浅くさらしさって…

今日は・・・
昨日とは、打って変わって店は暇。
何故か自分だけがバタバタしている。

こんなときでもないと、できないことが山積みだから
仕方ない。

こんなに春の雰囲気が漂っているのに

風は、北西の風。

つめたーい。
さぶーい。

友人のCDを探しに、近くのレコード店に行った。
タワーレコード一位という実績を持つユニットなのに、
インディーズは注文受けないとか…

「固いこというなよ」と心に棘を持ちながらも
浅草らしいと言えばらしいか…などと
早々に諦めた。

浅草を離れて探すとしよう。

今日もひとつ得した気分

最近、夜更かしが続く。
といっても、たかが知れてはいるけれど。

夕べは、パソコンに向かいながら、NHKアーカイブスを見ていた。
http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2006/h070311.html#02

ドキュメント人間列島「64歳の新人医師」という内容だった。
27年間の教師生活にピリオドを打ち、50を過ぎて、京大医学部を受験し、医師国家資格を8回チャレンジし、
見事合格する。
その64歳の研修医生活を追ったものだった。

84歳の天寿を全うするまで現役で頑張ったと言う。

見るつもりではなかったけど、その情熱に引き込まれ、
魅入ってしまって、仕事どころではなくなった。

学生時代の同級生との対談のシーンがあった。

かたや、老齢の押しも押されもしない病院長。はじめから医学の道を行った彼の友人であり、
かたや64歳の新米医師である。

全くの同い年ながら、容姿も体力も覇気も全く異なって見えた。
老いという時間を享受していく者と、
夢を実現していく情熱の時間の違いがそこにあるように見えた。

その格差に夢を持つことの大きさを如実に垣間見た。

ひとつ教えられた。
得した気分。

灯台下暗し

自転車で郵便局に行く途中
近くに発見。

元居酒屋の店内を所狭しとパーツで埋め尽くし
体を折り曲げて作業をしていた。

話しながらも、決して手は休めなかった。

去年の夏に開店したのだとか。
30年を越える趣味が高じて、はじめたのだそうだ。

昼間はバイク便を本業としているから、夕刻からの開店なんだとか。
なるほど!どうりで、開店中に出くわさなかったわけだ。

けっしてお世辞にも、「綺麗な」という形容詞は使えないとしても、

2階を埋め尽くす、フレームやパーツの数々には、

好きでなければ、集まらないだろうことが、
同じ好き者として、びんびんと伝わってくるのだ。

店主の情熱に、感じいることしきりだった。

消費者の立場に帰って、改めて教えられた。
我が店はどうだろうか・・・

心のトレース

ALS(筋萎縮性側索硬化症)
久しぶりに、テレビのドキュメントを介して目にした。
NHKの人間ドキュメントのなかで、
少年期に心を開かせてくれた友人に、
己が僅かな余命の間に逢いたいとして、探し出すノンフィクションであった。

自分がALSを始めて知ったのは、30年以上前のことではあるが、
当時は、名前すら知らなかった。
とにかく奇病としか告げられなかった。

次にその病と出会ったのは、
親しくしてくださった、お坊さんが寝たきりとなった。

頭の良い方であっただけに、
本人も、介護する側も口で言い表せない苦悩であったろう。
人生の理不尽さを、心底感じた記憶が今も残る。

科学の進歩著しい現代にあってもなお、
解明されない、病に苦しまねばならないのかと、
目頭を熱くした。

愛する人が、人が人として生きる最低のラインを下回ったとき
周りはやさしくなれるだろうか…。

いや、そうならなければならないのだろう。
そしてまた、知ったものは、
わが身に当てはめてトレースしていくことが必要なのだと思う。

一枚の表紙絵

前から気になっていたことがある。

上さんが塾の講師をしていることで、
隔月購読している本がある。

塾ジャーナルという情報誌なのだが、
問題はその表紙である。

http://www.manavinet.com/book.html

読み始めの頃、へーこんな本があるのか…
関心があるのでもなく、自然に表紙に目が落ちたのだ。

「ホー。市電か…珍しいな」程度の驚きだった。
回が重ねていっても、チンチン電車の表紙は、
よく書き込まれた、雰囲気のある絵のシリーズだった。

しかも、手抜きがない。
好きな人間どうしには感ずる何かが、
オーラのような何かが表紙絵から出ている。
どういう作家か興味が湧いた。
が、が、が、
調べていたが、いっこうにつかめない。

灯台下暗し。
ようやくネットで検索することを思い立った。

一発回答。
「鈴木城氏」がその作者名だった。
神戸生まれ金沢美工大後教師を続けられている。
神戸市電の本も出版されたようだ。
なるほどね。

どうりで…である。
この描写が生まれる訳がわかった。

と、書きながら、一つ気付かされた。
「いい仕事する為には、愛が必要なんだ」
好きを越えて愛情を持って仕事に向かうとき、
伝わるものが生まれるんだろうなあ。

そういう仕事をし続けたいね。

やっぱりお客様は慕わしい

とても、慕わしいお客様の来店の多かった一日だった。

ネットのお客様が、リアルのお店にご来店いただけるのは、
何ともいえない喜びがある。

はじめまして、いつもありがとうございます
が、この世界のご挨拶になる。

すでに、ネットの中ではお得意様だから、
どういう方かは、よく存じ上げている。

ただ、五感のうち、視覚でしか捕らえていないから、
あと四つの感覚(まあ味覚は当然抜くから三感となる)が残っているわけで
お店で再会するという構図なのだろう。

昔、小中学時代、流行った「文通」とよく似てはいる。
しばらくやり取りしていると、「写真を送って下さい」というようになる。

そこで、交際の終る率は高い。
しかし、そのフィルターを何とかクリアーすると
今度は実体と会いたくなってくる。

とにかく一番写りの良い写真をお互い送りっこしているのだから
お互い悩む・・・こともあっただろう、と思う。

この試練も越えて出会うと言うのは確率的には、
夜店のコルク鉄砲で、商品を打ち落とし、
勝ち取るより低かったのではないだろうか。

前置きが長くなったが、
ネット商売をしていて、お客様の来訪を受けるのは、
得もいえず嬉しいことである。

S女史の訪問をいただいた。
ちょうど目黒のY氏の訪問をいただいていた最中であったので
立ち話しとなってしまったが(ごめんなさい)。

お土産をいただいた。驚いた。
今、一番欲していたものだったのだ。

以前、立正佼成会とお付き合いさせていただいているときは、
躍進の本によく特集されていた世界宗教者平和会議のニュースだったが、
今は、うわさを聞いても、それを知る術を知らなかった(ネットがあったんだよね)
http://www.wcrp.or.jp/

女史がお身内と参加されたことを以前知り、うらやましがっていたぼくに、
記念誌を持ってきてくださったのだった。

ほかほかの記念誌だ。

お身内のS師も何千人という参加者がいる中から選ばれて、
どアップ写真が掲載されていた。

法に厳しくも慈悲心の師ゆえ、そのオーラをカメラマンは、
見逃さなかったのだろう。

世界の宗教が一同に会するこうした運動には、
心から感服する。

日頃は紛争地帯の心ならずも敵同士となる宗教者も会していると聞き
なお、感動した。

教え(文化)の宗(もと)なる宗教間が、こうして融和していくのだから、
文化、政治、経済においても融和していくであろうこと、

そうした顕在化が一刻も早くなされることを
心から願うのは、Booのみではなかろうと思うし、切に願う。

回転寿司

友人のサイトで紹介していたので
つい手を出してしまった。

「回転寿司占い」なんて言うから
寿司好きの僕としては、黙って見過ごせない。

http://moura.jp/uranai/sushi/index.html

何度やっても、「いくら人間」と出る。

自分らしさを追及するタイプと出て止まない。
どうやら、今の仕事が適職のようだ・・・

ところで、趣味の一つ、本屋の立ち読みで、
回転寿司の秘密という暴露本っぽい本を見つけた。

この手の本は、立ち読みに限る。
(ついでに言えば週刊誌は、喫茶店の座り読みに限る…要するにゴシップ記事は買うに耐えないということなのだが、話ネタ程度のものと割り切っている)

何故、回転寿司のネタは安いのか?と言うのだが、
読んでいると、二度と行きたくなくなる。
代用魚がどうの、薬漬けがどうの、背筋が冷たくなってくる。
お寿司好きで、どれだけ食してきたと思うのか…

大方読み終わったところで小腹がすいてきた。

さあて…
回転寿司に寄って行こう。

鉄舟

昼過ぎ
懐かしいお顔。発見。
福島のS師。

東京に大事な会議に出られる、
その足で、わざわざ浅草経由で行かれるという。

以前に「「鉄舟」を再認識しました」とブログに書いたことを
覚えていてくださり、大事な資料を持ってきてくださったのだ。
ずっしり重い。

「とてもよくまとめられているから」とニコニコしながら渡して下さった。
共にいらした弥子淡さんのうんうんとうなずく姿に
ほほえましさも感じながらも、
鉄舟の精神性を学ぶバトンを
渡されたような緊張感をも同時に感じた。

「これも良かったら」って
S師が書は、まさしく筆が踊っていた。

僕には、同列の宝物だ。

いつまでたっも・・・

我が家は、結婚してこのかた、
「肥後米」以外めったに口にしない。

母の田舎は「ささにしき」の本場であるのだから
もともとは当然、ささにしきファンであったのだが、

結婚して此の方、すっかり好みが変貌した(させられたが正しいかも)
まあなにより、それまでは「肥後米」の旨さを知らなかったのだから
しかたないと思っている。出会いとは恐ろしいものである

関東以北では「肥後米」そのものを、口にしたことがない方が
多いのではないだろうか。

調べてみると、明治期、特に江戸時代までは、
米の相場を決める重要な基本米だったことを知った。

また、江戸にも多く流通していて、ごく一般的なお米であったようだ。

味は、南国育ちであることも影響するのか、ねっとりとして少々時間がたっても
新米の気負いは消えることがない。

もっとも、エンゲル係数のグット高い我が家では、
一ヶ月の山を越えたためしがないのだから、計りようもないのだが。

けれど肥後米が本領を発揮するのは、冷めてからである。
一日以上経って、冷飯になった時の食感のよさは、比類がない。

米の宣伝をしようと思ったのではないのだが、
そんなお米を、せっせせっせと田舎から送り続けてくれている。

親は、いつまでも親であり続けるんだなあということに気づかされるのだ。

昨日送られてきたお米をふと見ると
ビニール袋を透けて、赤い帯がのぞいていた。

50を越えた子供も、子供は子供。

改めて親のありがたみが沁みる、一封だった。

これが噂の・・・

朝「夕張に持って行ったらキムタクのパンと喜ばれた」と朝ズバの
司会者の言葉に乗せられて、ついフラフラと・・・
胸ドキドキにあけてみれば、
なあんだ、ただのカレーパンじゃないの。

あ!このビニール袋が貴重なのね。

ミーハーが経済の砦と開眼