ここ浅草に住んでいると、戦争の遺構や物語に出くわす機会がめっぽう多い。
華やかな町であるから、対極にある悲しみがなおいっそう特出するのかもしれない。
毎月初めの朝、浅草寺の掃除を慣行としているが、
掃き清められた境内にたつと銀杏の木には今なお空襲の爪あとが色濃く残る。
桜の名所の墨田公園沿いもさばききれない焼死体を仮埋設した。
乱痴気騒ぎの足元にそうした歴史があったことなどどこ吹く風。
片隅にそっと大空襲殉難者の碑を見つけて欲しい。
言問橋はさらに著しく被害の多かった場所。
焼死された人の跡が長らく残ったという。
つい最近ポーランド帰りのSさんの話を聞いたばかり。
決して許さないポーランド人の戦争への姿との違いに、
複雑な思いでここしばらくは過ごすことになるだろう。
http://www1.ocn.ne.jp/~susuma/bombing/bomb.htm