一隅を照らすと言うこと

世の中にはいろいろな方がいる。
4歳で1時間以上、心拍停止。つまり死亡した。
その間、福禄寿が自らに語り続け、ついには蘇生のきっかけを与えてくれた。

「人のために生きなさい」と自分の生の目的に芽生えた。

何十年か病院勤務を経て、ようやく本来の目的にむかって歩み始めた。
いろいろな人が聞きつけて会いに来る。アドバイスすることなすことが、相手の命運をことごとく好転させてきた。

「大変なお役をいただきましたね」
僕が言うとにこっとうなずいてくださった。
それでもまだまだ本来の目的、夢は果たされていないと言われる。

こうした直接的に天命を下された方はもちろんだけれど、天命を気づかないだけで・・・はたまた気づきながらも、天命から逃げてばかりの方もいるだろう(僕もその口かな)し、

何にせよ、伝教大師の「一隅を照らす」のお言葉は、いかなる人にも種をその身にそなえているのだ。と思っている。

そういう意味からも、年間に3万人を越えて自らの生を終らせる人たちに言いたい。

あなたの中の小さな種を信じてね。
この地上に生れ落ちた命は、無意味に生まれたのではないんだ。

僕の高校時代の親友は、その種を咲かす前に自ら枯らしてしまった。
周りの人間に一言もなく。
残された者がどれほどの生き地獄を味わうとも考えないで。
一人ひとりの立ち位置をおのれの灯りで灯すことで、自分がまた見えてくる。
自ら灯すことをしないまま、いくら見ようとしても見えないものさ。

だから信じてほしい。
人を照らす行為の末におのれの位置も見えてくるのだと言うことを。
解らなければ眼を瞑っても一歩足を踏み出してごらん。

自分の中の灯りの種のあることを信じて。

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