イメージトレーニング

何だか一日中、
空ばかり見ていた。

低気圧が近いためか、
上空の気流が安定していないのだろう。

とにかく、
蒼さと雲の白さのコントラストが絶妙で、
いつまで見ていても飽きなかった。
時間があれば日長見ていたいくらい
変化に富んでいた。

商売柄か龍に見える雲が一番多かった。
次がうろこ。あ!これも龍ね。

観音様。
合掌。
舟。
波。
・・・・・

なーんだ。
商売柄ばかりじゃないの。

ニューバージョン

今日は夏日も夏日。
直射日光は、かなりのもの。

で。

店に顔を出すと・・・

お店のお姉さんにかぶせてもらったんだって。
よかったね。

なかなかお似合いっしょ。
この夏は、これでいきますか。

いつも空を見上げる

見上げてごらんーー夜のほーしを♪

空を見上げる癖がすっかり付きました。
夜の星は、残念ながら、ほとんど見えないので悲しい。

子供の頃は手に取るように見えた天の川も何もかも
霞の外だ。

比べて、昼間の空はいい。
吸い込まれそうな蒼に恐いくらいなときもある。

都会の中でもここは、自然真っ只中だもの。

ならば、
いっそ上下逆にしてみてみたらどうだろう。


が・・・


大海原?


が・・・


深海?

時々ひっくり返って見ると、世界も違ってきそうだ・・・

観音様

いかがだろうか・・・

ここ浅草は、観音様のお膝元らしく、
観音様の名を拝した尊像には、
ぼく自身ちょっとこだわりがあります。

救世観音様が真ん中に浅草の形(古いお寺で時々お目にかかるが)の
聖観音様(右)と通常のお姿の聖観音様(左)。

一位あり、白檀あり、柘ありと材もまちまちなのだが
彫りは気に入っている。

この大きさに合う、
かわいいミニ常花をサンプルとして手に入れた。

シルクフラワーを使用していて、
けっこうかわいい。
何より、見栄えがすると思う。

今までこの大きさの蓮はなかったので、
いいかなあ・・・
本入荷しようかなあ。

不動院

白髭橋近く橋場には、不動院がある。
今は寺域もわずかだが、信仰の息吹は
そこここに感じることが出来る。

こういう様は、都会の寺院らしい。

大正時代の布施板
最近の画一的なものとは一味違う。
小さなところにも信仰の香りがぷんぷんしてくる。

お百度石も残る境内。

いただきました

頑張り屋さんからいただきました。

とにかく人生にまじめに一生懸命の水戸のHさん。

ありがとうございます。

明るい笑顔を見せてくれるだけで
幸せな気持ちにさせてもらいました。

ちいさなことだけど

もともとデスクワークがいやで、
土木技術者の道を選んだ。

山野に囲まれたくて、
自転車趣味を選んだはずなんだけれど・・・

どういうわけか、気付くと都会のビル群に囲まれ、
窓を開ければ、隣の窓に飛び移れそうな下町にあって、
お店に一日はりついている。

考えれば考えるほど「?」が百も千も浮んでは消えていく。
縁の不思議さを噛みしめる。

自然にどっぷりつかるのは何より好きなのだ。
いつかは、海の近くに住みたいとも考えるが…

こんな都会の真っ只中だけど、
ここに暮らすと、些細な変化でも敏感になるのがわかる。

ネコの額の自然が微妙に変化する。
その様がすばらしく変化に富んでいるように見える。

小さな命が、懸命にアスファルトの切れ目から、
敷石の継ぎ目から、
植栽の合間に…と、ところどころ顔をのぞかせる。

人工的な中にも自然に回帰しようとする命に
ついエールを送ってしまう。

ラベンダーが植えられた雷門前。

考えさせられるなあ

ネット上での中傷ほど人間の暗部を見せるものはない。
かといって反論すれば、これほど不毛さを感じるものもない。

隠れ蓑に、姿を隠しながら槍で突っつくのだから、
これほど卑怯なことはない。
見えもしない相手に向かうのだから。
虚空からつぶてが飛んでくるようなものだもの。

姿が見えないと、何でもできる???

人の本質に巣食う暗部なのだろうか。

ぼくの店の前には、長年小僧さんが合掌して、
道行く人に挨拶を交わしている。

もう20年をゆうに越えているが、僕と同じですこぶる元気だ。
ただ、あちらこちら、光出してきてはいる。
道行く人が、撫でていくからに他ならない。

その様子を見ていると、人間性が姿かたちではないことを、教えられる。

高等教育を受けているように見える上品な方が、
「かわいいね」と撫でる子供の手を、
「汚いから触るな」と、小僧の頭から引っぺがす親もいれば、

ヒップホップのリズムを取りながら
ふと立ち止まり、手を合わしていく強面の若者もいる。

本当に楽しい光景が見られる。

こちらが人の本質と信じたい。