どこ行っても駆け足

ひさびさ
堰を切ったような怒涛の一日が過ぎた。

仙台が母親の故郷であり、父の眠る地でもある。
気の合う
北は縁が深い。

年に一度の休みが、今年は二度あると子供には好評ではあったが、
三男の突然の不都合から、母子共で2名の欠員で福島行きと相成った。

今までに、人員を欠けてのレクリエーションはなかっただけに
若干の後ろめたさもあったが、まあいつも四男+長男’(僕のこと) 
の、男所帯の我が家を切り盛りしている、細腕に休暇を与えるのも
良いかと思い直した。

我が家のレクは、いつもながら、強行軍だ。
たかだか200km弱の行程であるのだが、どう逆算したのか
夜も明けぬ前に準備をして、白々した時には高速に乗っていた。

案の定、那須高原で、長大な時間調整を余儀なくされることとなる。
こんなことなら、一般国道を走ってくれば良かった。

ただ、時期が時期だけに、観光客でパーキングエリアは、
ごった返していて、岐路の道中に不安が押しよせた。

高速を降りると、ほどなく目的地。

けれど、迷う。

なぜなら、地図に載っていなかった。


助け舟を携帯でお願いし、待つこと数分。

Sさんがニコニコと迎えに来てくれた。
ちょうど同じくライター仲間のTさんと入れ替わりの到着だったとか。
ピストン輸送での会場案内役ごくろうさま。


会場では、すでに餅もどんどんとつきあがり
食している。

40人前後と想像していたら、
なんの100人は軽く越える大所帯。

これほどの人が全て持ち寄りで
リーダーもなく、自然体で動くさまは、壮観であった。
下支えしてこられた、S師の苦労を感じた。

いいところを見せようと思ったが、
餅ちつきの
3ラウンド目には、杵が持ち上がらなくなっていた。

帰りの道すがら。

実は、こんなものまで動員してたのだ。