生涯のおつきあい

久しぶりに懐かしい方が来訪してくださった。

千葉のOさんは
百体仏を彫る願をかけていらっしゃる。

同じ自転車の趣味もあってか、
一回り以上も歳の違いもなんのその
何故かいつも意気投合してしまう。

始めは、彫刻刀の購入時からのおつきあいだから
仏師入門の入り口からのおつきあいと言うことになる。

曹洞宗の彼は、星月菩提樹の念珠を購入していただいている。
普通の研磨で製作したものを
さらに入念に自分で磨いた。

Oさんの手にかかると
普通の念珠もこうなるよ。

玉の穴繰りの面取りが尋常でない。
おまけに、玉の1玉1玉をくるみの油で磨いたとか。

トラメ石まで磨いたの?

いやはや、とてもじゃないけど、かなわないや(^^;

庭師の職人さんが捨ててしまう木片も
Oさんいただいてくるのだそうな
何にするの?

おもむろに

「はい」
っとプレゼントしてくださった。

欲しそうな顔をしていたかいな。

痛!
いててて…

桜の端材もこうなるのか。

木はいいねえ。

たいへんだあ

どうしよう。

白檀が高い。

高騰し続けている。

3ヶ月前にとった見積もりが、
なんと、2倍強になっていた。

建設業に携わっていた頃、
オイルショックのあおりを受けて
材料費の高騰が続いた、発注した工事が完了する頃には
利益がなくなるどころか、大赤字。
ということがあったけれど

今回の白檀騒ぎは、それ以上の高騰ぶりだ。

お香類は、去年から原価の値上げが始まったが
この秋にはまたあがりそう…

仏像用はもうとっくに上がって、というより入手できない。
ちょっと大きい仏像を作る材料が
今年になってからは、全く手に入らない。

念珠材料もついに秋には原価訂正に追い込まれた。

CMではないが、さあどうする。

構想


新東京タワーから浅草まで
こんな構想があるんだって。
1Kmの区間をロープウェイで結ぶんだそうだ。
浅草らしいよね。

けど…

何人乗れるの?

浅間の風

ミクシーの知り合いが、
軽井沢を旅するという話を聞いて、
ふっと記憶がよみがえった。

はじめて軽井沢に足を伸ばしたのは、
堀辰雄の小説を読んだのがきっかけ。

「風立ちぬ」の舞台となった、
旧軽井沢に思いをはせた。

社会に出て2年目。
ほぼ毎日、自転車漬けになっていた頃だった。
もちろん足は、自転車となる。

横浜から長野までは輪行(車内持込)し、走り出す。
雨男の自分には珍しく、天候には恵まれた。

どこをどう走ったか、記憶にないのだが、
千曲川沿いに走り、
八角の五重塔のある、上田(塩田)に立ち寄る余裕もなく、
追分へ急いだ。

どこをどう回ったのか30年の年月は、
その道程を全くトレースできない。

ただ、記憶にあるのは、
どこまでつづくか知れない、浅間の雄大さ。

そして、碓氷峠からのダウンヒルの醍醐味。
高度を下げるたびに変わる風の匂いと緑の色合い。
爽快だった。
ときどき目に映る、明治の鉄道マンたちの遺構の異様さ。

そんな断片的な記憶ではあるけれど、
貴重な思い出である。

今でも「軽井沢」と聞くと、
いつも、浅間の風が吹く。

お盆におもうこと

もう、お盆までカウントダウンとなった。

3・2・1・ゼロ、と近づく今だから、
いやでも、民族大移動が始まれば、
子供心にも、「何か特別な日が近づくんだ」と
予感をさせる。

敗戦の記念日が、その日に重なることも
印象をより濃くする一因ともなっている。

先祖を考えることのできる環境がこうして、
用意されていることは、
「日本って、なんてありがたい国なんだろう」
と、いつも思うことである。

仏教伝来以前の日本人には、
死者に対し畏怖をもっていた。
畏怖心から、死者は、神となり、子々孫々をお守りくださるのだと
変化したようだ。

死者に対して意味もなく、
おどろおどろしいものと考えるのではなく

活き活きと現世に、はたらきつづけてくれる守り神。
明朗で且つ、強烈なイメージを持っていたようである。

仏教伝来後は、融合されて
仏教行事としての「文化」となってきた。
けれど、本来的には、日本人が根底に持っている、
神観や先祖観に基づくものなのだという。

とりわけ、日本の文化の中でお盆ほど
日本人のDNAが見える形として、
顕されているものは、ないのじゃないかと思う。

だから、文化を大切にしたい。

複雑に絡み合って、どうしようもないとき、
後戻りできないほど窮地に陥ってしまったときは、

「初心に帰れ」とは、よく言うことだ。
日本人には、その「初心」が文化として伝わる。

苦もなく、仏前に初心となって手を合わせる、
一時が持てるのだ。
亡き肉親と実体はなくとも数日間暮らし、
寝起きを共にするのである。

にわか信仰心でも良いと思う。

思い出す行為が、それ以上は、
「軌道を危めない」ことにつながるのではなかろうか。

そのときは、大手を振って「ご先祖さんありがとう」って
声を出したらよい。

お盆とは、先人が残してくれた
「初心還り」のチャンスなのだから。

蓮ちゃん近況

浮き草に押されて、中が見えないほど
ラッシュ状況となる。

でも、しっかり新芽を水面に出してきているから
無事のようではある。
けれど花は咲かない。

しっかり栄養を与えて、来年に備えるようにしたほうが
よいのかもしれない。

めだかは、活き活きライフをエンジョイしている。

お墓参り

人のお盆のお手伝いをしていて
気がついたら我が家のお盆は、
すっかり頭から抜け落ちていた。

さぞや、ご先祖さまは、
この一見、先祖不孝者に見えるこの末裔を、
喜んでいることでしょう。

わが身も先祖も顧みず、他の為に滅私奉公しているのだから。

いやはや、じょうだんではなく
オヤジの墓にあいさつせねば・・・

まわりのみなさまは、どこにお墓をお持ちだろう。

最近はやりの、公園墓地の方が多いだろうか。

耳にするのは、寺内墓地が多いのだけれど、
気にしないですむので、宗教に関わらない公園墓地は
人気なのだろう。

僕のところは、ずーーと遠い。
学生時代、本家に預かってもらっていた遺骨を持って
母の田舎に思い切って墓所を設けた。

その昔は仙台藩のお殿様の墓所内ということもあって
喜んでいたこともあったが、
なにせ、遠い。
迎え提灯で先祖をお迎えに行けば、
新幹線でお迎えしないといけない、笑えない話。

やはり、先祖供養と生活。
これはまさしく文化だと、つくづく思う。
その点、家内の実家は、
生活に根ざしている。

家から100mも歩けば墓所に着く。
「じゃあご先祖をお迎えしようね」と言いながら迎え提灯に
墓所からお迎えできるのである。

迷わせることもなく、ちゃあんと手を引いて
おうちまで連れてきてあげれるのである。

生きていれば百歳、二百歳のおじいちゃん、おばあちゃんであろう
大先輩なのだから、お迎えに行くのが、子供の目でみても尋常であろう。

ともあれ、お盆本番もカウントダウンだ。

教えたげる

「おしえたげる」…横丁の与太郎の言葉尻は、
リエゾンすることで「oshiete ageru」の te+age=tageになってしまうようだ。
だから、「おしえて あげる」が「おしえたげる」と詰まってしまう。
自己解釈の江戸弁だ。

さておき、
夕方間近にかわいい職人さん候補がみえた。

ご自分で念珠を作りたいということで
房や親玉のパーツを探して、ここまで来られたのだ。

四六時中、念珠と向き合って暮らしていると
無造作に手だけが勝手に動いて、
作業をしてしまうことが多いのだが、
こうして製作の疑問点を、投げかけられると、

いい刺激になる。

使わない脳細胞が、クルクルと音を立てているのがわかる。
オーバーヒートしない程度に止めておくのがコツのように思うが
つい、余計なことまで口が滑ってしまう。

最近、自分で自分の念珠を、作る方が増えた。
しかもブレス程度のものではない。

れっきとした宗派念珠を、自分でこさえてしまおうという
信仰心あふるる、のだと思うが、
そんな方が目に付くようになった。

法具に関心を持ってくださる方は、いたってうれしい。

わがホームページにも、
そろそろ、コンテンツを増やさないとと思う。

もちろん「自作コーナー」である。
でも、あちこちで自作しだしたら…どうしよう。

…そうだ!

boo店長は、もうやめて

boo親方って呼んでもらおう。

あつつつ

暑いイイーー
アスファルト熱い。

何でアスファルトなんて舗装に使うんだろ。
地下水汚すし、大体にして油で地面を隠してしまうのだからね。
地面をあるく気もしなくなっちゃう。

自転車でよく走っている頃、
車の重みで、中央はわだちができ、反動で道の端っこは、舗装が盛り上がっているところが良くあった(今はあまりみないなあ)そこを誤って通過すると、融けてタイヤに張り付く感じになってしまう。
ただでさえ、ばてるほどの日射にグロッキーぎみなのに
もうあきまへん。
すぐさま、
小休止に必然的になった。
すわりこみ、手持ち無沙汰に融けてる舗装面を
指でおせば、グニュと痕が付くほど、とろけている。
暑いわけだよ。上と下から熱せられてりゃ。

止め、止め、やめようよ。
コンクリート舗装にしよう。

油よりは、涼しいはずさ。

共同作業と職人仕事

懸案になっていた、製作ものをやっと、こさえることができた。

販売の現場をこなしながらなので、
俄然、遅々としていつも進まないのだが、

今日は、どういうわけか
良い意味で…
良いも悪いもない。つまりご来店が少なかったのだ。
スムーズに作業が終了できた。

近頃は、彫り物が多くなったので、一から十まで、
自分だけで完結できない仕事が多くなってきた。

だから、
他の職人に渡して、一次加工を終えるのを待つのだが、
これが、
いつも待ち遠しい。
実際は、不本意なのだ。

直接仕立てる楽しさは、何とも言えず心地よい。
が、しかし、企画立案までしか出来ない。
あとは職人まかせという仕事の場合、
最後まで気が抜けないし、はらはらのし通しなのである。

人の手を借りて念珠なり、仏像なり、製品として完成させるのは、
大掛かりにもなるし、まあそれなりに、達成感はあるけれど、
精神衛生上、たいへんよくない。

大きい仕事をこなそうとするなら、なおさらのこと、
慣れていかないといけないのだろう。

と思う。

が、手の届く、
気の回る範疇の仕事で充分と思うようになった。
最近、そんな思いがいつも、もたげてしまう。

むしろ、玉造りからぜーんぶ自分でやって、仕立てて
という思いが強くなっている。

彫刻刀を持って、木に向かうのも
遠い将来ではないような気もする。