民族ってなに

お昼近くに思わぬ・・・(いや、仏教的には思っていたからこそなのだが)
S師ご一行のご来店をいただいた。
ポーランドから帰国され成田から直行してくださった。

僕もp-ランド、アウシュビッツへの旅を誘われて、その気で調整をしていたのだが、
土壇場でいけなくなった。
いわゆるドタキャンだった。
供養?の旅からの帰還だった訳である。
行けなかった身としては、一行に毎日、安全であるようにとの念のみの参加のつもりなのだった。

もう帰国の頃と頭にあるにはあったのだ。
「ちょうどさっき帰国した」のだという。
成田からここ浅草にその足でいらしてくださった。

お顔を見て、思わず驚きの声を飲み込んだ。
やはり驚きが先にたつ。

まだ、旅の空気を漂わせながら、
現地ホヤホヤのお土産と旅のエポックを話してくださった。

ポーランド人の現地ガイドさんが案内をしてくれたのだという。
話しを伺うにつれ、考えさせる旅であったことは理解できた。

日本人、少なくとも僕自身のポーランド観、アウシュビッツ観に変化を与えた。
若いときに地政学の本を読んでポーランドの歴史を知った。
なんてかわいそうな国だろうか。率直な感想だった。
国という体裁すら失ったのだから。だから民族の誇りを扉の奥にしまいこみながら時間の経過を待たねばならなかった民族。

以前、小松左京の「日本沈没」という小説が流行った。
日本を巨大地震が襲い、日本と言う国が消滅する話しだ。
ベストセラーとなり映画化もされた。

作家はこの本を書いた真意として、
「国を失ったことのない日本人がもし国を失ったらどうなるのかと言うことを描きたかった」と何かの折に話していた。
現行の漫画にもジパングと言う本があるが同じような観点で描かれている。

世界の中に日本人が放り出されたとき、日本人は民族としての体を果たして持ち続けることができるであろうか。

ポーランドは、徹底した破壊の町から復興した。
それも近代的に復興したのではない。
破壊される前の街並み、石畳、ブロックのひび割れまで復刻した。
保存しようとするその情念には驚かされたものだった。

今回、S師の話を伺い、実はそんなきれいごとでは済まされない、もっと奥深いモニュメント的意味合いがあったのではないかと充分に想像される何かを見た気がした。

やはり、今回ご同行できなかったことが悔やまれた。
現地に行って現地の目線で見、考えてみたいものである。

なぜ、なぜ、どうして?

お客様に電話しながら驚かされた。
花粉症のために巡礼を早々に切り上げざるを得なかったというのだ。

「花粉症」

名前を聞くだけでも痒くなってこられる御仁も多いのではないだろうか。

花粉症を調べてみた。

ふ~ん。わかったようなわからないような。
とにかくアレルゲンになることなのだと言うことは確認した。
子供の頃は花粉を散々ゆすって遊んだではないか。
鼻の穴が真っ黒になるスモック全盛時代もすごしたではないか。

それでもって、なぜ今なのだ。
しばしばする目を擦りながら考えた。

マクロファージの誤認ということはわかった。
じゃあ何で誤認するの?
しなきゃあいいじゃん。
環境ホルモンの影響って考えられないのかなあ・・・

花粉を細菌と同じ異物と認識してしまうことはおかしいではないか。
人の体はそんなにバカかい?
ますます不思議はつのる。

新東京タワー

子供の卒業式に出かける電車内から
ふっと外を見ると業平橋駅に近づこうとしていた。
あ!どうなったかな。
もちろん新東京タワーのことである。

定点観測を考えてから中だるんでしまったが、
もう工事に着手しているはずで、基礎ができればあっという間にたち上がってしまう。
オールウェイスは何も昭和の時代だけではないのだ。

下町のこの近辺だって充分にAlwaysなのだ。

業平橋に広がっていた操車場跡地はきれいに整地され
ここに車輌が留められていたなど思えない様相に変化していた。

試し坑で多分地盤の調査をしているのだろう。

彼岸月

ラリーの夢だった。

北に向かう高速道路上を快走していた。
トップを走っていてすこぶる気持ちはよいのだが、そうも言っていられない状況であった。
何故ならひどい天候だったからである。

お先真っ暗とはこういうことを言うのだろうか。
暗雲たちこめていて、バケツをひっくり返したように振る仕切る雨。

ワイパーがはちきれんばかりの勢いで、ウィンドウの雨を弾き飛ばすのだけれど、全く間に合わない。
それよりも何よりも、道路の左右は川のように濁流となって、その水がついに溢れて路肩から越水してきていて左右の一車線は、走れるどころではなくなっている。追い越し車線をひたすら走る。

(どうも台風と一緒に北上しているみたいだ)
そんなことを思った次の瞬間、数百メートル先の道路は冠水して湖と化している・・・。

「もうだめ」
そう思った瞬間、パーキングエリアが見えた。
もちろんあわてて滑り込んだ。
(しばらくここで避難しよう)

休憩室に入るが人っ子一人いない。
遅れて、後ろを走ってきたS氏も避難してきた。

しばらく二人で休んでいたがレースがどうも気になる。

「戻ろうか」どちらからともなく声を掛け合い、(またあの悪天候の中に戻るのか)口には出さず、勇気を振り絞り立ち上がった。

「せっかくの記念だから、写真を撮ろう」
デジカメを取り出してSさんを撮ってあげる。

彼を中心に、宇津井健と何人かが同時に写りこんでいた。

あれ?5人もいたっけ?彼に見せると、「気持ち悪い事いわないでよ」と言いながら、僕を残して立ち去ってしまった。
一人残されて、ようやく
(おっかねえ・・・)と言いつつ目が覚めた。
 
何でこんな夢? 
ア!そういえば・・・
昨日、仙台の菩提寺から「年貢を納めよ」と案内が来ていたっけ。

母の田舎の寺では護持費として毎年「供養米」を請求される。
都会に住むものには、お金に換算してよいことは暗黙の了解となっている。

「田舎だからお米なんだよ。熊本の上さんの実家からお米を送ってもらおうか」冗談を言っていたのだ。

月曜日に早速、振り込むとしよう。

ニシムクサムライ

あやうく今日が月初だったことを忘れる所だった。
仕事上も2月分の精算をしないといけないし、
月初だと早朝から行動予定も決まっているから、忙しさが異なってくるのだ。

あと二時間で、浅草寺に走っていかないといけない。
行ったが最後、昼過ぎまでバタバタしてしまうのは目に見えている。

何で2月はこう日が短いんだろう・・・

「西向くサムライ」小学校低学年に覚えた短い月の覚え方。
初めから30日でやっていけばよかったのに・・・
などと思った記憶が蘇る。
そのパターンに呑み込まれ飼いならされてしまった。

長い付き合いの中で、不思議とも思わなくなってしまった。

思ったついでにgoogleで
「何で2月は短いの」と検索をかけてみた。484000件もヒットした。
同じようなこと考える御仁が世の中にはいるものだ。

明治時代、文明開化の足音と共に、それまで使用していた暦を大転換した。
月の満ち欠けを軸にした太陰太陽暦から、お日様を軸にしたグレゴリオ暦に転換した。世界標準だとしながらも受け入れた先祖たちは、大変な思いをしただろう。どさくさな時代とはいえずいぶんと柔軟なものだ。たいしたものだ。偉いなあ。。。いつか調べてみなくちゃあ・・・
などと訳のわからないことも頭をかすめては消える。

ともあれ、今日がスタートしてしまったのだ。

さて一日の準備をしなくっちゃ。

下手人(げしゅにん)

当店の入り口に陣取っていた20匹ほどのめだかの親子がいたそうな・・・

ある日を境に2匹減り、4匹減り・・・
気付くと親子合わせて6匹に激減していたと・・・

そう・・・
ニャーオと毎日のように訪ねてきていた訪問者。

こいつしかいない・・・
犯人(ほし)のめぼしをつけたら、こなくなった。
悟られたか・・・

しばらく姿を見なくなった。

今朝しばらくぶりに顔を見た。
そおっと近づいてみると、
毛並みがすこぶる悪い。


どうしたの?
急に老けたのかと思った。

最近子猫をまた産んだって!

それで合点がいった。

子猫の栄養になったのか・・・

久々・・・歌に感動

最近の歌で久々に泣いた。

「歌スタ」から生まれた。
木山裕策さんの「home」である。

「歌スタ」を知らない方のためにちょっとだけご説明。
簡単に言えば、スター誕生の深夜版とでも言うような番組である。

チャレンジャー達は、楽曲を提供するアーティストたちの前で得意な歌を披露する。30秒の持ち時間が決められていて、見込みがなければ短時間で終了してしまう。もし光るものを感じれば、延長ボタンを審査員たちがおのおの押して10秒づつ持ち時間を増やすことができる。

そこまでですら残れる幸福者を殆ど見ない。
最終審査は、チャレンジャーのために曲を作り今度は、プロヂューサーの最終審査を受けることになってokならめでたくメジャーデビューと言うことになる。

最近、夜更かしの多い僕は、この番組をながら族として聴いている。

「スタ誕」と大きく違うのは、原石を磨いていく余裕がないこと。時間のかからない、即戦力を持つ歌唱力の持ち主を求めているように感じる。

極端なまでの完成度を要求しているのが視聴者である僕でさえ直感的に感じてしまう。

この番組が始まって以来、おおまか見ているが、最終審査まで残ったチャレンジャーは、何人?いただろうか。

歌い手の木山氏自らが四人の子持ち、しかも皆男の子という共通点もあるかもしれない。
そうなんだそうなんだと、ぼく自身知らずうちに、曲のイメージと想い出をダブらせ反芻しているんだもの。

声帯を失うかもしれないという大病を乗り越えて、再チャレンジしている真摯さに心が打たれたのかもしれない。

子供たちがいい子だからかもしれない。

詩に感動したのかもしれない。
詩の終りで子供の成長を通して、自分が父や母に愛されてきたことへの「縦の気付き」が歌われている。

こんな詩、いままであったかな…

盗難

組み立てたばかりの自転車でサイクリングに出かけた。

海岸線を走っていると旧知の友の顔も見える。
次々に併走するもの、追い抜いていく自転車も目立つようになった。

どうやら何かの催しとぶつかったようだ。
やたらと自転車乗りが多い。

(最近の自転車はやたらサイケヤな)
自分の自転車だってオレンジ色に傷隠しのステッカーをやたらと貼っておとなしいとは冗談にも言えないすがたなのに。

そんなことをブツブツ言いながらも、何キロかのコースを走った。

海岸線だった。
久しぶりにいい汗をかき、写真撮影のスポットを見つけた。
ちょっと歩いてみようかな。

観光地によく見られる屋根つきの簡易休憩所を見つけた。
近づくと催しに参加した連中の自転車でごったがえしていた。
縦横微塵に自転車が駐輪している。

ちょっとステップを上がった所で
数台止められるくらいの空きをようやく見つけた。
しっかり鍵をかけて・・・と。

ちょっと不安を感じながら外に出た。
絶景を堪能して戻ってみると、
なんと自転車置場は、フリーマーケットになっていた。

先ほどの混みようは嘘のようであった。
もう売れてしまったのだろうか、やたら台数は少ないし、
ちゃんと整理されていてがらがらだ。

「僕の自転車は?」不安が走った。

どこをどう探しても、オレンジ色のハデハデがどこにも見当たらない。

おかしいなあ。ここに置いたはずなのに・・・
と思ったところにはハンドルばかりが山と積んでいた。
その山の中に、派手なオレンジ色のハンドルを発見した。

見覚えのアルドロップハンドル。
こんなのどこにもあるわけないじゃん。バックも付いているし。

「これは僕のだ!」
もうこれはまちがいない。

「だれか警察呼んでくれー。」
「これは僕のだ。このバックの中に何が入っているかもわかっている」

胡散臭そうな青年に向かって叫んでいた。
(チッばれたか」

明らかに若者は表情を変えた。

あれ?へんだぞ?
目が覚めた。

ここ数日間、東京マラソンばかり見ていたからなあ・・・

仏壇屋にふさわしいチョコ?

店の子が持ってきてくれた

仏壇屋のためのチョコとでもいうべきか・・・。

「礼」あり、
「心」あり、
「愛」あり・・・

バレンタインってキリスト教・・・だったっけ

としたら、これはまさに東西宗教の出会いか!

神仏混交とでも言うべきか・・・ナンテ
まあ食っちゃえ。