横浜本牧生まれの僕には教会が実に身近だった。
二つ歳上の姉が何かと教会の行事に出かけていた。
そのたびに何かしらもらい物をしてきていた。
僕も一緒に行きたいが、姉は小うるさい弟は連れて行きたくなかったと見え、一度も誘いわれないままにその時期は終わってしまった。
教会には子供心のあこがれと願望が達せられなかった悔しさとが妙に入り混じったへんてこりんな感覚の場所となった。
当時クリスマスと言えば、キャバレー帰りの酔っ払いが三角帽に髭つきのロイドめがねをかけた酔いどれ姿で街に溢れていた時代。
クリスマスとはそういう非日常的な特別なものだと思っていた。
少し大人になってキリスト教の祖師の生まれた日だと遅ればせながら知った。
それも教派によって若干の日にちのずれのあることも知った。
何故か?をそのままにしていた。
しばらく振りにそんな古い記憶を思い出した。
イエス様の誕生日を調べてみた。
12月25日のクリスマスは、もともとはペルシャ起源のミトラ教という太陽神ソル・インヴィクトゥス(無敵の太陽)の誕生日でした。キリスト教会は、325年のニケア公会議という会議でこの太陽神の誕生日を、義の太陽(マラキ書4:2)であるキリスト・イエスの誕生日として受け入れ、祝うようになったと言われていますが、確かなことは分かりません。とにかく、当時のローマでイエス様の誕生日が12月25日であるとされましたが、聖書のどこにも、イエス様が12月25日に生まれたとは書いてはありません。ですから東方教会という教会では、イエス様の誕生日を1月にお祝いしますし、本当の誕生日は分からないので、お祝いしない教会もあるくらいです。
と、ある教会では説明されていた。
なるほど、異教徒を伝道する為の方便として用いられたのが定着したと言うことか。
ご生誕よりも復活祭を重要視している感もある。
日本人は、商魂たくましくその真意をかみ締めるよりも儲けのチャンスとして捕らえた。
さらに、近年はマスコミがよってたかって聖夜は二人が近づくチャンス。
「クリスマスの夜はどういう予定なの?」「今年こそ二人のクリスマスを・・・」と
敬虔な夜から遠ざかり、彼を、彼女を我がものとするアタック日に変えた。
祝ってくれるのはいいけれど・・・
イエス様も苦笑いしていることだろう。
そろそろ真意に目覚めてもいいのではないかな。