものはいないではないか。

一番身近で自分の未来を託す存在が子供。

虐待とはその未来を自ら塞ぐ行為
と受け取れる。

子供の人格を無視した瞬間から、未来はないんだよ、

未来は要らないという事なのだろうか…
それとも、自分のような存在は、
未来に残してはいけない、残したくないと、
潜在意識がそうさせるのか・・・

思わず嗚咽するよ。
小さな命に。

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