いい沈香大玉が入ったので、紐仕立で製作。
あと、編みこみだけだったのに・・・
パキッだって・・・
ボサが見事に砕けた。
涙・涙・涙
よそ見したのが悪かった・・・
いい沈香大玉が入ったので、紐仕立で製作。
あと、編みこみだけだったのに・・・
パキッだって・・・
ボサが見事に砕けた。
涙・涙・涙
よそ見したのが悪かった・・・
何年前だっけ・・・
20年前・・・
こんなプレートも創ったね・・・
深海珊瑚に千手観音を彫りこみ。
なかなかスカッと晴れませんね。
人は構わず多いのだけど。
毎年5月の第二日曜日が母の日なんて、誰でも?知るところだろう。
小学校の頃、母の日が近づくとお母さんに何をあげる?と、とかく話題になった。
学校側でもカーネーションを用意してくれたり、
プレゼントを工作の時間に手作りしたり、
母の似顔絵を描いたりと、学校上げて忙しくなった。
同じクラスに母親のいない友人がいた。
いつも我が身のことのように気になった。
何故なら僕には父がいなかった。
当時は父の日はあまり熱心ではなかったようで、
父のいない僕にはそれだけでも、ホッとするのだった。
もしかしたら母の日と同じように父親の似顔絵を描いたり
プレゼントを用意したりと慌しかったのかもしれないのだが、
人間の記憶とは、都合の悪いことは海馬の奥底にしまいこんでしまうようで
記憶にまったく残っていない。
もしこの母の日のように「お父さんに何か送りましょ」と
学校あげてお祭り騒ぎになったらいる場所がなくなってしまう。
どうしよう・・・さぞかし悲しい思いになったことだろう。
だから母の日が近づくにつれ、
友人の心のひだが痛いくらい伝わってくるのだった。
その日の前日、だと思うが・・・
担任の先生は、「○○さんは、おかあさんはいなかったね。君がおうちではお母さん代わりなんだよね」
ぎょっとした。
わかっていたんだ(担任だものあたりまえなことだが)・・・
「だからそういう人は白いカーネーションをあげるんだよ」
「おうちに帰ったら、仏壇に「産んでくれてありがとう」と言って、カーネーションをあげて下さい」と一輪の白いカーネーションを手渡したのだった。
胸がジーンとなった。