寝返り

夢の途中で屋根から落ちる。谷に落ちる。
ガクッと来る事がホントにまれにではあるけれど数年に一度くらいに起こる。

生きた心地がしないガク!なのである。
目がさめて、夢で良かったと正直に思う。

夢的にはあまりよくないと聞いた事があるけれど、
生きていることに感謝できるのだから、僕的には良しとしている。

どうも昨夜無理に寝返ったのか、腹筋を痛めたみたい。
肋骨でも折ったかと思うほど左側のわき腹に激痛が走るので起き上がれなかった。
そういえば、寝ながらグキッて遠くのほうで聞こえたなあ・・・
おかげで朝も走れないし、歩くのもおぼつかない。

これこそ夢であってほしい・・・と思うのである。

変化する香り

お線香にしてもお香にしても製作工程は、母材であるたぶの木や炭を粉状にしてそこに香りの元である香料を添加して作る。

天然香には、金より数倍高い!と高価な材料の代表格として知られることとなった伽羅を初め、高騰を続けている沈香、白檀、などの香木素材に漢方の薬種を練りぜて作る。人工香料を練り混ぜて作る安価なものまでさまざまである。

時々前の時と香りが違うとお叱りを受けることがある。
「なんで違うんだ」
というのである。
まさしくごもっともなご意見と丁寧にお受けさせていただく。
ご意見はご意見として心からありがたく思う。

香を扱うものとして、知っていただきたいこともある。
あまり線香メーカーは口にしないのだが、
彼らは、血のにじむような努力を続けている。
何のどりょかかといえば、もちろん香りの努力に違いないのだが、不安定要素に対していかに安定させるかということなのだ。

人工香料を使うものならば、まだしも(それでも母材は「たぶの木」という天然素材で香りは不安定)天然香料の香りは、文字通り天然なのである。

100木あったら100木の個性がある。
一本の香木でも部位によって全く異なるのである。
副素材の丁子だウイキョウだとした漢方薬種においてもその収穫の年々で香りは異なる。

そうしたおてんばな素材をつなぎ合わせて、イメージに合った香りに近づけるのである。
代々伝わる調香表なるものが、各メーカーには残されている。要するに香りの設計図であるが、門外不出のお香屋の命である。
それを元に香りを組み立てる。

しかし先ほどのとおり、素材は刻々変化する。
その不安定な香りを均しながら、安定した香に仕上げていくのである。
そして最期の味付けをするのは人間の感覚なのであるが、このあたりになると神業としか言いようがないと僕は常々感じるところだ。

同時に、しばしお使いいただく側にもいくらでも不安定要素は考えられるのだ。

季節、気温、湿度、空気の流れ、部屋の状態、部屋の匂い、
香の形、燃え方、燃やし方、保管の仕方、保存期間、
本人の体調、心の状態、etc.エトセなのである。

いい例が、
料理が毎度毎度美味しいと感じるだろうか。
お酒がいつもいつも美味しいと感じるだろうか。
食べる側がデスクワークして食べるのか、スポーツや労働のあとで食べるのか、はたまた病み上がりで食べるのか、体調いかんによって、またその時の環境はどうなのか、ムード溢れるロマンチックな中で食するのか、家事や仕事に追われ、文字通りせわしない中で食するのか、それこそ感情いかんによって味は七色変化するのである。

いわんやこれほど感情と直結している鼻という人体の器官が、常に同じセンサー値を出せるはずがないのである。

香の道をたしなむ者やパフューマーなどプロの香り師として常に安定させるために体調管理に怠らないことを知っている。

ちょっと頭の片隅に「香りは変化する」とだけ残しておいて欲しいなあと思うのである。
香りこそ「無常」なのである。

どう生きるか

1年で10年肉体が衰えるという難病のカナダの少女アシュリーさんが18歳の誕生日を目前に亡くなられた。と、今朝の情報番組で知った。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00153634.html

何度かテレビでドキュメントが流されたりして話題をそのつど示すこともあったが、めまぐるしい今の世の中、記憶に残ることは少ない。
しかしそんなこととは関係なく、本人もそして母親を含む回りの人間も現在進行形で、難病と闘っておられたのだなあと、今さらながら感ずるのである。

彼女の持つ難病はプロジェリアといい、800万人に一人という、遺伝子レベルでの難病のようであり、まだ根本原因も治療法も突き止められていない。

彼女と同じ病を持つアメリカの友人ジョン君(故人)は、レポーターの質問に、
「人生はどう生きるかなんだ。長さは重要じゃない」と話した。
また、アシュリーさんも「死ぬことは覚悟している」とも。

心を打たれた。

記念品になるか・・・

横断旗としてせっかく装飾用に作ったのだけれど、いざ現場で作業してみると、うまく設置できないのがわかった。残念。

しかたない。今年は、当日の来場者の方への記念品になるか・・・

白髭橋まで

今朝は、折り返し地点の桜橋でつい曲がらず、橋からいつも横目に見て、いつかあそこまでと思っていた上流の白髭橋に向かうことにしました。

桜橋までは、公園の様相で施設も整備されてきれいなのですが、上流域は昔ながらの堤防が2mくらい聳え立つ脇の小道。まったく表情が異なりました。

高速道路下という恵まれた?環境のためか、ブルーテントの住人が多く住い、女性一人ではちょっと恐いかな・・・などと思いながら気が付けば白髭橋に到着。

帰りついてから何キロ走ったのか調べたくなりました。

ネットを調べると、
ジョギングシュミレーターちゅうものを発見しました。

http://42.195km.net/jogsim/
便利な世の中です。

で、足取りを書き込んでっと。住いから駒形橋そして白髭橋、で復路。
調べてみると、今日のコースは5.8km
いつものコースは3.3km

ふ~ん。
ごはん一杯分の消費量だって・・・

いつかの空

ちょうど30年前の今頃の季節。
ところは・・・

小野小町のふるさと。
といわれている福島県小野新町。

国鉄の看板が今は何とも懐かしい。

仲間何人かと夜行で駅に降り立ち、なだらかな阿武隈を走った時のもの。

自分の自転車は友人に貸して手元になかったものだから、
急きょ競技で使っていたロードレーサーに泥除けを無理やりくくりつけ使用した。

ツーリングだからと思い、チューブラのタイヤより扱いやすいと思って、出始めたばかりの国産の700Cを使おうと、ホイールも組みなおし出かけた。

しかし、現実は無情だった。

何しろいつものような無茶な走りをすると、ちょっとした未舗装(僕らは地道といった)に出くわすと、パンクにつぐパンクで、何度足を止めざるを得なかったろうか。

ダウンヒルの爽快さも、地道の楽しさも感じるゆとりもなく注意深く路面の凹凸を気にしなければならなかった。

友人たちにも終いにはあきれ果てられ、肩身の狭い思いをした。

「オーマイゴット!」と叫んだかどうかは覚えていないが、
その度に、宙を見つめた。

空は蒼かった。
すこぶる清んだ春光の波に鯉のぼりがはためいているのがとても印象的だった。

何かあると、空を望むくせは、
もうこの頃には、僕の中にしっかりと根付いていたようだ。

それにしても
また行きたいなあ・・・

人の振り見て・・・

定期健診を受けてきた。

なんだか随分ひさしぶり。
採尿、検便と朝一で採ってっと・・・
緊張して、朝の4時に目がさめてしまった。
なんとチキンハートだろう。我ながら呆れる。

はじめてバリウム飲料という未知体験に挑戦。
会場外に停めてあったレントゲン車に入ると、異様な感じ。
挨拶がない。
初対面なんだよ。

黙ってカルテを受け取る。

「初めてなんですけど」
「・・・」
無視?

「これ飲んで」って炭酸ジュースの元のような粉を手渡される。

昨夜から水を飲んでいないし朝走ってきたから口の中はからから。
つばが出ないのだ。

「早く飲んで」
って、どう飲むの?初めてなんだよ。

半分口に入れてみる。
ジュワーッと発泡するのを待って飲もうとしたが、飲めるものではない。

「いいから全部口に入れなさい」

しかたなくぱさぱさの口に残りを入れる。
のどに引っ掛かってむせようとすると。
おもむろに水を出す。

(水があるなら始めから出せよ・・・)
言いたい所をグッとこらえる。

「はいこれを飲んで」
と、コップいっぱいのバリウムらしきものを渡す。
「ゲップしないように飲む」

まず一口。濃い豆乳みたい。
そう思えばなんてことない。
一気飲みした。

診療台に転がって、あっち向いたりこっち向いたりと、胃の中をかき回し、ゲップを堪えて・・・

終了後、下剤を渡されるが、これがまた混乱。
聞く人、聞く人みんな違う答えを言う。
「すぐ飲みなさい。バリウムがおなかの中で固まっちゃう」
「出なければ飲みなさい」

????

結局夕方に飲んだ。
しかし、ゴロゴロもグルグルも何の一声も兆候がおきない。

夜中の12時過ぎに白いものが普通の形で出た。
下剤の効果は?何ともない。

で今朝、変わらずジョギングに出る。
帰り道、あと300mで我が家。というところで・・・

グルグル・・・ギュー・・・

え!

グルグルグルグル・・・

今更・・・

なんで!

という訳で、青い顔して(たぶん)飛び込んでぎりぎりセーフ。
実に実に検診に振り回されっぱなしの一日でした。

ジンクス

26日は朝のジョギングの最中は雲の多いお天気であったけれど、なんとか持ってくれていたが、ぱらついてきてしまった。

当日は仏壇の納品が午後に予定されていたので、通常ならば心配するところだ。

が、が、店を開いてこの方、仏壇の納品に(墓石も含めて)雨に祟られたことは一度もないのが僕の自慢?なのである。

嵐の日に収めたこともある。
何もそんな日にと言われる御仁もいらっしゃるかと思うけれど、どうしてもその日しかダメというお客様もいらっしゃるのだ。

で、しかたなく叩きつける雨と風の中納品先に向かう。
お客様の家を数百メートルという時になってワイパーのスイッチを切った。

仙台まで納品したときもそうだった。
東北道は、ずっと雨。
だって台風が追いかけてくるんだもの。

早朝に仙台について、仮眠して向かうことにした。
目がさめると陽光がまぶしかった。
台風一過の日本晴れ。

虹まで見せて歓迎してくれる。

そんなことはざらにあるのだ。
雨男の僕が雨の神様を引き寄せるのかもしれないけれど・・・
先祖のお家を新築するのだから、皆(ってだれだって?)きっと喜んでくれているのだろう。

だから仏壇の納品となると天気の心配はしたことがない。
いつも安心している。

僕のジンクス・・・
今だ破られず。

どう生きるかだなあ・・・

テレビで藤野高明さん(70)のことを知った。

両眼失明、両手とも手首から先がない。

終戦間もない子供時代、河原で拾った金属筒が不発弾とも知らず、遊んでいるうちに爆発。
共にいた二歳年下の弟の命を奪い、自らも二重苦の身体となった。

腕のない氏は盲学校からも拒否された。
指先が使えなければ点字が読めないからだ。

ある日、ハンセン病の患者さんが唇で点字を読むことを知った。

彼は一念発起し独学で唇で点字を読む訓練をした。
二十歳を過ぎてようやく盲学校中学部に編入した。

現在、聾唖学校教師を務めあげ第二の人生を講演活動などに送っている。

そんな氏が、人生を振り返り、
「自らの人生は人に支えられ感謝できる人生だった。生まれてきてよかった」と語る姿に涙を禁じえなかった。

http://mainichi.jp/universalon/clipping/archive/news/2009/01/20/20090120ddm012040005000c.html

http://www.jp.onkyo.com/tenji/fijino_sakuhin.htm