融ける…

連続40℃が続く日本列島…
融けていませんか…

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070817i411.htm

体温より高い気温なんて…
海外の話と思っていたものが、
まさか、我が国で経験できようとは、思いもよらなかった。

酷暑の言葉が採用されたとたんに35℃を超えるのが
当たり前のようになってしまう。
卵が先か、鶏が先だろうか。

40度以上の名称をきめたら、
今度は続々40℃が当たり前になったりして…

…もういい。
なかったことにしましょう。

「あたりまえ」

近くの仏壇屋の奥様と従業員さんが来店された。

目的は、弟子入りだ。
と言うのは冗談だけど、

念珠の製作方法を教えて欲しいと懇願されたのだ。

ちょうどお盆あとで客足もまばらだし・・・

「まあいいか」

と言うわけで、念珠作り教室を開いたと言うわけなのだ。

生徒は、同業者の仏壇屋さんといっても念珠つくりは全くの初心者。
糸のもち方から、伝えないといけない。

「教授するくらいは簡単なもの」と、高をくくっていたのだが…

いざ伝えようとすると、

人の体を動かすのは、なかなかままならん。
あれ?右だったっけ、左だったっけ…
どっちを通すんだっけ…
男結びは、こうだったっけ…

正に悪戦苦闘の連続。

四半世紀、念珠作りをやっていると、
脳みそを通さず、体が勝手に動いてしまっている。
いちいち考えていないということだ。

それだけに、
いざ、言葉に出して教えようとすると、

いちいち自分の手に問いかけないとわからない。

「左手さん、こうだっけ」
「右手さん、紐はこっちに向けるんだったっけ」
と確認しているのだ。

あまりにも当たり前になりすぎていると、
そのありがたみがわからないのだ。

考えると「あたりまえ」は、
身の回りにいくらでもある。

歩ける「あたりまえ」、
声を出せる「あたりまえ」、
食べれる「あたりまえ」、
大小便がだせる「あたりまえ」、
汗をかける「あたりまえ」、

人のいる「あたりまえ」、
空気を吸える「あたりまえ」、
水を飲める「あたりまえ」、
生きていられる「あたりまえ」、

・・・・

挙げればきりがない「あたりまえ」。

あまりにも当たり前になりすぎて、
忘れている。

けれどいざ「不足」になると、
「当たり前」が実は、
全く「当たり前」でなかったことに気づく。

「あたりまえ」は、あまりにも偉大だったのだ。

今日は、「あたりまえ」に、気づかせてもらった。

悟り

朝、仕事を片付けに店に顔を出す。

昨日は昼過ぎから出かけていたものだから、
全てやりっぱなしのごーちゃごちゃ。
デスクの片付けと貯まりにたまった資源ゴミをまとめに
未明に出社した。

早朝にかかわらず、もう息苦しさを覚える。
熱気を避けるようにシーンとした店内に入る。

この時間の店内が、一番好きだ。

戸を開けて中に入ると、
昨日までの冷気が若干残っていたのか瞬間ヒヤッとした。

本当は、そんな冷気が残るはずはない。
いかに外気が常識を超える高温に達しているかなのだろう。

かび臭い外の匂いから急に清らかな空間に入る。

いつもなら戸を開けた瞬間に、
龍脳のスッとした香りが鼻に飛び込んできて、
気をシャンとさせてくれる。

けど、今日はいつもと違う。
全く違う。

何?
深炒りのコーヒー豆の香りが充満していた。
????

コーヒーのお線香が入荷したばかりの頃は
異質な香りが店内を占めたこともあるけれど…

今日は、まさしくコーヒー店に化けている。
しかも自前の焙煎をする洒落た店。

そんな感覚に陥るほど、香りが店内の隅々まで充満している。
何だろう…

あたりを見渡してみる。
小さな小包が仙台から届いていた。

お付き合いをしているネルソンコーヒーからの豆が
机の上にちょこんと乗っていた。これが原因か…

30坪の店内は、
たかだか、B5にもならないサイズの豆の為に
お香の香りも全く影を潜めていた。

すごいものだ…

小さくとも影響を及ぼせる、
存在感のある店になりなさいということか。

香りのお届け物に、朝一番悟らされた。


(注文したのは僅かなのにこんなに入っていたょ)

焼きつきました

ずいぶん靖国神社は騒がしかったようだ。

一度、この日に行ってみたかったのだけれど、
なかなか思うにまかせない。

お盆を意識して人も配置していたのに…
今日は、店内は閑古鳥が鳴いていた。
この暑さ、お客様も出そびれるよね。

あ!これなら、出られるぞ。
と思いきや、こういうときに限って仕事が舞い込むもののようで、
気付くともう1時をはるかにオーバーしていた。

朝、九段に行きたかったのに…
じゃあ西に行こう。

と言うことで、

店の備品を求めに船橋に足を伸ばすことにした。
表に出たとたん、
いやーーー溶けた。
もう…トロッっと溶けました。

昨日にも増して陽射しが差し込む。
チクチクしてくる。
ここまで来ると、かえって気持ちがいいくらい。
と言いたいが、

さっさと、車の中に逃げ込む。
けど、窓を開ければ、熱気で息ができない。

これは、まさしく地獄の火か…

終戦のこの日に、この火のような日。
はい。

しっかり身に焼きつきました。

お盆

毎年8月は不思議な感覚にとらわれる。
お盆をはさんで、普段にないお客さまの来訪もある。

店が混むのは7月のお盆なので、仕事の感覚を離れて
少し客観的に見ることができる。
ただ、この月は普段とは感覚が、まったく違ってみえる。

口で表現するにはかなり難しいのだが、
しいて言うならば、
彼岸が近づくとでもいうのだろうか。
ご先祖が川のむこうから訪ねてこられる、
とでもいうことだろうか。

断続的に混みあう店内をよそに
毎年のように考えさせられるお客様の来訪が多い。

今日は、
代々霊を感ずるという母子の願いで、念珠を製作させていただいた。
僕には、そうした姿が見えるわけではない。

ここに入ると気が落ち着くと、
入ってこられたときの険しい顔が
みるみる表情を和らげられる。
小一時間話をされていかれた。

毎日、接客させてもらう方にこうした方が
必ずいらっしゃる。

川向こうを感じざるを得なくなる。

普段おろそかにしている

父の眠る仙台の墓に向かって祈りなさいと言うことか。

就業時間中なれど…

ここ最近、昭和史に熱を入れている。

油山事件を検索しているうちに、
たまたまGoogleに引っかかってきたのがこの項目だった。

九州一の侠客の息子として生まれ、
戦中は国会議員となり、戦争反対を唱えることで、
投獄され、死線をさまようとする時に、聖書と出会う。
戦後は牧師となり、その傍ら北九州市初代市長となった、
吉田敬太郎師の人生を綴ったものであった。

汝復讐するなかれ

本来冊子だったものを、メソジスト教誨側でWEB上に公開したのだそうだ。
短編小説程度はありそうだった。

7月盆より人足は少ないとはいえ、お盆本番の真っ最中。
なのに、奇想天外さと、真摯な生き方に興味を覚え
つい、つい、読みきってしまった。

仏教に囲まれて仕事をしていると
(キリスト教やイスラムもたまあにあるが)

因果律で物事を考える癖が付いてしまう。
(師も最後あとがきに記されていた)

神の愛という救いの概念がとても新鮮に映った。

学生時代にもらった聖書を読み返してみようか…

夏を乗り切る

ここ最近、いくら寝ても、寝ても、寝ても、
寝たりない。

まだ、夏本番に突入したばかりと言うのに、
午後になると、あくびが止まらない。

セミの声など聞いたら、
条件反射でコロンとなってしまいそうである。

夕食を済ませると、これもまたコロンである。
持ち帰った仕事は、虚しく袋に入ったまま朝を迎える。
読みたい本も、スタンバイしながら読み手に振り返られることもなく
伏せたままとなっている。

体は中庸を保とうと頑張っているんだなあ。
少しは労わってあげるとしようか…

林道趣味

当家もついにビリーさんの傘下に入った。

まあ三日坊主がせいぜいかなと思いながら、
夫婦お互いの腹を気にしながら、
気休めに軍門に下った。
なんちゃって入隊である。

友人の状況を見ても頑張ればそれなりの効果がありそうだけれど、
楽しさを会得しないと長続きするものじゃないだろうな。

長続きと言えば、
最近、森林浴やさらに進んで、
森林セラピーという世界があるということを知った。
厚生労働省の指定も受けた森林セラピー箇所も全国に指定されている。

実際、そこでストレス度を入山前に確認し、
下山後計ると確かに下がっているのが視認できる。

数字で確認できると言うのは、なかなか説得力がある。

けれど、
どうせ森林に入るならば、
自転車を脇に抱えながら入りたいものだ。

僕の林道趣味は、極みは担ぎなのだ。
登山道を自転車を背中に担いで歩くものだけれど
なかなか良い運動になる。

その一歩手前が、自転車を押して森の小道を歩く。
ふかふかした落ち葉のじゅうたんの上を、
木漏れ日を受けながら木の香を吸い込みながらのんびり歩く。

小川を見つければ、ひっくり返って昼寝。

そんな一日を過ぎると、もう完璧にリセットされる。

と、ここまで書いていると、
じっとしていられなくなってきた。

どうしよう・・・

時を越えて受け継ぐ

昨日の靖国神社は、嵐の前の静けさ。

敗戦記念日の当日は、とてもまともに歩けない参道も、
今日は凱旋車一つない。
夏の太陽、若干の緑風、
走る自分の飛び出す心臓の音のみだった。

この坂も何度、駆け上がっただろう。

こんな写真とってる暇ないよと思いながら、

走りながらもつい手を動かしてしまう。

何処かで見た光景

遊就館でSさんと元特攻隊の紳士と再会した。

館内をしっかりと説明していただいた。

氏は、陸軍特攻機、さくら弾を知る数少ない証人。
戦後生まれの自分には想像でしか感じとれない部分を、
充分すぎるくらい補完してくださった。

靖国神社には喜怒哀楽をもつ人間の、
血のかよう生々しい人生が祀られている。

けっしてここは、記念館、ミュージアムではないのだ。
字面には現れてこない悩み、苦しみ、悟り、喜び、決意…。
そんな心の結晶があるのである。

時の日本の置かれた状況を理解し、
個としての夢を散華してまで未来に国を残したい純な心。
そんな若者が「いた」という事実を事実として、
受け止める責任が僕らにはあると感じさせられる。

氏は、
「ここに来るたびに先に逝った戦友にすまない思いでいる」
「昭和の大戦は、自分の中で終了させたい」とおっしゃていた。

なんの、まだまだ。
もっともっと伝えて下さいね。
正直思った。

驚きの企画をその後、
友人に用意され…
(氏もぼくも友人も誕生日が近いので)
氏にとっても僕にとっても
言葉どおりサプライズだった。

ダブル感動の日だった。

まさしく「感動した!」

アンパンマンのエキス

友人のサイトで紹介していた。
「アンパンマンのエキス」

献血に対してしばらく意識がなかった。
この一瞬にも、逝く命がある。
逝かざるを得ない命がある。

けれど、支えあう善意がある。
そして、できる善がある。

人が人である証とは「支え愛」だな…

と、

改め感じさせられた。

http://www.tss-tv.co.jp/news/anpan/

昨日は、お得意さんであり、
友人であるY氏から頂戴した手紙に、散々感動したばかり。
ありがたい、正に「有り難い」ことだと思う。

二日続けて、感動の連続である。