生きざま死にざま

大好きな父親のような師匠が胃の全摘出の手術をした。

貧血が続くので検査入院のつもりが緊急手術となった。
全身の血液が本来の三分の一しかなかった。
そんな体を引きずって前日まで国士として東奔西走していた。

師は韓国と日本の間に横たわる溝を僅かでも埋めるために四半世紀、文字通り供養の行を行ってきた。
初めて訪れた韓国では袋叩きにあうような位置からの出発だった。
耳塚、鼻塚の霊を韓国仏教界と手をとりあい故郷に戻し、靖国神社内に眠っていた、かの大戦の戦利品として軍が持ち帰っていた、北関大捷碑(国宝)を故国に戻す偉業を自らを顧みず果たされた。

文字上は数行で片付けてしまいそうなことであるのだけれど、国を越えた積年の恨みを供養することと、現実問題として国の面子のかかったことを打破することがどれほど難しい道程であったか、言語に絶するものがある。
やってみろと言われて、どこにも遺恨を残さず、むしろ未来に希望をつなげて達成できる者があるだろうか。

用事があって久しぶりに訪ねた。

いつもの狭い仏間のソファーにちょこんと座し待っていてくれた。
細身ながら格闘技で鍛えた筋骨隆々さは影をひそめていた。
60kgあった体が40kgに落ちてしまったと口にされていた。想像以上に体力が落ちているのは目に見えていた。

「今まで生き様を見せてきたけど、
今度は死に様を見せていこうと思うんだ」

人は、いや生きとし生きるものはどうあがいても間違いなくいつか死をむかえる。死に向かって生きているなどと言う言い方もある。
どう人生の幕を降ろすか・・・障害の課題でもある。

遺言を受け取った気がした。