ユニバーサルデザインと言うこと
浅草のそら
つらつら思う
人は愛されて人になる。
無償の愛を受けて初めて人間らしさを身につける。
愛された人は、人を愛することで愛が固定する。
借り物でなくなる。
ぼくはそう思うんだな。
しつけと言う字は身を美しくすると書くけれど、
本当に「躾」られている人はどれほどいるんだろう。
人と言う字は支えあう二人の人を現すと言うけれど、
ほんとうにそのとおりだと思う。
さらに言えば人が二人と書いてひとと読ませるほうがもっと好きなのだけれど。
今は口と言う感情表現の器官を使わないでも生活できる環境になってしまった。
おはよう。こんにちは。こんばんは。下さい。お願いします。ありがとう。
ごめんんさい。
その一言がないまま生きれる環境ってどこかおかしくないかなあ。
言葉ひとつで愛することだってある。
どこかにたまりたまった愛が、分けられない愛が、いつかどこかでショートしてしまうんではないだろうか・・・
魔鏡
見えるだろうか。
光の中に阿弥陀仏が線画で映し出されているのを。
これが魔境です。
別段どこって不思議なことはないのですが・・・
こうでしょ。
裏側はこうでしょ。
実は・・・
鏡の裏側にこういう加工が施されているのです。
この鏡面の何ミクロンという凹凸が反射する光に形を映し出すのです。
隠れキリシタンの時代、ここにイエスキリストやマリア様を映し出すようにしていたんですね。
信仰の力って凄いや。
初:写経
浅草のそら
浅草のそら