彼岸花

不足の中にいると、何でも自分で手がけることを覚え
いつか、体に染み付いて全てが興味の対象になるようである。

正月用の生け花を自ら生ける羽目に陥ったことを端に
自然と花を生ける楽しさに転化していった。
変わり身の早さに自らの事ながら驚くのである。

福島からわざわざ訪ねて下さったS師は
中国峨眉山のお土産と、彼岸花を携えてきてくださった。


(Boo作 彼岸)

世界遺産の仏跡の状況も写真を交え事細かにお話ししてくださったが
語らずとも笑顔に全てが集約して見える。

浅草の空

曇り。

若干涼しい。
台風も近寄ってきている。

今度は、台風一過になるかな…

リセット

最近、夜行での遠出をしなくなった。

初めて夜汽車に乗ったのは、小学校に上がる前
虚弱体質の骨皮筋衛門の僕を見かねた宮城の叔父が
一冬、田舎暮らしさせた方がよいという判断で
上野発の夜行列車♪で連れて行かれたときだった。
・・・
もっとも、常磐線の夜行普通など一昔に前になくなって
しまったようだが。

子供心に不安の一言。
その寂しさとも期待感とも言えぬ思いを越えた先に
田舎暮らしの末、コロコロ丸くなって帰省するのだ。
すっかり様変わりして帰ってきた。

大げさではなく人生リセットさせてくれたことは確かなのだ。

最近、なにか足りないなあと思うと、
実はリセットの時間がない。

仕事で出かけるときは、車で動いてしまうか、
遠ければ飛行機や新幹線と言うことで、
長くても数時間あれば到着してしまう。

うたたねする間に、目的地についてしまう。

仕事を中断して出かけるということは、
トイレでやりかけが残っているような気持悪さがあって、
ついつい時間に追われる移動手段になる。
目的地が全てなのだ。
ようするに、道程は必要ない。

ドラエモンのどこでもドアーがあれば、
それで用が足りる生活に慣れきっているのだ。

夜汽車に一人で乗り込み、駅を離れる郷愁感は堪らないものがある。

夜中にふと目が覚めて、カーテンの隙間から外を覗けば、
どこかの見知らぬ駅を素通りしていたり、
海岸沿いのコンビナートの水銀灯のオレンジ色に映し出される
不気味な映像だったり、
山中だったり、寝静まった住宅街であったりと、

異空間を飛び回っているような錯覚に陥る。

そして寝ても覚めても目的地に着かない。
そのうち、あきらめて考え方に変化が出てくる。

目的地に着くのが目的ではなく、
乗っている時間も目的の大部分であること。

それがいい。

あきらめる。
すると、揺られている時間を楽しむようになってくる。
瞬間瞬間を楽しまざるを得なくなる。

なんだか人生とダブる。

そんなリセットの時間が最近ないなあ…