にわかに商店会を作ろうという話が持ち上がり、
通りの名を決定する為に、雷門地域の歴史を再び調べ始めた。
もともと歴史と地図が好きで、浅草の歴史も何度読み返したか知れない。
そんな中、地元の郷土史家の話から、観音像を自宅に奉った、
つまり(三社の一宮にあたる)土師中知の居がここ雷門に明治初期まであったことを教えられた。
ついでに言えば、観音像を宮戸川つまり隅田川から引き揚げた檜前浜成、竹成の兄弟はそれぞれ、花川戸と山宿に住んでいたと聞いた。
唐突な話だったので、腰を抜かすほど驚いた。
神仏分離が行われるまで、土師の末裔が浅草寺の供物を供えていたということも知った。邸宅には阿弥陀仏を奉じ、参る人も多かったようだということも知った。
そう言えば・・・と、とってつけたような話だが、
わが店には、俗にいう霊能者と言う人、今風にはヒーラーと呼ばれる方々が
以前からお客様としてすこぶる多い。
いらっしゃると「ここは気がいいね」と必ずといってよいほどお褒めをいただく。
まあ自分もここにいると気分がよくなるから・・・くらいに考えていた。
その中の何人かの人たちにちょっとちょっとと声をかけられ、
何でしょうか?と問うと、
「装束を着た方が店内にいらっしゃるね」と、
こともなげに見えるかのように(彼らには見えているのでありましょう)耳打ちされるのだ。そんなこんなで毎日、閼伽(浄水)と線香は欠かしたことがないのだが。
そうか・・・
浅草寺への巡礼者かとも思っていたのけれど、
この話を聞いて、何となく合点がいった。