遡流

ネットの友人と話している中で
ふと、気が付いた。

衣食住という言葉がある。
人間、最低必要な欲求である。
衣食住を必要な順番という人もいる。
(食が先だという意見もある)

着るもの
食べ物
住むところ

その順番を逆にすると
人格形成に、影響を与えてきた順番
のような気がする。

住には、もちろん家を取り巻く環境
つまり人と郷土も含まれる。

故郷には、友人があり、家族があった。
人それぞれ違うだろうが、親のぬくもりがそこにはあった。

「3丁目の夕日」を代表とする昭和30年代が
その時代を知らない若い世代をも巻き込んで、

妙に懐かしがられている。

なぜだろう。

虚弱だった僕には、医療は、
きっても切れなかった間柄だけに
適切な医療も、医師も少なかった、
この時代は決して楽ではなかった。

その時代に戻れるとしても、もう結構と断るだろうほど
つらいことが多かった。

母子家庭だった我が家には、さらに貧困という過酷さも待っていた。

けれど、その時代がとても郷愁を誘う。
決して記憶から排斥したいとは、思わないのである。

なぜだろう。

「終の棲家」を考えるとき

その時代のイメージが湧き出てくる。

鮭は一生を終えるときに遡流する。
もちろん子孫を残すためにではあるが、
なつかしい川の匂いをたどりながら、何を思うのだろう。

鮭の一生になぞらえるのではないが、
その匂いの元が何かを
そろそろ、嗅ぎ出しはじめ出したのかもしれない。

己の言動にときどき驚くのだ。