デリバリーを考える

通販をしていると
デリバリーに対して、いつも考えさせられる。

デリバリー業者にも二通りある。

ひとつは、お買い上げの商品を配送できさえすればよいと、
割り切って考え、とにかく安い配送代であればよい。と考える場合
僕はネットで頻繁に購入する。要はヘビーユーザーと思う。
買うときは、とにかく届けばいい。破れてさえいなければ。
この程度でよいと思う。

もうひとつは、
販売店のイメージを損なわない、営業のフィニッシュマンとしての
運命共同体と考える場合とがあると思う。
高額商品を扱う場合や、メンタル性の高い商品は、
後者でないと、商品を道端に投げるようなものであろう。

町の電気屋さんがいまだに、(というか今だから)
量販店の販売力をものともせず、勝ち残っていけるのも
メンタル部分が、とても大きいからだと思う。

一部の量販店だったが、昔、エアコンを注文した。
技術の担当が、取り付けに来た。
ほどなく取り付けを終え、記念すべきスイッチオン。
送風口からは、まあまあ涼しい風が出ていた。

彼らが帰ったあと、もう一度、涼もうとスイッチを入れる。
期待して風に当たる。が、いつまでたってもなまぬるい。
再度、電源を入れなおしてみるが、温度がいっこうに下がらない。

全く原因がわからない。
クレームをつけるが繁忙期のため時間がかかるという返事。

結局、稼動できるようになるまで、1週間強を要した気がする。

もし近所の電気屋さんから購入したものであったなら、
すぐに飛んできてくれて、
その日のうちに用は足りだろうと思う。
この差は大きい。

○○引越しセンターが、
「私たちの仕事は運輸業ではない、サービス業だ」という徹底した考えが
引越し業者として、転勤族の奥様方からきわめて高い評価を受け
業績を伸ばした話は、あまりにも有名であるが、
運輸業は、すべからくそうなのだと思う。

人は物を買うのであるけれど、物を買っているのではない。
夢を買うのである。

その夢は、包みを開けるその瞬間まで続いている。
(もちろん、使用していただく後々まで続く)

夢を抱いてお買い上げいただいた商品。
ドアツードアの最終のドアで、もし気配りが足りなければ
全ての夢はそこでしぼんで、全ての心のドアは閉じられてしまう。

だから、デリバリーは、「他社」ではないのである。
「同志」でなければならないと思う。
「異体同心」であって欲しいと思う。

商品を配送業者に手渡すたび、
「ちゃんと配慮して渡されますように」

と、思いながら預けるのが、日課なのである。