落款がなんでここに出てくるかというと、
10数年ぶりに見つかったのだ。
戦前に大陸に渡り、満州の地にお寺を何ヶ寺も建立してこられたNさん。
大僧正の位を得ながら敗戦と同時に全てを捨てて引揚げてこられた。
日本人の手による寺院など戦後の中国で残るべくもなかっただろう。
戦後は僧籍を捨て檀徒として活躍してこられた。
そのNさんが僕に作ってくれたものだ。
当時80歳近かったのだから、
もうそこそこの年齢に達しているだろう。
思い出深い。懐かしい・・・。
落款がなんでここに出てくるかというと、
10数年ぶりに見つかったのだ。
戦前に大陸に渡り、満州の地にお寺を何ヶ寺も建立してこられたNさん。
大僧正の位を得ながら敗戦と同時に全てを捨てて引揚げてこられた。
日本人の手による寺院など戦後の中国で残るべくもなかっただろう。
戦後は僧籍を捨て檀徒として活躍してこられた。
そのNさんが僕に作ってくれたものだ。
当時80歳近かったのだから、
もうそこそこの年齢に達しているだろう。
思い出深い。懐かしい・・・。
以前だと毎年今くらいから、突風がとんでもないところから吹いて、それはそれは寒いのなん のって。
雷門の正式名称は風神雷神門。
なのに通称には「風神」の名前はない。
肩身を狭くしているのである。
江戸の川柳に
「門の名でみりゃ風神は居候」
などと謡われるほどなのだから、実にかわいそうなものである。
ただ、強風は当店の泣き所でもある。
なんたって全天候オープンザドアー、
「どなたでもいらっしゃいいらっしゃい」の店だからである。
猫まで遠慮なく入ってくるんだから。
まあ遠慮する猫がどんなものか見てみたい気はするのだが。
閉めたらいいじゃないのと思われるかもしれないが、ドアーという名のものが、ガラス一枚でもあるのとないのとでは、入店率が雲泥の差なのである。
ゆえにある時期から扉はよほどのことがない限り前回状態である。
二度ほど過去に閉めたことがあるが、台風の通過に伴う突風と大雨の被害が甚大になる恐れを感じた時だけであったのだ。
その突風なのだが、この2~3年全く吹かなくなった。
店前に出しているワゴンすら飛ばす勢いは、いずこにか影を潜めた。
何故だろう・・・
温暖化?
ちょっと大げさな・・・
風神の家出。
たわいのない・・・
だったら戻ってこなくてもいいよ。
隅田川の花火が見えなくなるほど建ち並んでしまったマンション群のおかげ?。
ビル風の方向が変わってしまったのだろうか。
とにかく、ワゴンがひっくり返される心配は、ここしばらくなさそうである。
今年もあと3日。
とみるか、
まだ3日もある。とみるか。
資金繰りですったもんだしているときは、この3日間の見つめ方、考え方、一つで結果に雲泥の差が出る時期だな・・・と、ふと思った。
サラリーマン時代ならこの時期、もうとっくに家にはいなかった。
忘年ランや年越しランの時期でもあるし、正月はとにかく旅先だった。
真冬は自転車で走るのに一番都合がよい。
汗をかいても外気で簡単にコントロールできる。
夏はこうはいかない。
冬には冬の走り方があるし、向かう場所も違ってくる。
今はもう酒をやめたし、道路交通法上いけないことになってしまったけれど、若かりし頃は、ウイスキーの小瓶が自転車バックから除かれたことはなかった。ちょっとカーブしている小瓶はお尻のポケットに馴染みよかった。
冬の峠道は登りと下りでまるで表情が違っているから面白かった。
まだ晩秋を思わせる紅葉の残る九十九折れを息せき切って上りきると、峠を境にしてアイスバーンになっているなんていうことは日常茶万事のこと。
随道が口を開けている所など、出たとたんに小説の如く雪国だったなんていうこともざらにある。
だから、峠では必ず陽だまりを見つけて一服した。
気を入れ替える為にも紅茶を沸かし、小瓶をグイと引っ掛け暖を取る。
下りへの期待感を持ちながらも、ただボーっとする。
この小休止がたまらなく至福なのだった。
この「ボー時間」、最近取れていないなあ・・・