こころ使い

ほんの些細なことなのだけれど、
本人も思いの外にあることなのかもしれないけれど、

心を和まされることってあるよね。


お直しのために送ってこられたお品に、
プチプチでガードしていた。
その止めのシールに思わず微笑んでしまった。

対面販売なら、あなたの顔を見ることができる。
どんなことが好きなのか、どんなことが嫌いなのか。
どういう表情をされるのか、どういう言葉を返されるのか・・・

一つ一つが宝物。
けれど、お荷物として出してしまうと、
もうお荷物は一人歩きしてしまう。

だから、大事。大事。

そんな店でありたい。

本番

いよいよ始動。

拍子木のカチンカチンの音は、どうして
早く来い、早く来いと聞こえてしまうんだろう・・・か。

夜に浮かぶ・・・

帰り道、雷門前を歩くと、
ほのかな提灯の灯に心が和む。

祭りの弓張り提灯に火が入ったんだ・・・
昔の人は、この灯にさぞや安心をいただいたのだろう。

現代は、不夜城の如き都会の明かりの中なれど、
機械的な蛍光灯の明かりや人の心を惑わすネオンの煌めきに疲れて
ほのかな和の灯に、癒しをいただくのかな。

よく見ると、我が店の名もちゃあんとある。

今朝、工事していたっけ・・・

浅草にいるんだ・・・

何となくホッとした。

なぞりの心経

写経をされた人は一度は(二度三度?)こんな経験をされた方はいないだろうか・・・

お手本に写経紙をのせて、罫線の位置を合わせて文鎮を置いて
さあ、なぞり書きしようとしたら、「あれ?この字なんて書いてあるの?」

途中で、あれ?この字は何だっけと何度も紙をあげて
お手本の字を確かめる仕草を経験したことはないだろうか。
特に慣れない書き始めの頃。

本来ならば、横に手本を置き一字一字写すのが写経の常道なのですが。
現代の主流はお手本の上に直接、薄紙を重ねて、写し取る方法をとります。

眼の良いものには、何と言うこともないのだけれど、
近視や老眼(僕は弱視)、
とにかく視力のない者には見づらくて仕方がないのです。

ならば、「写経紙に薄墨でお経が入ったものなら書きやすいではないか」

ということで、こうなりました。

以前からあるにはあったのですが、
セット(掲諦写経2100円)の中に7枚だけ組み込まれていたもので、
なぞり紙だけはないかの声は、何度もいただいていたのです。

自我偈(じがげ)はなぞりの写経紙として、210円で最近出し始めたのに
般若心経は?ということで、今回リリースさせていただきました。

薄墨で印刷されているので、
目の悪い方でも書きやすい。
(0.3の僕の目でもOKでした)