正月の光景

空気は乾燥して錆を出す要因が少ない。
人は多く、日頃でさえなでてくれる人の多い小僧君。

正月の参拝者にそれこそ何千人となでてもらうものだから
手の指紋がヤスリとなってこれこの通り。
見事である。
「ぼくとどっちがかわいい?」と飛び込んできた小さなお客さんと。

亀十のどら焼きはこれこのとおり30mの行列を作る。

サプライズ

正月に店を開けていると人の出会いのサプライズが起こる。

何十年も会っていなかった友人と、それとは知らず?来店してきて店で再会したり、
ふる~い時代のお得意さんがひょこっと顔を出してくれたり、
親に手を引いてこられていたヨチヨチ歩きの子供が、成人したと報告に来てくれたり、

そのたびに驚かされるのだ。

昨日、唯一人の姪がひょっこり訪ねてくれた。
彼女が生まれたときには、ぼくはもう風来坊になっていたから、
直接お産には立ち会えなかったし(長男の時は義兄の代わりに立ち会ってあまりりの修羅場に驚いて逃げて帰ってきた)、
人生の節目節目に何一つ叔父らしいことをしてあげてこれなかった。
けれど、一番なついてくれていた。

一度だけ、小学校に入学するとき、なけなしのお金で
電気スタンドを買って送ったことがあった。
それがよほど嬉しかったのだろう、喜んで電話をしてきてくれた。

僕が結婚するときも、一番喜んでくれたのは彼女だった
「みっちゃん(僕をそう呼んでいた)のお嫁さん」と
僕ら夫婦の周りをクルクル、クルクル回って喜んでくれた。

必要以上に感受性の強い所は、姉に似てしまったようで、
思春期は悩みの中にいた。いつも物思いにふけていた。
そんなころの中学時代は、僕の店でバイトをしていた。
だから毎年正月は顔を見せてくれた。

そのうち大学を出ると足は遠のいた。
保育士の資格を取り、区の施設に働き出した。

それから4年の間をおいて、突然昨日顔を出したのだ。

「こんど結婚するの」と彼を連れてきた。
面食らって言葉に窮した。
「ん。あっそうなの」笑顔で応えたつもり…
同じ保育士の仕事をしているという彼はなかなかの好青年。

これからもよろしくね。と彼と握手をして見送ったが、本当の所は動揺しているのだ。

男ばかりの我が家では、送り出す娘がいない。
さすれば、嫁に出す思いの何分の一かを、疑似体験させてもらったのかもしれない。

幸せになれよ。

浅草の今日の空

朝は、しっかり晴れ渡り、

3時頃には雲が気持ちよくたなびき始めた。

正月になると決まってどこの観光地においても見る光景。

鎌倉でも明治神宮でも、人の集まりそうなところには
決まって、「神は愛」とどこからでも見える高い看板を持って
テープを流す。

何度も何度も流されると、潜在意識にはしっかり記憶されるんだ。
看板持ちのお兄ちゃんに聞いてみた。
「どちらの教会ですか?」

「・・・」

「何教会ですか?」

「教会はありません」

言葉のイントネーションからして日本人ではなかった。
「韓国の方ですか」

「台湾です」

「ほー台湾」

「韓国人もいるし、アフリカ人も、アメリカ人も…
あなた興味ありますか?」

早々に辞した。

各国から伝道のために来日しているのだろうか。
教会はないというのはどういうことだろう。
無教会派という運動が内村鑑三らによって過去にあったが
それっではなさそうだし、申し訳ないが得たいが知れない。

素性をきちんと出すべきではないのかなあ…

初夢

初夢を見た。

念珠直しを一生懸命やっていた。

あ~~~ぁ。仕事の夢かぁ。

元旦の一日

店の前は、人でいっぱい。

車道は、人でいっぱい。

空は、空気いっぱい。

こうして、元旦の一日は終わる。

ついでに、店は、正月いっぱい。

新年

開けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。今年初めての浅草の空です。

雷門まえもこのとおり。