千手観音

千手観音
http://www.youtube.com/watch?v=1sh6RzzMrcw

http://www.youtube.com/watch?v=YgLme7voQo0

感動した。

ちらちらと噂では聞いていたけれど、
NHKのドキュメントで彼らの身辺を伝えていた。
聴覚障害という身体的ハンディーをかかえ、
また、家庭的にも二重苦をもつ子供たちだった。
その必死の訓練の集大成だったと言うことを知った。

日本公演も僅かな期間。
行きたいなあと思うが希望で終わるかもしれない。

共産中国にあっても、
民衆には仏の心の根付いていることに力強さを感じる。
また、国策ではなく、仏策であって欲しいとも思う。

運動足袋

秋空には、やっぱり運動会がよく似合う。
思い出深いのは、小学校だ。

中学や高校時代もあったはずなのだけれど、何故か覚えていない。
歳をとると、古い記憶のほうが鮮明になると聞くが、
その傾向か・・・などとは思いたくもない。

小学校の運動会と言うと、運動足袋(うんどうたび)が思い出される。
運動足袋を持ち出すと、たいがいの人からは「何?それ」
と、言われてしまうのが落ちだ。

店の子たちに話そうものなら、
完璧にゼネレーションギャップに悩み、悩ませるだろう。

ほぼ同年代を生きたはずの上さんに話しても、
「熊本にはそんなものなかったわ」と食い違いを見せ、
あーだこーだと事細かに説明しても全くらちがあかず、
「一歳半違うと時代が違うのね」となって話はいつも終了する。

この短命なる「運動足袋」を
世間ではどれくらい知っているのだろう…
ちょっと不安になってくる。

世は、映画ALWAYS三丁目の夕日に触発されるように
大の昭和ブーム。
そんな文化もあったと覚えておいて欲しいわいとも思うのだ。

こうないないと言われ続けると、
もしかしたら自分で思い込んでいるだけで
そんなものは、この世に存在しなかったんだろうかと
記憶に刷り込まれ(つまり洗脳である)そうになってみたりもする。

が、が、が、だって履いたんだもの。
その記憶を消すことは出来ないょ。

ちょうどよい機会。ネットで調べてみた。
あったよ「運動足袋」 いやいやこれではないの。

もう少し緻密に調べましょう。

ありました。
こんどこそ「The 運動足袋」
なんだか、絶滅種の代表のような存在である…

けど、僕の想い出の運動足袋は、
なんともはかない陽炎のように一日の命の
白い運動足袋なのだ。

勝った事のない徒競争のためにと、
貧しい中、母に買ってもらった足袋が一日でボロボロになる切なさ。

それが「僕のALWAYS」なのである。

つい・・・

できごころで・・・

買っちゃいました。

ALWAYS三丁目の夕日の影響は大きい・・・か。

たばこ屋のねこが欲しい・・・

今日一日

ん?

いいねえ・・・猫は。

今日一日、朝から走り回ってしまった。
と言っても仕事というより、お参り・・・
んん・・・ちょっと違う。

意識を新たに・・・あ!これが正しいかな。
早朝は浅草寺に、
午前は靖国神社に。遊就館につい長居してしまった次第。

ちょうど、特別展示会も行われていた。

除籍謄本

手元に我が家の除籍謄本がある。
(お蔵入りした古い戸籍のこと)
神奈川縣多摩群鈴木町・・・

父の旧戸籍。

10年以上前に父の実家のある小平市役所に足を伸ばしとってきた。
明治3年に施行された戸籍法にそって作られたものだが、
80年を経過すると戸籍は廃棄処分されると知って(あまり知られていない)、
慌てて我が家の歴史を消してなるものかと役所に駆け込んで手元に残した。

100年を超えた一級資料である。

ときどき引っ張り出して眺めているが、
達筆な書込みを見ていると全く飽きがこない。
セーブしないと1~2時間眺めている。

僕の子供時代は、引越しの連続だった。
僕が生まれてから片手では収まらないくらい、
本牧を皮切りに横浜市内を放浪し、ついに今は浅草に落ち着いたわけだ。

除籍謄本を見ると、弘化4年からの歴史がぎっしり詰まっている。
面白いことに、百姓らしく、一度も引越しの跡はない。
自分とはえらい違いだ。

武蔵野の片田舎でのんびり暮らしていたのだろう。
父が大学に通うころですら「タヌキが先導した」
と言っていた話もまんざら眉唾でなく思えてくる。

けれど、江戸から明治、大正、昭和と時代は、土地の名称は激変した。

相模国から神奈川県縣北多摩郡鈴木新田、
東京府北多摩郡小平村、
東京都北多摩郡小平市花小金井とクルクルと猫の目のように変わる。
時代が急変していたであろうことは容易に想像できる。

家長制度の戸籍だけに、全てが記載されてもいる。
だれだれが何処に嫁に行ってどうなった、何処から来た、
だれだれが家督を継承した云々としっかり読み解ける。
歴史がしっかり詰まっているから身近なドキュメントであり興味深い。

いつか暇を見つけて、
家系図に起こしておこう。

日本人

椿三十郎がリメイクされて、森田芳光監督によって
撮られている。
織田裕二を主役に黒澤明への挑戦がされている。

その舞台裏をNHKで紹介していたが、
面白いと思った。

何が面白いかと言うと、
チャンバラごっこをしたこともない若い世代を
撮るという作業(仕事)の中で教育されていくことで
日本人のDNAが研ぎ澄まされていく。
その過程が面白いと思った。

明らかに、現代っ子たちである。
全体の為、組織のために死をもって尽くす。
至誠の世界。
現代どこかに消えてなくなってしまったのか
ここ最近見当たらない世界観である。

時代劇のそれの中で、
呼び起こされるものがあるのか…
共感する自分を観察していて、
気付かされた。
まあ僕なりの単純な思考かと思わば思え。
というところもあるのだけれど。

今、環境と言う影響圏、外圧の中で日本人が
恐ろしく変化していると感じている。

どこまでこの流れって進んでしまうのだろう…
そんな恐怖感のようなものが、いつも拭い去れない。
グローバル化する中で、情報過多の時代の中で
日本がどこまで日本として意識に残るのだろう・・・と。

今回、感じたのは、「変化」するということはあっても、
また、誘発される姿は現代のものとしか見えなくとも、
本質の部分には、
「日本人」は生きているのかと、
ふと嬉しくなった次第。

年輪

お客様も20年お付き合いさせてもらうと
何を考えているか、話さずともわかる。

下手をすると肉親より長くお付き合いさせていただいている。
韓国俳優のヨン様がよく自分のファンをファミリーと口にするけれど
よくわかる。

僕にとっても、念珠堂に訪れてくれるゲストを
心の中ではいつもそう思うもの。
年上なら、お姉さんお兄さん、お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん
年下なら、弟、妹・・・
接している自分の心持ちにその心に染まってさえいられれば、
いくらで売ろう儲かろうなどとは、決して思えない。

「どう良くしてあげれるだろう」
「どう喜んでもらえるだろう」
「どう解決してあげれるだろう」
そんな気持ちしか湧いてこない。

逆にそんな気持ちが湧いてこないときは、自分がいけない。
まったくやりきれなくなる。

仕切りなおさないと、店を開けていても意味がない。
怠惰な仕事として店に立ちたくない。
黙っていても過ぎ去る時間をむさぼるような生き方だけはしたくない。

いつもながら、そんな思いにさせられる。

そして時々年輪を刻んだねと驚きを隠さないで励ましあえる。
そんなお互い様を言い合いたい。

ごくあたりまえのことをごく当たり前に行なえる
そんな店でありたい。

店(ここ)をかわいがっていただいて
ファンになってくださった全てのお客様に
ファミリーでありたいな。

と、つくづく思う。

懐かしい本が出てきたよ.

事務室の書棚があふれかえって雪崩が起きている。
とにかく本が多いのだ。
もうあきまへん。

がさごそ片付け始めた。
書棚をひっくり返していると、
30年近く前に買った「性格推命術」という本が出てきた。

動物占いのようではあるけれど、もう少し詳しい。
一時は、あれやこれやせっせと友人のを調べたものだ。
いつか埃にまみれていた。
改めて見ると、今更ながらよくあたっている。

ちなみに僕は、「月から来た哀愁のうさぎ」という判断。

昔月に住んでいたウサギ。地球に馴染めずどことなく落ち着きがないのも憂愁の霧がかかって見えるのも遠い故郷を思うため。特異な勘と閃きを持ち独特の世界をつくり上げる跳ねるような行動力もありますがへつらったり妥協しないために、地球人に誤解されもする。お人好しで、短気衝動的で刹那的気まぐれ皮肉屋なのに合理的な理論家。いつも喧騒の中に出かけては孤独をかみしめ明日こそはと月に帰る日を夢見るロマンチスト・・・

要するに周りからは理解されにくい気まぐれ屋ということ。
糸が切れた凧とでも言うことだろう。
思い当たるふしはありありだ。

ついでに上さんは、「機織り牛」という。

おぼろ月夜の明かりに照らされて糸を紡ぎ、丹念に機を織っては倉にしまいこむ堅実な牛。よほど切羽詰らない限り、無謀な危険を冒したりはしない・・・

要するに粘り強く超堅実なのだ。

よくまあ!切れた糸を紡いでくれている。
水と油が一緒にいるものだ。

けれど、面白いことに実姉も、
昔お世話になった先輩も同じ「機織り牛」なのだ。
どうやら僕には、ブレーキ役、修復役が
必要ということなのだろうかな・・・

そんな目でみてみると
結構、補完関係にあったりするんじゃないのかな。

皇紀

今年は何年だっけ。

知らないんだ。今の人は。
本当に?

「皇紀」

神武天皇が即位されてからの暦のこと。

皇紀2600年には、万国博覧会や東京オリンピックもこの年を祝福する為に計画されていた。もちろん戦争の影響で、中止となってしまったが。
貨幣や切手にももちろん用いられている。
宮崎県にある八紘一宇の塔もこの記念行事の一環で造られたものである。

皇紀2600年にちなんで2600形と呼ばれる型式の電車も生産された。

自分も横浜市電に2600形があったから、覚えたようなものかな。

零式艦上戦闘機(ゼロ戦)もこの年の採用。

ちなみに今年は皇紀2667年か。。。

http://r25.jp/index.php/m/WB/a/WB001120/id/200710111121?vos=nr25alsc0162002

三丁目の夕日

前作は子供を連れて観に行った。

自分が生きた昭和を説明するのに丁度良い共通言語になる。
まさしく百聞は一見にしかずである。

子供らには宮崎駿の「千と千尋」や「トトロ」を観るような奇異な時代として
あくまで物語として映るのだろう。

でもそれなりに、この時代は国が貧しいながらも、
どことなく希望に満ちた時代だったと感じたようだ。

昭和の家族がそこにはあったと映ったのだろう。

息子の一人はそれから映画にのめりこんでいった事例を見ると、
興味のきっかけをもたらした作品だったのは確かなようだ。

物語である以上、誇張部分はしかたないとしても、
自分が育った高度成長期前夜の昭和を少しばかり再発見させられるのは楽しい。

子供心にも、大人たちの話に日本が変わっていく、
「未来は明るい」と、どことなくワクワクした(できた)時代だった。

そんな感覚って取り戻せないものだろうか。
と、思いながら親は観るのだろう。