ぼくが始めてアルバイトに手をだしたのが小6の夏休み。
新聞配達だった。
いざ給料日になると当初の約束と異なり、
働き口を紹介してくれた配達員に賃金を中抜きされ、
「田舎に帰りたいからちょっと待って」なんて
今考えると信じられない理由で給料の遅配までされた。
金で人は豹変するものだと骨身に沁みた。
次が、中3の夏休み。
1969年7月20日に面接を受けに行った。
何故詳しく覚ええているかと言うと、アポロ11号の月面着陸の日だったからだ。
面接を受けた社長室のテレビに映る月面の映像が気になって
何を答えたか全く覚えていない。
大阪万博の記念メダルセットが欲しくて働いた。
一ヶ月、蒸し暑いはかり工場で錆落としをしていた。
真夏の工場のつらさをとことん身に沁みるが、工場内の技術者にはすこぶる可愛がられ、一杯飲み屋にしょっちゅう誘われる。
その次が高校1年の春から、毎日曜日建設現場でサッシ清掃をした。
北海道一人旅の軍資金のために働いた。
奄美大島出身の社長にすこぶる可愛がられたが、ぼくの神をも恐れぬ失態で、責任辞任し、苦い思い出となった。
思い出してみると、親に反対され隠れてバイトをし、悲しい結果に終わったこともあったが、今にして思うとそれなりに有益だったように思う。
昨日、長男が初めてアルバイトに出かけた。
プッシュしないと何のアクションも起こさないポーちゃんなので、いつも母親の雷を一身に受けている。
それが、高校の卒業旅行の軍資金ためようやく重い腰を上げた。
初日、帰ってきて「どうだった?」と聞くと
「戦力になるって言われたよ」
軽作業と聞いていたが、靴の入ったダンボールを持ち運ぶ作業のようで、結構重労働のようだ。
剥けそうになっている手を見せながらも、にこにこ顔。
どうやら何とかなりそうかな。
夕食の手伝いをさせようとすると、
「筋肉痛だあ」
早速動かない。
「それはそれ、これはこれだろう」とぼく。
まあしばらくは、我慢するとしよう。