弥勒菩薩は難しい

シンプルなものほど難しい。
その典型的な例が国宝第一号の広隆寺弥勒菩薩だと思う。

そう簡単に線が出ない。出せない。
表情になると輪をかけて難しい。

若いとき、京都をブラブラしていたとき
半日以上ポカーンと魅入っていたことがあった。

なんてきれいな線を描いているんだろう・・・
なんの虚飾もない・・・
ひとつ間違えれば、この表情は全く異なったものになってしまう。

極限まで省かれたライン。

生き方においても、シンプルほど難しいものはない。

けれど、シンプルほど簡単なこともない。

けれどシンプルほど怖いもの知らずもない。
要は、「捨てられますか」と言うことなのだと思う。

プチ周遊

急に用事が入り厚木まで足を伸ばした。

千歳船橋までは、時々出かけるが、
さすが厚木までとなると意外に遠く感じる。

町田を過ぎる頃には車窓に釘付けとなっていた。
宅地が恐ろしいくらい多くなった・・・

厚木の仕事は早々に切り上げたので、あとは戻るだけ。
どうせ帰るのは同じなのだからと
別ルートで帰ることにした。
海老名から相模鉄道に乗り換え横浜へ。

相鉄は相模川の川砂を運ぶ為に敷かれた鉄道。
僕の子供の頃は、砂利電の別称がまだまだ大人たちの間では通用した。
相鉄の海老名駅を見てまず変貌ぶりに腰を抜かした。

田んぼの中の田舎駅のイメージはとうに過去のものだった。
どこかのテーマパークに迷い込んだかと思うほどの再開発ぶりに、
人口の激増ゆえと予想された。
7000系と8000系が仲良く並んでいた。
後発だったが8000系の先頭車輌に陣取る。
新車両と思っていたが、もう10000系代までできていたことを道々知ることになる。

そして横浜。
昼を過ぎたので、駅弁を買うことに。
もちろんシューマイ弁当である。

あとで気付いたが、弁当の質の変貌ぶりにわが目を疑った。

日付を見たら本日の9時製作になっているのだから古いわけではない。
なのにシュウマイがこわばっている。
冷えても美味しいはずのご飯がすこぶる硬い。
惣菜が簡略。肝心の顔つき瓢箪の醤油入れが何の変哲もないビニール袋に。
全体的に冷凍の解凍物ではないかというのが印象だった。

どこでも入手できるようになったと言うことは、こんなものかな。
赤福の例もあったけれど、
過ぎたるは・・・の故事にならないようにしてもらいたい。
せめてお膝元の横浜ではできたてを出してもよいのではないのだろうか・・・
食い物のことで男子が細かいことを・・・という気持ちもあるが
浜っ子は、シュウマイ弁当に思い入れがあるのさ。
食い物の恨みは恐ろしいよ。

また先頭車両に陣取り浅草まで。
川崎を過ぎて、だいぶ高架化工事が進んでいた。
建築限界ぎりぎりまで張り出している軒先を、
疾風の如き走り去る赤い弾丸の京浜急行のイメージも、
高架化で一新してきているが、
それでも120kmでの営業速度は気持ちがいい。

新人の初乗務だったのか、運転台に3人乗務の様子を飽きずに見ながら
あっという間に品川に着いた。

後は地下鉄。寝て浅草まで。

秩父行きが急きょ、プチ周遊となった次第。