休みが明けると、いつもながら、
本当にあわただしい。
開店から2時間は、電話対応で追われ
休みの間に、受けた仕事の不足パーツを、
買い求めに走り回りたい気持ちを抑えながら、
ご来店のお客様の対応にも追われる。
内心とは裏腹に、笑顔で接する。
こればかりは、お客様とは一期一会だから。
ただ、こういうときに限って、いつもむずかしいご注文が多いのだ。
なぜだろう。
今日の難問は、仏像のご注文だった。
慈母観音の坐像。
白衣観音の様式しかも半跏思惟(はんかしい)だった。
しかも子を抱いている。
これは三十三観音の図像からの写しに思えたが、
意外とないお姿だった。
80歳くらいのご老齢だろうか。
緊迫した感じにも見受けられ、
当店で見つけられなければ、さらに探しにいらっしゃるだろうことは歴然。
でも、見つけ出すのは、難しいことも目に見えている。
なぜ、この観音様のお姿でないといけないのか、お話を伺ってみた。
「奥様の供養のため」そして、「孫娘の供養のため」と語られた。
「孫娘?」聞き返した。
なんと、今、社会問題となった飲酒運転によるひき逃げで
16歳の命を散らしたのだという。
轢き殺した二日後に自首した犯人は、1年8ヶ月の服役で、もうすぐ出所するという。
あまりの罰の軽さに、つい「ばかな」と一言、口からもれてしまった。
老齢のお客様は、
「昔だったら、生かしちゃおかないのに」
本心ではないにせよ、ポツリと漏らした一言がドスンと胸に響いた。
「死に損だよ」「何の保障もない」
とも付け加えた。
「へんなこと聞かせちゃったね」と笑顔にもどり
「じゃあお願いします。よかった」と言って帰られた。
創らせてもらえることに、大義が生じた。
寿命をまっとうできない死。
世間では「大往生」と言われる年の死でも、こんなに悲しいものよにと
自らを振り返って感慨深い。
いい観音様を、
探し当てられますように。
合掌。
ありがとございます。
ぼくもそう思います。
彫り上げるのも、探すのも縁そのものと思います。