五大山

福島のSさまとご息女(笑われてしまいそうですが)が
訪ねてくださった。
中国への巡礼の旅のお誘いをいただいていながら
今回は、店の忙しさを理由に泣く泣く辞退した。

体は、日本においておきながら、心は一緒に出かけていた。
もう出発されたかなあ…北京についたかなあ…五大山に行かれたかなあ…
刻一刻と足跡をイメージしていた。

おかげで、つり逃がした魚はどうこう言うとおり
ますます、気持ちは募るようである。
それはさておいて、
そんな想いを察してくださり、わざわざお土産を持ってきて下さった。


山東省がどこにあるのか、五大山が位置的にどこなのか、
さっぱりわからなかった、ただ、過去に北京や西安に川崎大師を団長とした
法要の旅についていった経験が唯一中国を肌で知る経験だった。
もうずいぶん変わったろう…想像するが全く予想がつかない。

いつも懐かしさを覚えるSさまは資料をいっぱい抱えて来店くださった。
中国の写真も久々。お葬儀の列を写したもの。「お!へ!へ~」日本の神輿のような豪勢な列。(宮城の田舎でむかーし見た葬儀の列に似ているなあ)
写す被写体もとてもユニーク。


山東省の猫も猫は猫。でも乾燥しているためか眼病の猫が多かったとか。


西海さんは、こっちがいいわねと考えてくださって、
中国オリンピックの公式マスコットのグッズを買ってきてくださった。
まだ、日本では、販売されていないんだって。

日本初お目見え?


パンダかなあ…

一隅を照らす

茨木のHさんのご来店。
いつもながら、お客様から教えられることばかりだ。

Hさんとは、今まで念珠の話が多かったけれど
たまたま写経のコーナーで立ち話となった。

「写経っていいですよね」
「願文には何書いたらいいんでしょうね?」

と聞かれるので
「病気平癒の為や、○○供養の為というのもいいけれど、
天台宗では亡己利他を言われるのだから、より利他する願文がいいんじゃないですか」

天台宗のお寺で勉強していらっしゃるようで、
「そうですね」と納得のご様子。

ポロリ、ポロリと玄人はだしの言葉が漏れるHさんには、
釈迦に説法のようだった。
以前うつした写経紙を見ると何を考えながらのものか、
一目でわかるという。
「自分にとって写経は日記のようなものなんですよ」

天台宗では「一隅を照らす」者を国宝と考える。
ご本人は、まったく気付いていないようだ。
けれど、言葉の一言一言が、きらきら輝いていました。

最後に一言、置き土産。

「写経は、仏様へのお手紙ね」とHさん。
毎日欠かさずうつしているから自然に漏れる一言だろう。

「じゃあ、仏さまへのラブレターですね」
我ながらしゃれたことを、言ったもんだと
こういう人の前では、するりと言葉が引き出される。

めだか、それから。

店頭で日向ぼっこ。
栄養がよいのか、一週間でこんなに大きくなりました。
食べ過ぎの声も…

ちょっと見えないかなあ。
写真の真ん中に白く横切る線が「めだか」その人(魚)です。

蓮ちゃんも、お日様の光を浴びて、少し元気を取り戻しました。
まだまだ油断はなりません。

お店の前で日向ぼっこをしています。
応援してあげてくださいね^^

くれぐれも釣り上げないでね。

山梨まで出かけなくても

久しぶりに日本橋に出る。
浅草からは、目と鼻より近くに位置しながら
文化の違いをありあり感じる。
世界の銀座だけのことはある。

そんな一角に山梨県会館があり、

山梨の職人さんたちが集まると言うので、
梅雨の合間の真夏日、涼しいお店をあとにして、のこのこと出かけていった。

以前は、鉄道会館(大丸)の中の都道府県会館の一つが、
独立したのだろうと思った。
この日本橋の一等地に山梨県を紹介するためだけの会館を運営する。
すごいね。公共団体は。

パンフレットも数多く置いてあるので、立ち読み好きの中年は
なかなか帰るに帰れない状態になってしまった。
山梨の産業はすべて網羅されているようで、
ワインテイストもできるコーナーもあったり
なかなか、居心地のよい空間である。

富士登山の手引き書まであった。
また「登りたい虫」が出てくる時の為に、
資料をもらっておくことにした。


あんこ好きのbooが目を留めた竹炭どらやき
山梨とは、まったく関係なし!


炭ーー!

讃祷歌

今日はどうしたものか、ぜんぜーんお客様が少ない。
雨のせいにはしたくないが、少ない。
おかげで、念珠堂の倉庫の整理に汗を流すことができた。

おかげで、懐かしいものを発見した。

「歌マンダラ 讃祷歌 31回公演」
10年前の公演のパンフレット。
この公演の直前まで新宿のお寺まで練習に3年通っていた。
師の理想に共感したこともあったが
何より旋律の美しさに、魅了されつづけたためである。

さらにさかのぼること8年前(通算18年)にコラムで紹介されていた
讃祷歌と呼ぶ聞いたこともない楽曲に興味を示した。
讃美歌?祷り?さんとうか?山頭火?
?が4つも5つもついてしまう
試聴テープを依頼するも、期待はしていなかった。

まもなく送られてきた。

しかし、一度、耳にして魅了された。
感動した勢いで、感想をしたため、ポストに投函していた。

ある日、お店に電話が入った。

新堀智朝尼ご本人からであった。
はがき一枚の感想文に、作者がわざわざ連絡をくださった。

「こんなにストレートな感想を書いてくださってありがとう」
開口一番、か細くも芯のある声だった。
興味がわいた。

新宿参宮橋の小さな庵に、訪ねるのはまもなくのことだった。

お付き合いすればするほど
どれほどの教訓を与えてくださったかろうか。

早々に彼岸に渡られてしまったことを心から惜しむ。

パンフレットには、96年5月と記されている。
それまでの8年間、実際、歌ったのは3年間ほどだったろうか。
歌の世界には程遠いが、プロの声楽家と曲がりなりにも(大曲だが)
肩を並べて歌う機会を与えてくださり、歌の楽しさを伝授していただいた。

新堀智朝尼。
天才的仏教歌作曲家。

日常生活中、仏前でお勤め中、場所にかまわず、
自然と口からこぼれ出る曲を書き留めていかれた。
亡くなるまでの僅かな期間に240曲を越える曲を書き留めて逝かれた。

音譜一つ書いたこともない、一尼僧が著し続けた業績は大きい。
文字通り「天賦の才」と思っている。

宗派宗教を超えて、歌の世界で融和させようと試みてこられた。

「十年、世に出すのが遅かったわ…」
僕にポロリと、口に出されたことのある言葉だった。
今思えば、ご自分の死期を感じておられたのだろうか。

世の乱れを心から悲しみ、
女学生のような笑顔に似合わぬ、痛烈な(大人社会への)警告、
宗教界への警笛を鳴らし続けられた姿。

70才を越えてなお世界を飛び回られた。

そんな姿を、死の直前まで、間近に接することができたことは、
見えざる宝だった。

次の一歩を出す迷いを感じるとき、師の言葉を規範としている自分に
今も気付く。

じゃがいも

朝から嬉しいお客様。

PDSD(心的障害)という不可解な病に職も辞し
長く苦しみ(無理解の苦しみという副産物付きの病)続け
病に屈することなく
持ち前の頑張りで克服された。

その途上で念珠と出会い、当店と出会った。

「お蔭様で」

と、いらっしゃるたびに、感謝の辞をいただくが
それは、ご本人の粘り強さに他ならない。
(ちょっとお手伝いできて嬉しいとは思う)

「家で作ったんだよ」
と、浅黒く、見るからに日の下で焼けたのであろう、
健康的な顔に笑みがこぼれていた。
「ホー!」お芋だ。


これまた元気そうな土付きじゃがいも。

出合った頃の姿とクロスオーバーして胸が熱くなった。

思うと自分も
小学校5年の頃、無理解の中にいた。

判で押したように、4時間目の授業が始まると
決まって猛烈な苦しさに襲われた。

「すいません。気持ちが悪いんで、保健室行っていいですか」
恐る恐る手を上げると
「またか」の表情だけで全てが伝わってきた。

クラス全員の奇異と同情の眼に送られて、
保健室で天井見ながら泣いていた。

「何でこうなんだろう…」

そのくせ、昼休みになるとケロって直っている。
そのまま病人らしくしていれば、
幾ばくかの友人には、
同情し続けててもらえるであろう悪知恵は、
当時は、まったくなかった。

人一倍給食を食い、昼休みには走り回っていた。
「どこが病人なんだ」しごく当然の思い、
誰の眼にも映っただろう。

しかし、
来る日も、「先生、すいません」が続くのである。

「理解して」と願うことに無理がある。

そのうち、クラス中から揶揄されるようになった。
あとは、どうなってしまったのか、よく覚えていない。

PDSDを知ったのは、
40年経って、
図太いオヤジになった、今頃なのだ。
特効薬もあるという。

けれど、まだ無理解の土壌があるかと思うと
やりきれない思いも、あるにはある。

お盆

トップページがお盆特集に新しくなりました。
6月に入ると、いつもならお盆提灯が登場するのです。
けれど、今年はサッカーに頑張ってもらいたい!と
期待をよせてサッカーブレスが巾をきせてしまっていた。

眠い眼をこすりながら(実際は2時からおきていたのだが)
対ブラジル戦を必死に応援していたが
虚しく敗退した。しばらく、立ち上がる気力も失せてしまっていた。
そうか・・・

応援メッセージの入ったページは書き換えないと、いやみになるなあ
重い心も1日たって、少し元気を取り戻し
今だとばかりに、手をつけた。

http://www.nenjudo.co.jp/

めだかセット

いよいよ新人(魚)が加わる。

店頭に水蓮があるせいか、蚊に注意しないといけない。
そこで、ディフェンス陣として新たにメンバーが加わる。
名を、「レインボーめだか」というらしい。

アルバイトさんに買ってきてももらったのだが、
以前の悪夢があるので、元気だったことでホッとした。


めだかの嫁入り道具一式です。(オスもいるのでお婿道具も)


新居です。

ちゃんと生きてくれよ。
ねこガードもしないとね。


水温を合わせるために蓮ちゃんと対面中です