矛盾 その三


写真だけアップしていて、
説明文を書くの忘れていました。

交差点から5m以内は、駐停車禁止では?なかったっけ。
法の意義って何なのかなあ。
ここで左折するとき、ちょっと危なかったょ。

たからもの

捨てられない。

上の子供は大学にいこうとする年齢に達した。
一番下っぱで小学校6年生。

保育園時代から通算すれば15年たつ計算になる。

その15年の間、せっせと
工作や習字、プレゼントとあらゆるシーンで
熱心に作品を創作してきた子供たち。

その作品の量たるや、×四人分となる訳で…
まさしく膨大な量になる。

3LDKの我が家には、どこも保管場所がない。

がぜん、上さんは、虎視眈々と、
廃棄の魔の手を伸ばそうとする。

ちょっと油断すると、何かが廃棄されている。

ぼくは、ゴミ箱をあさり、またもとの場にもどしておく。

まあ、冷静に考えれば、上さんの気持ちも、
しかたないといえば…

しかたないのだ。

しかし!

どうしても父親としては、
どれ一つとっても捨てられない。

それこそ、うず高く積まれて、いつか埃まみれになっていく。
たまに、表層なだれを起こし、
こうしてキーボードを叩いている
僕の頭の上にドサッと落ちてくる。

これは、お気に入りの一枚なのだ。


次男である彼は、りんごを見て感動したのだろう…
が、
親は、同情されているような錯覚を勝手に覚え
励まされるのだ。

捨てられますか?

子供の作品。

何となく落ち着く

昼は、家に帰るかここか

もう四半世紀変わらないパターンだ。
たいてい窓際に座る。定席はホッとする。
毎日カレーでも飽きない。

小売商売は、決まった時間なんてとれやしない。

お店が空いたときが、お昼時間なのだ。
だから、先に店の者から食事を取らせていくと
自分の番がないときもたびたび。

「今日は、お昼時間を頂戴できました」と感謝して
その時間をいただくことができる。

だから、時間は無駄にしたくない。
食事場所に行く時間も惜しい。
気持ちはあせるが、足の速度は年々スローになってくるように感じる。

足の短いぶん、若いときは、回転が早かった。

「足がくるくる回って漫画みたい」とよく言われた
実際、足が見えなかったようだ。

コンパスが短ければ、回転速度は速くなるんじゃよ。

若者の心には、お釣りがくるほど、
十分すぎるカウンターパンチをいやというほどもらった。

短いし太いし…。わかってるって。

自分の目で見て納得しているのだから
人様に念を押される理由はない。

先に進みたい、心の焦りを解消する手段として
移動には、ほとんど自転車の力を借りる。

あせる気持ちは、そのままタイヤに伝わるし、
何より風が気持ちよい。

ミニサイクルで車道を風を切って走る。走る。走る。車を追い越して走る。
もしかしたら、こんな姿って

「滑稽に見えるかもしれないなあ」

と、ふと脳裏に浮かぶが、
たちまち気持ちよさに払拭されてしまう。

何だか匂う

朝、家を出ると、
「ムム、臭い」
なんとなく臭い。

店までの道すがら
「やはり臭い」

店の開店準備をしている最中も
「なんでえ?臭い」

下水の匂いに思えた。
うろうろと辺りを物色するが
先程の雨で下水が逆流した感じにも思えない。

表通りまで出てみるとさらに臭い
自転車を引っ張り出して本格的に調査する。

風上に臭いの元がありと踏んで、走っていくと
どうやら、墨田川のほうから風は吹いている。
ムッとする湿り気のある悪臭が、確かに吹いてきている。

吾妻橋の橋上から下を覗くと、
川面が黄河の如くによどんでいる。
これか。

何のことはない、ヘドロの臭いかと、合点がいった。

ボラも遡上する川に再生してきたけれど
ちょうど、強雨でかき混ぜられた格好で、
みごとに、本性がさらけ出された感じに映る。

壊した自然を元に戻すというのは、並大抵の努力じゃできないなと
改めて教えられた、今朝の教訓だった。

地震がきたらどうするの?何処に逃げたらいいんだい

今日は防災の日。
ラジオでは、とにかく繰り返し訓練の放送を流している。
いやでも、阪神の記憶が
横網町の震災記念館が思い起こされる。
自動車で、半日都内を移動していたが、
おかげで少なからず緊張感を与えてくれた。

もし・・・
ここで・・・
と考え考えハンドルを握っていたし、
目に飛び込む風景も、「どうなるかな」
などと、勝手にシュミレーションしてみたりしていた。

まず、助からない。
十中八九つぶれちゃう。ハリネズミになっちゃう。
そんな建物の脇を走り、
最後に、図書館に目的の本を探しに寄った。

改めて見上げると、背筋が凍った。
開放感に満ちた、
サナトリウムのような、総ガラス張りのつくり。

見た目には、実に美しいつくりに見える。
けれど・・・
もし・・・

大震災となったとき、
「公共施設」であるはずのこの建物は、
どうなっているのだろう。

バラバラと子供を含めた利用者の頭上に、
砕けたガラスが降り注ぐことは、ないのだろうか。

「防災都市」を標榜するべく訓練をする傍らで、
今なお、デザイン優先のビル群が乱立している事実は
どう解釈したらいいのだろう。

福岡の事故におもう

昨日まで部屋の中を3人の幼子が駆け回り
「うるさいわよ」といいたくなるほど、
活気のある我が家であったことは、
想像に難くない。

それが一晩で全ての子を失う親の心情とは…
いかばかりであろうかは、
想像を絶する苦悩であろうことは、
胸中を考えると、悲しみに破裂する。

しばらくぶりで、「朝ズバ」をつけながら
メールチェックのをしていると、

福岡で起きた3名の幼子の命を奪った、
むごたらしい事故の詳細を報道していた。

さらに、当事者であるご両親が、
中継でコメントをされていた。

家族5名を載せた車は、14m下の海中にダイブした。
バックミラー越しに、泥酔者の車が猛スピードで、
突っ込む瞬間から、衝撃でガードレールを突き破り、
海面に激突する瞬間まで
運転していた父は、はっきりと覚えている。

海中に沈む車内に残されていたわが子を救おうと
4度も海中に潜り、母は救出しようと試みたという。

今にも力尽きようとする夫と自分とに
「しっかりするのよ」と声を張り上げながら、
傷だらけの作業は続いたという。

説明をしながらも、涙を飲み込んでいることは
明らかに伝わってくる。
モニター越しに聞きながら、胸が詰まる。

最後まで、泣き言ひとつ、
泥酔していた暴走犯への恨みを言うでもなく、

ただ、全国の視聴者に向かって
「励ましてくれて、ありがとうございました」の声は、
むしろ、胸に突き刺さった。

ミツトヨの事件に思う

仏教の振興を願い、その布教費捻出の為、
創業したミツトヨ。
沼田惠範師の創業の志しは、いずこへ消えしか!
「悲しい」のひとことに尽きる。

三豊の由来
人間として立派になるには、
智・仁・勇の三つが揃わねばなりません。
智だけではつめたいし、仁だけでは弱くなるし、
勇だけでは行き過ぎる場合があります。
そこで、智・仁・勇の三つが揃って、
初めて立派に完成した人間といえます。
また、事業として成功するには、天・地・人の三つが必要です。
天のとき、地の利、人の和を得てこそ、
初めて事業として成功します。
このうち、どれ一つを欠いても成功はおぼつきません。
仏教が弘まるには、仏・法・僧の三宝が基本であり、
また、キリスト教では三位一体が根底となっています。
立派な人間が沢山育ち、事業も繁栄し、正しい宗教も弘まって
世の中が平和で、各人楽しかれと願いを込めてつけたのが
「ミツトヨ」という名称です

仏教伝道協会を創設し
仏教聖典を編纂し公共の施設に寄贈された冊数は
計り知れない。

この至誠に、感化されて事業に一筋の光明を感じ
目標の一人だった。

創業の志しに帰れ!

理想と現実のはざまで

まだ、この仕事をはじめるか迷っていた頃、
「商売」そのものにどうにもできない嫌悪感を持っていた。

安く仕入れて、利を上乗せして儲けるということに
嫌悪感が生じる。払拭できないでいた。

さんざん貧しい生活を強いられてきたはずなのに
お金の顔を見て、目の色を変えて喜んだのは、
守銭奴児童の小学生までだった。

公に使うなら、私財をはたいても良いなどと
美辞麗句を口では並べながら
その実、利を取っている団体や商人を見ると
「偽善者」といつも小声で叫んでいた。

だから、商業の道の条件が揃っていながら、
頑として、技術者の道を選んだ。

それが、商売をしようと思いたつのだから
人生は、わからない。

生きていく為の術と簡単に割り切れるほど、
僕の心の中に染み付いた、
別人格にも近いほどに育ってしまってた自分を
変えることは、そう簡単な作業ではなかった。

まずその心の檻をどう納めるか、
現実と理想との摺り合わせが必要だった。
そんな作業からはじめた。

40年ぶりの再会

日曜の朝は、
いつも、「所ジョージの目が点」を見ている。
メールの処理をしながらの話なので
聞き流しが多いが
けっこう役に立つ。

雑学の好きな人には格好の番組と思う。

今日は、「水中昆虫」のお話。

いわゆる「ゲンゴロウ」である。
懐かしい響きに、メール作業の手が止まった。

「アメンボウ」「タガメ」…
おお・・・
出てくる出てくる。

子供のときは、昆虫図鑑と自動車図鑑を手放したことがなかったほど、昆虫を追いかけていた。

昆虫でなければ、
車の排気ガスを
「あ~いいにおい」ってな具合で、これまた追いかけていた。

まだ、トンボを追いかけることのできる原っぱも、
底なし沼も、首都圏とは思えぬほど残っていたころだから
それは、子供の目には、宝物のちりばめられた空間であったことは、紛れもない事実であった。

ゲンゴロウは、なかなか捕まえられなかったけれど
毎日のように、何かしら捕まえてきていた。
つかまえると、図鑑とにらめっこ。
というのが、楽しみだった。

40年近く遠ざかっていた昆虫の名前に、
テレビではあったけれど、久々に出くわし
旧知の友と再会するような心持だった。

画面を通して感動的な登場だった。

「ゴキブリ…!?」

おいおい。
こんなの平気で捕まえてきたっけ。

水にもぐるゴキブリ…

そういえば、
夕べやっつけた、ゴキブリがダブって見えた。