東京マラソン私考

東京マラソン当日にも少し触れたが、
自分なりにマラソン効果を検証してみたくなった。

主催者ではないので数字的なものはつかんでいないのであくまで主観的なものである。

35000人という人数を1200万人の首都を交通規制して決行するということ、
その大人数を大きな事故なく何事もなかったかのように終われるは、大したものだと思う。敬意を評するに値する。

42.195kmを走らんとする応募者が3万5千人の枠をはるかに越えた。ランナーに選ばれることすら難しいと聞く。
健康志向を反映しているためだろうか、ランナーがこれほどまでに多かったのかと改めて驚かされる。

考えるに、都民が参加者の何パーセントを占めるのだろうか。
ランナーにとって首都東京を走ることは、やはり楽しいものだろう。
しかし、願わくは、

「都民がひとつとなる」と謳う以上、ランナーの選出に多少の優先順位を設けてもよかったのではないだろうかと思った。
つまり東京在住、在職者を優先して走ってもらうということだ。
ランナーに差をつけるのは申しわけないがそれくらいのローカリティーさもあってもよいように思う。

まあとにかくランナーを軸にして沿道の協力体制、は大したもので「都民がひとつとなった日」と大方の人は認めざるを得ないのではなかったのかと思う。
参加者に対する応援熱にはすばらしいものがあった。
日本人の他者への奉仕心を再確認される。

経済的波及効果はいかに。
人が集まればそれ相応のお金を落とすものだ。
参加者とその応援に回る家族、知人友人。
沿道に押し寄せる応援の人並みはいわずと知れたこと。準備に要した延人数と経費。一年をかけて準備に怠らず次回を準備しているのだ。

走る側、見守る側、双方が感じる都市景観への再確認。
日ごろ車目線でしか見つめない幹線道路も江戸時代さながらの速度と目線で見つめると警官はまるで違って見えてくる。
これは都市再生のための人々の認識のベースになるのではないかと感じる。

「東京もいいじゃない」東京は私のふるさなのだという思いの定着。
「花咲き花散るよいも、銀座の柳の下で・・・♪」
東京を多くの人が前向きに捕らえ、愛した時代はいつまでだったのだろう・・・

交通規制の厳格さとスピーディーさはたいしたものだ。
ただ、この部分は日本人の生真面目さが良くも悪くも出てしまう。
一度方針が固まるとファジー部分の入る余地がなくなるから、不停止ならあくまで不停止、一方通行ならあくまで一方通行、通行止めならあくまで通行止め、軍隊の隊列の中にあって軍事境界線に行くような気持ちである。催事そのものが極端に窮屈に感じてしまうのは僕だけだろうか。

好き勝手に書いてしまったが、企画側は大変だったろうと思う。
でも地元も大変だったのだ。
でも大変だ大変だともしお互いが思うだけならば、いっそ辞めてしまったらいい。

0から1にひとつ駒を進めたことは、偉大なことだと思う。
必ず大きな実りを見せるのだと、主催側と受ける側のお互いが未来を信じて、次の一歩を積み重ねることが大切なのだと思う。
そのためこにはベクトルをあわせていかないとダメだよね。

あるがままでラジオ出演

ひょんなことからラジオ番組にゲストで招かれた。

残念ながらというか、よかったというか、東京周辺では聞けないという。
団塊の世代に向けての応援歌のような番組で「おやじの時間」という。
仕事のこと、趣味のことを促されるままにしゃべらせてもらった。

何しろスタジオなんて始めての経験。しかも見学ではなくて出演して録音されるのだから要領がちょっと気分が違う。全然わからないしね。

ある程度打ち合わせを兼ねた雑談をした。ぼくにはこれがすでに本番かと思っていたのだが・・・
その後「じゃあ本番行きまーす」だって。

雑談中に要旨を話しちゃった。
あと何を話せばいいの?
またくり返すの?と思うとゲップ・・・

と、思いきやパーソナリティーの質問は、実に上手かった。
さすがにプロは違うと感心しながら、リードされるままに語らせてもらった。

二週間分を録るのだという。前半が仕事の話し。次の週分が趣味の話し。もちろん自転車談義に他ならない。

終了時、「あっという間でしたね」と話されたが
僕にはえらく長い夢から覚めた感じだった。

東京では聞けないからとプレゼントされたCDは、かばんに入れたままほとぼりが冷めるまで封印しよう・・・


左がパーソナリティーの船橋さん。
右がTONちゃんね。

青森放送  3/14・21(土)6:30~7:00
西日本放送 3/14・21(土)8:00~8:20
大分放送  3/15・22(日)6:10~6:20
北海道放送 3/15・22(日)5:00~5:10
岐阜放送  3/19・26(木)19:00~19:30

ディレクターの秋元さんCDありがとうございました。
しばらく封印ですが・・・

子供の頃は都会に降る雪をどれほど待ち望んだことだろう。

ちらりほらりでも降ろうものならば狂喜して走り回ったものだ。

今は・・・
降るなよ・・・
積もるなよ・・・

全く勝手なものである。

ただ、決して年齢ゆえにどうこう変化したものではない。
立場と責任が変わるだけで同じものを見ても感じる心は変化する。

人の心のなんと微妙なことよ・・・

仏像盗難に思う

仏像の盗難が相次いでいる。
そしてついに御用となった。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090303/crm0903030140001-n1.htm

テレビを見ていても盗んだ言い訳に「信仰心がさせた」
という言葉に機敏に反応した。
自らの欲望を満たすための我心と利他心の信仰心を作為的に使ったのか・・・
面白いこという人だと思った。

と同時に
天台宗開祖の最澄が説いた「山家学生式」の一説が頭をよぎった。

国宝とは何物ぞ

宝とは道心(どうしん)なり

道心ある人を
名づけて国宝と為す

故に古人(こじん)の言わく
径寸十枚(けいすんじゅうまい)
是(こ)れ国宝に非(あら)ず

一隅を照らす

此(こ)れ則(すなわ)ち国宝なりと

国の宝とは何かと問い、最澄は人の心であると言及しているのである。
ではどういう心を人には必要とするのか・・・

さらに読み進むと

悪事を己に向かえ

好事を他に与え

己を忘れて他を利するは

慈悲の極みなり

と結んでいる。
「忘己利他」の心は慈悲心から湧きいづるのである。
つまり慈悲心を持つものが国宝なのだと最澄は痛快までに説いている。

決して人々の安寧を祈るために仏像が必要なのでも
ましてや多くの祈りの心の沁みこんだ対象を掠め取ることが信仰心なのではないのである。

言い訳の片隅にも使って欲しくないことばであった、

朝歩き1ヶ月目

朝歩き初めて一ヶ月。
お不動さんの日から始めたからなんとなく三日坊主で終わらずにすんだかな・・・

春には自転車で巡礼に行きたいし。
野麦峠も行きたいし。
くたばりたくないもん。

ようやく足も戻りつつある。

おかげで2kg、体脂肪で2.5%減。

でも朝から腹が減って減って・・・
困っているTON店長です。

友人の記録

20歳を過ぎての記憶は確かと思っていたけれど、なんのなんのスポットでしか記憶にない事に改めて気付かされた。

最近訪ねた古い自転車仲間にお願いしてた「昔クラブで一緒に走ったコースを教えてよ」
気軽にOKしてくれた。
ツーリング記録が昨日メールで送られていた。便利な世の中だ。

添付されていたエクセルを期待半分、恐る恐る開く。
78年に僕と数人で結成したクラブも今年で丸30年。
結成2年で発起人の僕が抜けてしまったのに頑張ってくれていた。

僕の現役当時の記録を眺めているとまあよく走っている。
これ以外も一人でコツコツ走っていたのだから文字通り自転車漬けの毎日だった。呆れる。

ただ、その資料を見ていて愕然とした。
全く覚えていないコースが多い。自分で計画したはずなのに・・・

自転車を復活させたら、一人で超えた想い出深い野麦峠をもう一度越えたいと思っていたのに、すでにクラブ時代に走っている。

十国峠、志賀坂峠
う~ん
まったく記憶にないぞ。

79年1月28日◇箱根・黒白林道、明神林道
 
2月17・18日◇伊豆大島
 これまで最多の15名参加。新婚夫婦も
 夜、トランプゲームで盛り上る

3月21日 ◇中井丘陵
 前回の余勢を買って10名参加
 震生湖畔で昼食

4月20~22日◇十石峠、志賀坂峠
 山間の一軒宿・奥多野館の原始的な風呂
 が印象深い

5月4~6日 ◇阿武隈
 初の全日程晴天 腹ぺこの犬仏林道
 混浴の湯ノ田温泉

6月10日◇明神峠
 世附への下りでパンクの連続。困窮。

7月21~25日◇津軽半島
 竜飛岬の夕日 雨の増泊林道 十三湖畔
 のオオマツヨイグサ群落 三升酒飲 蛍の群
 斜陽館 りんご畑の中の道 ねぶた製作場
8月18・19 ◇静岡・井川
 豆列車 ダム内部見学 流しソーメン
 富士見峠

9月22~24日◇野麦峠
 笹に覆われた旧道の押上げ 
 お助け小屋泊
 松本から高山へ
10月9・10日◇三浦半島 
  14日 ◇ヤビツ峠
  28日 ◇箱根、奥湯河原

11月17・18日◇房総・嶺岡林道
 帰路、久里浜から全員自宅までラン

12月16・17◇山梨県道志村
 日野出屋への集中ラン
 囲炉裏 竹トンボ 竹筒の燗酒 

そのうち写真も送ってくれるという。
さて・・・

覚えているかしら。

寒桜近況

墨田公園内の大寒桜です。
まだ寒そうに咲いていました。


満開


この雨空ではね・・・


みぞれだよ・・・

夢の香り

どの香りが好きですか?

そう聞かれて目の前に置かれていたパフュームの瓶をいくつも鼻を近づけてみた。

何やら甘ったるいの、辛っぽいの、フルーティーなの・・・
これがいい。
そこには#30と書いてあった。

席に戻ると同席の者曰く、ピーチの香りね。

ピーチ・・・
で、目が覚めた。

たわいもない夢なのだけれど、生まれて始めての出来事だったのだ。
夢の中で香りをはっきりと認識したのは初めて。
ついこの間は、初めて味を認識したし。

次は何を認識させてもらえるのだろう。