群雄割拠

浅草に来られると、雷門を目指してどなたも足を向ける。

見覚えのある赤い大提灯を見つけるか見つけないかしていると
「どちらにお出かけですか?」
「浅草は広いですよ!」

と、スポーツ界系ののりで、若者が近づいてくる。
ご存知名物のひとつになった人力の車夫である。

最近は、京都、津和野、鎌倉、倉敷、函館・・・
全国津々浦々どこでも見られる光景である。

ここ浅草では始め2人の車夫から始まった。

一人は友人でもある講談人力車と銘打つ岡崎屋惣次郎さんと
全国規模でチェーン店化しているえびすやさんの車夫である。

そのうち浅草神社御用達の浅草時代屋さんが増え、大手をスピンアウトした個人営業の松風さんが名乗りを上げまた一社増え雷門前は、
さながら江戸時代の旅籠の客の引き合いの如く様相を呈してきた。

早春には、雷門通りに日本で始めての、人力車レーンなるものも設置された。
からくり時計前の広場を人力車が占有し歩行者の迷惑になってきたからである。
度を過ぎれば五月蝿くなるのである。

かといって、定着してきた人力文化も捨てがたい魅力でもある。

昨日からこんな人力車チケット売り場なるものが登場した。

明朗会計はよいのだが、一社専用の売り場であったのが惜しいと思った。
同業者に聞くと、寝耳に水のことだと幾分か戸惑い気味。
そりゃあそうでしょうね。
知らない観光客は、ここでチケットを買うものだと勘違いするだろう。
価格も様々な人力が4社もあるなんて気が付かないもの。
俄然一社に軍配が傾きかねない。

鍵盤のような協同組織が運営しなかったのだろう。
キャッチセールスのような客引き合戦にうんざりする声もある。
せっかく人力車レーンまで公共の道路を割いて作ったのだから、
何とかならないのだろうか。
観光客の立場からもよいのに・・・と思う。

願わくは、岡崎屋の彼のように、心底浅草を愛し、
腰かけ同然のアルバイト車夫ではなく、
(彼は10数年前にプロ車夫を宣言していた)
一生の職業として「俺が一番」浅草の裏も表も知り尽くしている車夫に
なってほしいものだ。

こんな夢ばっかり・・・

夢の話し。

旅先で精密検査を受けている。
歯科だか耳鼻咽喉科の検査だかで口をあんぐり開いてもいた。

そのくせ不真面目にも、ぼくはガムを噛みながらいたのに、
そのまま脱脂綿を突っ込まれ、検査されるのだ。
ドクターがあっちを向いている間にガムを口から出そうとするが、
すぐに振り向いてしまう。

ぼくがそんな苦労をしているというのに、同じ室内では、
宴会が始まっているようで、知ってる顔もあり、
初対面の顔もあり4、50人が集まってワイワイやっている。

「あ、僕も参加したい」
早く終わらないかな。そう思うのだ。
しかしドクターが田舎育ちののんびりした人のようで、
なかなか先に進まない。
そうこうしているうちに・・・

突然
「結果が出ました」とドクター。

あれあれ?
CTの結果とか壁に張り出してる。
?そんなのやってないじゃん。

酒宴の皆は注目しているが口は止まない。
ドクターは何か言っている。
僕の耳にはうるさくてよく聞こえない。

「オー」歓声が上がる。
聞こえないっツーの!

そう思いながら目が覚めてしまった。
結果が気になる。

石にかじりついてでも結果を聞けばよかった・・・

仕立替え

もともとは曹洞宗のオーソドックスな本連。
すなわち、茶色の正絹紐仕立のあっさり型です。

それをお客様のご希望で、ちょっとお洒落に正絹松房の仕立に変更です。

中糸を通して正絹糸を束ね編みこみます。
ここまでできれば90%終ったも同じ。

そして、房をつければ完了。

松房にも、ここにある撚房(よりぶさ)と
昔ながらの切房(きりぶさ)という方法で房を作る場合もありますが、
現在は丈夫な撚房がほとんどです。

で、完成!

だいぶ表情が変わるでしょ。

飛石連休

飛び石連休って今は言わないの?

ゴールデンウィークをウィキペディアで調べてみた。
1985年の法改正で、連休になりやすくするための新しい休日を作り出した。
その年以降徐々に使われなくなってきたのだそうだ。

どちらにしても、今日は「昭和の日」。
この名のほうがすっきりしている。
「みどりの日」なんて意味がわからなかったもの。

みどりの日は5月4日にそのままスライドとなって大型連休の一日として組み込まれた。

若い頃なら(サラリーマン時代でもあったし)大喜びの所だろう。
今は小売をしているのだから喜ぶべき所なのだが・・・

飛び出したくなってきてしまう・・・

ベビーブーム

蓮が主役の店頭の鉢だったのですが、
いいところまで芽が出るのに、花が開くまでいかない・・・クー

いつか、ボウフラよけに飼いはじめためだかに主役交代。

ホスピス

友人のブログを読んでいて、自分が以前参加していた、
仏教ホスピスの会のことを思い出した。

「末期がん患者の集い」と当時は呼んでいたと思うが、
毎週土曜日に築地まで出かけていた。
もう14、5年前の話だが。

参加者は本人が末期のがん患者、家族が患者、生還者、
支える家族、そしてご遺族。
モルヒネを打ちながら参加していた方もいらっしゃった。

入会のあいさつを求められ、参加動機を訪ねられた。
「僕もどうなるかわからないから」と正直なところを話した。
健常者ではぼく一人の参加だった。

そう・・・どうなるかわからないから。
そのときにはどう闘うのだろうか、どう開き直るのだろうか、
メンタル部分と、最新医療を知っておきたいと思ったからに他ならなかった。

壮絶な闘いを繰り返し、生を勝ち取った話しもあれば、
術後でいつ再発するかと戦々恐々の毎日を送っているといった話など、
まさしく「生」の闘いのなまなましい話を車座になって聞くことができた。

そんなおどろおどろしい話しを一人一人がこともなげに話されるのだが、
誰もが明るいのには驚かされた。

同じがん患者同士話し合えるということが、安らぎを与えられたと、
殆どの人からの共通した答えだった。

「一人じゃない」に気づくことで、人は荷を軽くできるんだと知った。

十五年

もう15年経つ。
沈香の香りが好きで腕に付けてとにかく付けっぱなし。
もう真っ黒になっているが、もともとの色合いに輪をかけて
僕の色に染まっているのだ。

こんな色になっても、沈香の匂いはむせるほど香る。

大きい玉が二天となるがこれは、玉の試験のため入れた。
最近の玉の代表格で白っぽいもの、暗黒だが、年輪がはっきりしないもの
あえて二種類を抽出して組んでみた。

数ヵ月後にどう変化しているだろうか。