立ち話

二時間立ち話。

もとはと言えば、五重塔が発端だったのだけど、

話は、どんどん広がった。
お住まいの話。先祖供養にとにかくお金をかけた。
仕事は継続させるよりも廃業を選んだ。

早稲田と東大に受かったが性格に合った早稲田に行って、あとでばれて父親にこっぴどく叱られた。
特攻隊でゼロ戦で飛び立ちながらも、エンジン故障で途中で引き返し命拾いされた。

戦後はとにかく事業に没頭した。頑張った。
そして、
骨董蒐集にも熱をあげた・・・・・・

とにかく80を越えた御歳ながら、しゃきっとされていて
さすが、軍隊と剣道で鍛えた体は今なお現役なのだろう。
タチ仕事に慣れているはずの僕が足をぶらぶらする始末。

途中、食事に出た子が戻ってきて、なおも延々と話は続いた。

はて?何の話だったかな…

けれど、これだけは感動した。

母親の死に目に会えなかった。
仕事で出張していた為だった。
旅館で窓を開けていると火の玉が飛び込んで自分の周りを何度か回って
飛び出した。

同時間、母親は息を引取った。
(実は、ぼくの母も同じ体験をしていて、子供の頃よき聞かされたものだ)

霊を見る人に「左肩にあなたのお母さんがついて守ってくれている」と教えられてから
痛い所があると、左肩に手を当ててその手を患部に当てるようになった。
すると、嘘のように痛みが消えた。

80を越えてからも、同じことを行ったら直ったんだ。

くそ真面目に、しかも嬉しそうに話してくれるその顔には

この方にはお母さんが今も心に働きかけてくれているんだなあ。
強く印象に残った。

自分が同じ歳になったとき、こんな若造に同じことを口から吐露できるだろうか…
心に問いかけてしまった。

天台宗黒檀素引き 

きれいな黒檀。
一時期真っ黒な黒檀が手に入らなくなって仏壇がつくれなくなったけれど、
念珠の玉程度はまだ可能のようだ。

それにしてもきれいな木肌だ。

仏壇があぶない

成人式を15日でなくした人間出てこーい。

なんだかメリハリがなくなって仕方がない。

もともと1月15日に成人式を当てたのには訳があるのである。

休日を増やす為に日曜日と重なった場合、
月曜を振り替え休日として変えるのはまだしも、
民衆に媚びて、曜日に合わせて記念日を変更する愚挙。
飛び石連休のところを、経済効率優先の意識から連休にさせたりと。

さらに、ついでに言わせてもらえば、
昭和32年の住居表示の変更で歴史ある町名が消えて久しいが、
平成の大合併などという愚挙に消えていく美しい都市名
これらの行動を見ると不思議でならない。

日本人の無形遺産がこともなげに崩されていく。
過去の遺産を大切にしない民族がどこにいるのだろうか。

合理化、経済効率の美名がなにより優先されてきたのは、
敗戦で国を復興するための図らずもの姿ではなかったのだろうか。

そろそろ見直しの時期にはいってもよいではないか。

最近、仏壇が危うい。
少なくともマンションに引っ越すときが仏壇の消える記念日になりかねない。
仏壇を買い替えのときに古い仏壇を引取り供養する。
けれど、買い替えでなく、引取りだけを相談に来られる方も多くなってきた。

マンションに住むが、床の間がない。造りつけの仏間がない。
少子化で子供が嫁に出れば、継ぐものがいない。
一軒家からマンションに越すときに大きい仏壇は居場所がない。
だから、小さくしたい、家具調にしたいはまだしも
クローゼットに位牌だけ納めるようにする等々
以前には数えるほどしかなかった相談件数が、明らかに増えた。

仏壇は文化の結晶だ。
しかも信仰心を軸にした生活と慰霊のエキスでもある。

しかし、先祖を大事にしたい気持ちがあっても、
明らかに住居環境や家族環境が変化してそれを拒んでいる。
縦の糸が繋がらないまま横の糸は組めないのである。

ましてや売る側にそれを伝える心を見失い、
安かろう悪かろうを実践している者もいる。
箱売り屋に貶めている業者もいるのは嘆かわしいことでもある。

いいやいいやで済ませるにも、ほとほと限度があるというものだ。

そろそろ、足元を固め直す時期なのだと思う。

国力とは、そんな所から失われていくんじゃあないだろうか。

重なるときは重なるもので…

ネパールの九鈷の法具。
凄みのある馬頭観音を頂に、魔除とするらしい。

錆はないが、作ったまんまの状態なのだろう
タールに浸したと見え、オイルの匂いが強い。
きれいにさっぱり落とし、錆除けにフッ素コーティングをかける。
男前?になるぞー

時間差で、他の方からこれまた金銅の仏像を預かる。
錆を落とし、箔かメッキを施す。

そして…

光明が…

これは関係なしでした…

唐獅子牡丹

正月らしく縁起よく、唐獅子牡丹

小さいけれど(幅180mm程度)よく彫れています。

年輪

夕方、一人の紳士が夫婦連れで店にみえた。
何となくどこかでお合いした感じはするのだが、
念珠を求めに来られて、次長の手に負えなくて
バトンタッチされた形で、適当な念珠がない旨告げることになった。

時間さえあれば、適当な価格帯と希望でおつくりすることはできると話すと
時間がない。今日明日の話なのだという。

僕も実務的に話さざるを得ずあーだこうだと話しを進めながら
在家用としては程遠い、尺6寸の大玉に収まった。

「これは、お寺さんが使うような大きさですね」
何の気なしに漏らした言葉が引き金になって、

「私たちも寺のものなの」
と奥様。

「あ。それは失礼しました」
「智韻寺と申します」
!!!

「E!ぼく西海です!」
「まあ==そうかしらと思ったけれど…」と奥様。
「もし間違えていたら失礼になるから黙っていたんだけれど」とご主人。

忙しさに讃祷歌を歌いに行っていた足が止まって何年になるんだろう…
讃祷歌の生みの親であり、公私でお世話になった先代の住職が亡くなって10数年。
そういえば一度もお逢いしていなかった。

お互いに年輪の刻みを目測違いしていたようだった。

お互い若夫婦だったんだ。

懐かしすぎて言葉にならなかった。

以前も讃祷歌の日記を書いていました。